『転生姫のお土産』
涼しげなクリスタリア湖の風と、瑞々しい常緑樹の香りが心地よく吹き抜けるセレスティア親王領の本拠地、アクアパレス。
帝都ラーナへの長い旅行と拝謁を無事に終えたセレスティア親王一家を乗せた馬車が到着し、街は久々の活気を取り戻していた。
だが、馬車から降り立つやいなや、セシリアやイリアード、そして侍女たちの制止を振り切るようにして、疾風のように宮殿の廊下を駆け出していった小さな影があった。
セレスティア親王イリアードと側室セシリアの娘、四歳の姫君ルシアである。
セシリア譲りの可憐な金髪をなびかせ、宝石のように眩い大きな瞳を輝かせた超美少女。そしてその小さな身体には、世界を揺るがすほどに恐ろしい「異能」の力を秘めている。
性格は高慢で、我儘で、天真爛漫。まさに小さな女王様といった風情のルシアだったが、その小さな腕には、自らの身体ほどもある色鮮やかな包みが幾つも大切そうに抱えられていた。
「おどきなさいな! わたくしは今、とっても急いでいるのです!」
廊下で行き交う侍女たちに高らかに声を張り上げながら、ルシアが一直線に向かったのは、緑豊かな庭園に囲まれた『常緑宮じょうりょくきゅう』であった。
そこは、セレスティア親王妃リゼリアが滞在する美しき本宮。リゼリアは生後わずか二ヶ月の娘シンシアを出産したばかりであったため、今回の緊迫した帝都遠征には赴かず、赤ちゃんとともにこのアクアパレスでお留守番をしていたのだった。
「リゼリア義母様ーっ! シンシア! 今、ルシアが戻りましたわよ!」
返事も待たずに、ルシアは小さな足で常緑宮の重厚な扉を勢いよく押し開けた。
陽光が優しく差し込む広々とした居室には、揺りかごの傍らで柔らかな微笑みを浮かべる美しい女性——親王妃リゼリアの姿があった。その傍らでは、リゼリアの側近であり、セシリアの侍女エミーナと同い年の従姉妹でもある侍女ロゼッタが、手際よく赤ん坊の世話をしている。
「あらあら、お帰りなさい、ルシア。帝都での長旅、ご苦労様でしたね」
リゼリアは鈴を転がすような優しい声で迎え入れた。その膝元へ、ルシアは抱えていた包みを「どさっ」と机の上に広げ、誇らしげに胸を張った。
「ふふん! お留守番をしていたリゼリア義母様とシンシアのために、わたくしが素敵なお土産を持ち帰って差し上げましたの! さあ、感謝して受け取り下さい!」
相変わらずの高飛車な口調。だが、その瞳には「早く開けて褒めてほしい」という愛くるしい期待が隠しきれずに溢れている。
リゼリアはくすりと微笑むと、膝を折ってルシアの目線に合わせ、そっとその頭を撫でた。
「まあ、私とシンシアに? ありがとう、ルシア。とっても嬉しいわ」
「さあさあ、遠慮せずに開けてご覧下さい!帝都の一流の職人でも、これほどの品は絶対に作れませんわ!」
ルシアが小さな手で包みを解くと、中から現れたのは、息をのむほどに美しく仕立てられた衣服の数々であった。
一つは、リゼリアのために作られた上質な絹のドレス。光の加減によって真珠色から淡い翡翠色へと妖しく表情を変える生地には、繊細極まる蓮の花の刺繍が隙間なく施されている。そしてもう一つは、生後二ヶ月のシンシアのための、雲のように柔らかで肌触りの良い小さな産着うぶぎであった。
「……まあ……!」
それらを目にした瞬間、リゼリアの隣にいた侍女ロゼッタが、思わず息を呑んで声を漏らした。
今となっては、親王妃として最高級の絹や宝石を見慣れているリゼリアでさえ、その仕立ての美しさと生地の質感には目を見張るものがあった。縫い目の一つひとつがまるで魔法のように寸分の狂いもなく整い、肌に触れるだけで心が解きほぐされるような不思議な温もりを宿している。
(……ええ、もちろん分かっていますとも)
リゼリアは目の前で誇らしげに鼻を鳴らしている四歳の少女を見つめ、優しく目を細めた。
この衣服は、帝都ラーナの高級仕立屋で買ったものでなどない。
凄まじい異能の力を持つルシアが、その「念創」の能力を用いて、無から創り出したものなのだ。
四歳の幼子にとって、帝都の物珍しい市場や豪華な品々は魅力的だったはずだ。それにもかかわらず、遠くセレスティアに残してきた自分と幼い妹のことを想い、旅先でその能力を集中させ、心を込めて「最高のもの」を創り出してくれた——。
(帝都で買ったと言い張るあたり、本当に可愛らしい子……)
能力の凄まじさは時に恐ろしささえ感じさせるものだが、その根底にあるのは、純粋で健気な四歳の愛情なのだ。リゼリアはその優しい心遣いに胸を熱くしながらも、ルシアのプライドを傷つけないよう、事実に気付かないふりをして大袈裟に感嘆してみせた。
「なんて素晴らしいのでしょう……! こんなに綺麗で上質なドレスも、可愛らしい産着も、見たことがありませんわ。帝都の職人さんは、本当に素晴らしい腕を持っているのね」
「ふふん! 当然ですわ! わたくしの選美眼に見合うものは、世界中を探してもこれくらいしかありませんもの! シンシアにも着せてご覧下さい!」
「ええ、さっそく着せてあげましょうね」
リゼリアは手際よく、揺りかごの中で気持よさそうに眠っていた生後二ヶ月のシンシアに、ルシアの作った小さな産着を着せてあげた。
赤ん坊のデリケートな肌を優しく包み込む極上の生地。着せられた途端、シンシアは「うにゅ……」と可愛らしい声を上げると、心地よさそうに小さな頬をゆるめ、ルシアの方へ小さな手をぽてぽてと伸ばした。
「あら、見てルシア。シンシアもとっても気に入ったみたい。お姉ちゃん、ありがとうって言っているわ」
「〜〜っ! ふ、ふん! 当然ですわ! わたくしのプレゼントを気に入らないはずがありませんもの!」
シンシアに小さな手を握り返されたルシアは、ぽっと頬を赤らめると、照れ隠しにそっぽを向いて高笑いを上げた。その素直になれない愛くるしい仕草に、リゼリアとロゼッタは顔を見合わせて苦笑する。
そこへ、ドタドタと足音を立てて部屋に飛び込んできた者がいた。
ルシアと同い年で、異母兄にあたる四歳のリアムである。
リアムは、帝都から戻るやいなや姿を消したルシアを追ってきたのだった。
「ハァ……ハァ……やっぱりここか。ルシア、勝手に走っていったらダメじゃないか。お父様と義母様セシリアが探していたよ」
「なに言っていますの、リアム! わたくしはリゼリア義母様とシンシアに、最高のお土産を届けるという重大な使命があったのですわ! ぼんやりしているリアムと一緒にしないでくださる!?」
ルシアは腰に手を当ててつんと澄ました顔で言い放つ。
「ボクだって、お留守番のお礼を言おうと思って……あ、お母様、シンシア」
リアムがリゼリアの元へ駆け寄ると、リゼリアは愛おしそうに息子の頭を撫でた。
「お帰りなさい、リアム。帝都では怪我もなく、ルシアちゃんをしっかり守れたかしら?」
「うん。ルシアが急に攻撃してきても、怪我しないようにちゃんと全部かわしたよ」
「……ちょっとリアム! 余計なことを言わないでくださる!?」
リアムの素直すぎる報告に、ルシアがキーキーと怒って八つ当たり気味に小さな衝撃波を「えいっ!」と放った。だが、リアムは慣れた動作で首をわずかに傾け、流れるような体術でそれを完璧にかわしてみせる。
「ほら、またそうやって急に飛ばす……」
「むーっ! 本当にかわい気のない兄ですわね!」
ぷくーっと頬を膨らませて足を踏み鳴らすルシア。同い年の二人によるいつもの漫才のようなやり取りに、部屋の空気は一気に華やいだ。
「ふふ、二人とも、相変わらず仲がよろしいのね」
リゼリアはロゼッタに向かって優しく頷いた。
「ロゼッタ、冷たい果汁水と、焼きたてのクッキーを用意して頂戴。帝都のお話を聞きながら、みんなでお茶にしましょう」
「かしこまりました、親王妃様。すぐに用意いたします」
ロゼッタが手際よく控室へ向かい、やがて銀のトレーに乗せられた冷えた果汁水と、香ばしいバターの香りを漂わせる焼き菓子が運ばれてきた。
陽光が心地よく差し込む本宮のテラス席。
ルシアは冷たい果汁水を小さな口で「ごくごく」と飲み干すと、サクサクの焼き菓子を頬張り、満足そうに瞳を細めた。
「美味しゅうございますわ! でも、わたくしが帝都で経験した冒険のお話は、もっと素晴らしいのですからね!」
「まあ、冒険? ぜひ聞かせてちょうだい、ルシアちゃん」
リゼリアが楽しそうに相槌を打つと、ルシアは待ってましたとばかりに身を乗り出した。
「いいですこと? 帝都の白亜宮では、わたくしのあまりの美しさと気品に、皇帝陛下も皇后様も平伏せんばかりでしたのよ! それに、ルネッタおば様の翡翠宮にも、わたくしが特別にテレポートしてあそびに行って差し上げましたの!」
「えっ……? テレポート……?」
リゼリアが一瞬だけ固まり、ちらりとリアムの方を見た。リアムは「あちゃー」という顔で額を押さえている。後宮への極秘侵入という大スキャンダルを事も無げに語るルシアに、リゼリアは冷や汗を覚えつつも、優しく苦笑いを浮かべた。
「まあ……ルネッタ叔母様もお喜びになったでしょうね。でもルシアちゃん、あまり危険な移動をしてはダメですよ?」
「ふふん! わたくしの異能に不可能はありませんわ! イスファ(第四皇子)とも仲良くなって、かけっこで圧勝して差し上げましたもの!」
誇らしげに胸を張るルシア。実際にはイスファとリアムのかけっこを影から威張って応援していただけなのだが、ルシアの頭の中では自分が主役として大活躍したことになっているらしい。
リアムは隣で呆れ顔をしながらも、口を挟まずにお菓子を口に運んでいた。彼なりに、妹の自慢話を邪魔しないでおく優しさなのだ。
「あらあら、ルシアちゃんは大活躍だったのね。シンシア、お姉ちゃんはとっても強くて頼もしいのよ?」
リゼリアが揺りかごの中の赤ん坊に語りかけると、シンシアはルシアの作った極上の産着の中で、キャッキャと愛らしい声を上げて笑った。
その声を聞いたルシアは、自慢話をピタリと止め、どこか嬉しそうに照れくさそうに笑みを浮かべた。
「……ふん、当然ですわ。わたくしは世界で一番強いお姉様なのですから。シンシアが大きくなったら、もっとすごいお洋服をいくらでも創って差し上げますわ!」
南国の青空の下、本宮に響き渡る小さな女王様の高らかな宣言と、それを見守る家族の温かな笑い声。
帝都から遠く離れたアルヴェリアで、幼い異能の姫君と彼女を愛する家族の穏やかな時間は、陽光に包まれながらどこまでも優しく流れていった。
登場人物一覧表
■ 主要人物・親王家
ルシア(ルシア・フォン・セレスティア)
セシリアとイリアードの間に生まれた娘。前世は「ロシュワルト伯爵家の至宝」と呼ばれたシャルロッテ。生後間もなくから強大な「念動」「念創」「念話」「テレポート(空間移動)」などの異能を発揮する。高慢・天真爛漫・我儘な性格だが、家族思いで非常に聡明。「真理の光教団」を裏から設立・統制する。
セシリア
イリアードの側室でルシアの母。リヴィエール一族の血を引き、念動や念力、気流や潮流を操る異能を持つ。「水明将軍」の称号と軍権を持つ。ルミナリア出身。
リゼリア
イリアードの正妻(親王妃)でリアムとシンシアの母。念話・念視・予知の異能を司る。深い知性と慈愛を持ち、ルシアの計画の意図を一瞬で見抜く理解者。
イリアード
セレスティア親王。リゼリアとセシリアの夫であり、リアム、ルシア、シンシアの父。武術と軍政に優れ、厳格だが家族を深く愛する子煩悩な父親。
リアム
リゼリアとイリアードの間に生まれた長男(ルシアと同日生まれの腹違いの兄/弟)。父親譲りの武術や驚異的な体術の才能を持つ。
シンシア
リゼリアとイリアードの間に生まれた次女(ルシアの妹)。
■ 親王家を取り巻く人々・一族
フレデリカ・リヴィエール
イリアードの母(大御所)。かつて先帝の『御前琴師』および婕妤であった。あらゆる異能を使いこなす「オールラウンダー」で、アクアパレスや蓮花宮などを自ら「念創」した。ルシアの最大の理解者。
ベルナデット
完璧主義者の侍女。20歳で結婚し幸せな家庭を築くため旅立った。
エミーナ
セシリアとルシアに仕える侍女。リヴィエール一族の中でルシア・セシリアに次ぐ第3位の強大な異能を秘めており、ルシアの空間跳躍を追うことができる。軍服を纏い白兵戦でも圧倒的な強さを見せる。
ロゼッタ
セシリアやリゼリアに仕える侍女。慌てん坊だが一人前の侍女へと成長する。
ベルトト
セシリアやルシア、リアムの世話をする侍女。
■ 「真理の光教団」関係者・協力者
崔厳 / ゲンドラス・サイリュン
元燕国の宰相であり、新国を建国して王となった男。戦争に敗れて捕らわれ「ポチ」と呼ばれていたが、生後3ヶ月のルシアの手紙によって呼び寄せられ、「真理の光教団」の教祖「ゲンドラス・サイリュン」に立てられる。
スライロ・ハリス
元ダラーン王国の大臣で「至高の頭脳」と称された傑物。僻地に隠遁していたが、4歳のルシアに強引に連れ出され、サンブリアのアジール大聖堂の司教に任命される。
ヴォルフラム・フェイ
流浪の吟遊詩人であり、一騎当千の剣士。かつてアクスアルブ義勇軍で英雄ブランガ・オデュヌの「片翼」として活躍した。4歳のルシアのスケールの大きさに興奮し、服従を誓ってアンチアルマ大聖堂の司教となる。
カシアン・ヴァロア
アルストラーナ帝国の大提督(宦官)。征服艦隊を率いたが敗走し、ルシアの手助けでディヌイヤとの国交樹立やシューコルン占領を果たす。後に「名誉の戦死」を偽装され、シューコルンで教団の司教となる。
■ 帝国皇室・故郷の親族・他国関係者
アラリック
アルストラーナ帝国の皇帝。イリアードの異母兄。
ルネッタ・リヴィエール
セシリアの妹で、皇帝アラリックの「徳妃」。翡翠宮の正主。
イスファ
ルネッタとアラリックの間に生まれた第4皇子(ルシアやリアムの従弟)。絵が得意。
ロザリア
皇帝アラリックの皇后。シュタインベルク家の娘。
イスマ
アラリックとロザリアの間に生まれた第二皇子。
アルベール&エレノア
セシリアとルネッタの両親(ルシアの祖父母)。アルベールはリヴィエール商会ルミナリア支社の支社長を務める。
ボロ・ディヌイヤ
南洋の巨大王国「ディヌイヤ」を統べる圧倒的な覇王。ルシアの異能と介入により帝国との通商条約を結ぶ。
用語集一覧表
セレスティア親王国 / アクアパレス
アルストラーナ帝国領内の親王国およびその首都。運河網が張り巡らされた「水の都」。
リヴィエール一族
常人を遥かに超える念力・念動・念創・念話・予知・テレポート(空間移動)などの「異能」を血統的に受け継ぐ特別な一族。
ルシア宮
生後6ヶ月のルシアが無意識の異能で生み出した、ガラスと白大理石で構成された幻想的な小宮殿。
真理の光教団
表面上の繁栄の陰で虐げられた貧民や被搾取層を救済する名目で、ルシアが仕掛けた新興宗教組織。宗教を通じて莫大な資金を回収し、リヴィエール商会を経由して帝国の国庫へと流す巨大な経済・政治循環システムを担う。
ゲンドラス・サイリュン
崔厳が「真理の光教団」の教祖として名乗る神聖な偽名。
花の都ルミナリア
300年間戦火を免れてきた花と芸術の都市。富裕層と貧困層の二極化・固定化という闇を抱えていた。セシリアの故郷。
エレスティアル大聖堂
ルミナリアの西にあるニルニラ家の城を買い取り、ルシアの資金と指示によって「真理の光教団」の本山へと改造された大聖堂。
ブラッド・エミーナ
セレスティア水軍の新鋭高速艦。3本の斜めマストと「赤に黒百合」の紋章を掲げ、奇跡の特攻隊長・エミーナの名を冠している。
翡翠宮
帝都ラーナの後宮内にある宮殿。かつてフレデリカやセシリアが過ごし、現在は徳妃ルネッタと第4皇子イスファが住まう。
ディヌイヤ
南洋の果てに位置する巨石文化を持つ巨大王国。褐色の肌の戦士たちが暮らし、言語も通じなかったがルシアの異能により親交が結ばれた。
シューコルン
大陸中の富や異国の高級香辛料・絹が集まる有数の港湾都市。「金と欲望が渦巻く自由の都」であり、南洋・西海貿易の重要拠点。




