『転生姫の蓮花宮演奏会』
帝国歴310年11月。
毎年、セレスティアを挙げて盛大に催される収穫祭が滞りなく終わりを告げた頃、海から吹き付ける風にはすっかり秋の深まりと冬の足音が混じり始めるようになっていた。
アクアパレスの広大な敷地の一角、静謐な空気が漂う『蓮花宮』。そこは、アルヴェリア親王イリアードの母であり、この地に暮らす者たちから深く敬愛される大御所、フレデリカ・リヴィエールの居宮であった。
フレデリカの半生は波乱に満ちていた。十三歳で帝都の教坊にて女楽となり、古琴の類まれなる名手として頭角を現した彼女は、先帝ヴィンセントに見出されて『御前琴師』として激しく寵愛された。やがて婕妤しょうよの位を賜り、イリアードを生んだ過去を持つ。
そんなフレデリカがこの日、二人の嫁と三人の孫たちを自らの居宮へと招待していた。目的は、温かいお茶と菓子を囲みながら、久しぶりに自らの琴の音色を聴かせ、共に音楽を楽しむためである。
「お義母様、お招きくださりありがとうございます。本日はお言付通り、大切に保管しております二十五弦の箏を持参いたしましたわ」
親王妃リゼリアが、侍女のロゼッタに抱えさせた美しい二十五弦の箏を示しながら淑やかに会釈した。もう一方の腕には、生後三ヶ月の次女シンシアを優しく抱きかかえている。
その隣では、側室のセシリアが四歳の娘ルシアの手を引いて微笑んでいた。セシリアの背後では、侍女のエミーナとベルトトが大事そうに一架の古琴を抱えている。
リゼリアとセシリアにとって、この蓮花宮とフレデリカは特別な存在であった。
リゼリアは十歳から十六歳までの六年間、かつて後宮にあった『翡翠宮』にてフレデリカの侍女を務めた経緯がある。その際に師と仰ぐフレデリカから贈られた二十五弦の箏を、今でも宝物として肌身離さず手入れし、大切に保管していたのだ。
一方のセシリアもまた、九歳から十五歳までの六年間、同じく翡翠宮でフレデリカの侍女として仕えた。セシリアもかつてフレデリカから素晴らしい古琴を贈られていたのだが、数年前、娘のルシアが赤ん坊の頃に激しく泣きじゃくった際、その異能の余波で琴が割れてしまったという苦い過去があった。セシリアはすぐさまフレデリカに事の顛末を報告して深く謝罪し、現在は自らの「念創」の力によって破片一つ違わぬ精巧な代替品を作り上げ、大切に保管し持参していたのである。
「まあ、リゼリア、セシリア。よく持ってきてくれましたね。さあ、遠慮せずに上がりなさい。リアムも、ルシアも」
フレデリカが柔らかな笑みを浮かべて手招きすると、侍女たちの手によって手際よく湯気を立てる極上の茶と秋の焼き菓子がテーブルへ運ばれていった。
「おばあ様ーっ! ルシアもお琴を弾いて差し上げますわ!」
セシリアの手を振り払うようにして真っ先にフレデリカの元へ駆け寄ったのは、四歳の姫君ルシアであった。
高慢で我儘、天真爛漫な小さな女王様。だがルシアには、叱られた際に異能の空間跳躍テレポートでこっそり蓮花宮へ抜け出し、フレデリカに甘えに来るという秘密があった。一族最強の異能を持つルシアは誰よりも祖母想いであり、日頃から「念創」の力で創り出した品々をプレゼントしていたが、このアクアパレスやフロスト・ヴァイス城、そして蓮花宮そのものがかつて祖母フレデリカの念創によって作られたという事実を、四歳のルシアはまだ知らない。
「まあ、ルシアも弾いてくれるの? でも、ルシアのお琴はあるのかしら?」
フレデリカが優しく問いかけると、ルシアは待ってましたとばかりにニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「ふふん! 忘れたなら創ればよろしいのですわ! 見ていらっしゃいな!」
ルシアが可憐な両手をかざすと、黄金色と真珠色の光の粒子が室内にはじけた。大気が心地よく震え、光が収まった次の瞬間——ルシアの前には、リゼリアの持参した品よりも一回り小ぶりで愛らしく、しかし絢爛豪華な装飾が施された極上の『二十五弦の箏』が、雲の中から現れたかのように出現していた。
「まあ……! 寸分の狂いもない、見事な二十五弦の箏ですこと……」
リゼリアとセシリアが感嘆の声を漏らし、侍女のロゼッタ、エミーナ、ベルトトも感心したように目を丸くする。
「どうですの! わたくしの特別な『念創』で創った、特製の二十五弦箏ですわ! おばあ様もリゼリア義母様も、驚きましたでしょう!」
誇らしげに胸を張るルシアに、武術と体術の天才である四歳の異母兄リアムが呆れ顔で苦笑した。
「ルシア、お自慢はそれくらいにしておきなよ。おばあ様たちが困っちゃうじゃないか」
「なにい言っていますの、リアム! 臆病なリアムにはこの芸術の素晴らしさが分からないのですわ!」
「ふふ、二人とも仲が良いですね。……よし、それでは今日は皆で音を合わせましょうか」
フレデリカが朗らかに微笑み、紫檀の台座に据えられた自らの古琴へと歩み寄った。
フレデリカの古琴、セシリアの念創による古琴、リゼリアの思い出深い二十五弦の箏、そしてルシアがその場で見事に創り出した小さな二十五弦の箏。
四架の琴が並び、準備が整った。
「参りますよ」
フレデリカが弦に細く美しい指先をかけると、一風の秋風のような澄んだ一音が鳴り響いた。かつて帝都の教坊で並ぶ者のない名手と謳われ、先帝を魅了した『御前琴師』の技である。
それに合わせ、リゼリアが優雅に二十五弦の箏を爪弾く。流れるような美しいアルペジオが重なり、楽曲に深い奥行きを与えていく。続いてセシリアが静かに古琴の弦を弾き、低く温かな音色で全体を包み込んでいった。
そして、ルシアである。
ルシアは真剣な眼差しでちいさな指を動かし、自ら創り出した二十五弦の箏を奏で始めた。
最初はたどたどしかったものの、持ち前の高い知能と感性によって、フレデリカたちの紡ぐ主旋律に見事に応えていく。澄んだ高音がキラキラと光の粒のように弾け、重厚な古琴と可憐な二十五弦の箏の音色に見事な彩りを添えていった。
四人が奏でる合奏の旋律は、蓮花宮の部屋を満たし、秋の空へと心地よく響き渡っていく。
幼いリアムも膝の上に手を置き、うっとりとその合奏に耳を傾けていた。リゼリアの腕の中にいる生後三ヶ月のシンシアは、心地よい重奏の響きに揺られながら、可愛らしい手足をぽてぽてと動かして満足そうに微笑んでいる。
曲がクライマックスを迎え、四人の呼吸が一つに重なる。
最後にフレデリカの古琴と、ルシアの二十五弦箏の音が美しくハーモニーを奏で、静かに余韻を残して締めくくられた。
「……素晴らしい合奏でしたわ、お義母様。ルシアも、本当に見事でしたよ」
リゼリアが感極まったように溜息を漏らすと、セシリアも愛おしそうに娘を見つめた。
「ふふん! 当然ですわ! わたくしとリゼリア義母様、おかあ様、そしておばあ様の四人が揃えば、世界で一番美しい合奏ができるに決まっていますもの!」
ルシアは誇らしげに胸を張り、フレデリカの元へ駆け寄ってその腕に飛び込んだ。
「ねえ、おばあ様! ルシアの二十五弦の箏、とっても良い音が鳴りましたでしょう!?」
「ええ、本当に……胸が熱くなるような、素晴らしい音色でしたよ、ルシア」
フレデリカは目尻を下げて優しくルシアを抱き上げると、その可憐な頭を何度も撫でた。
祖母の温かな腕の中で、自慢げに鼻を鳴らす小さな女王様。自分が創り出す品々の何倍も広大で美しいこの宮殿群を、かつてこの優しい祖母が異能で創り上げたのだとはまだ知らぬまま、ルシアは満足そうに微笑むのだった。
それを見守るリアムの優しい苦笑いと、リゼリア、セシリアの和やかな笑顔。
秋風が吹き抜ける十一月のアクアパレス。『蓮花宮』には、三世代の絆が奏でた至高の合奏の余韻が、いつまでも優しく、温かく響き渡っていた。




