『転生姫、帝都ラーナへ行く』
アルストラーナ帝国の帝都ラーナ。その中央に君臨する巨大な白亜宮は、夏の強い日差しを受けて眩いばかりの純白を誇っていた。
しかし、その壮麗な建築とは裏腹に、宮廷の空気は冷ややかに澄み渡っている。冷徹な支配者として恐れられる皇帝アラリックの治世において、無用な私情や甘えが許される隙間などどこにもなかった。
ただ一つ、例外を除いては。
皇帝の私的な謁見の間。重厚な絨毯が敷き詰められた静寂の空間に、一組の家族が足を踏み入れていた。
セレスティア親王イリアード、その側室セシリア、そして二人の四歳になる子供たち——リアムとルシアである。親王妃リゼリアは生後一ヶ月の娘シンシアを出産したばかりのため、アクアパレスで留守番となっていた。
「面を上げよ、我が弟よ」
玉座に腰を下ろしたアラリックが、厳かな声を響かせた。その隣には、気品と冷ややかな威厳を纏った皇后ロザリアが座し、さらにその傍らには八歳になる第一の血統・第二皇子イスマが背筋を伸ばして立っている。
ロザリアはかつて宮廷を支配していたシュタインベルク家の娘であり、アラリックの大粛清によって一族を失った過去を持つ。自らの息子イスマを後継とする密約と引き換えに惨劇を黙認した彼女の瞳は、いまや異能の血を引くリヴィエール家の者たちをどこか疑わしげに思っている。
「遠路遥々よく参った。……セシリア、まずは先の戦功、見事であったぞ」
アラリックの視線がセシリアへと注がれる。
大国ディヌイヤとの国交を樹立しながらも南海の海賊と嵐によって半数を失い、瀕死の重傷を負っていたカシアン艦隊。セシリアは自らセレスティア艦隊を率いてこれを救出し、要衝シューコルンの占領という大功を立ててみせたのだった。
「勿体なきお言葉にございます、陛下。臣下の務めを果たしたまでに過ぎません」
セシリアは深く頭を垂れた。 しかし、その心内は冷や汗で満ちている。
(まさか……シューコルン占領の裏で、この四歳のルシアが参戦し、天変地異のごとき異能で暴れ回ったなど、口が裂けても言えませんわ……)
ルシアが持つ凄まじい異能の力は、一族の中で固く秘匿されている。皇帝や皇后に知られれば、無用の警戒を呼び、最悪の場合は皇室への脅威として処分されかねない。ましてや四歳児が戦場を支配したなど、非現実的すぎて報告すらできなかった。
セシリアの隣では、イリアードもまた気が気ではない心地でいた。
イリアードの視線は、セシリアの脇に立つ娘・ルシアへと向けられている。
ルシアはセシリア譲りの可憐な容姿を持ちながら、その性格は高慢で我儘、天真爛漫の極み。皇室に対する不敬や失言は、最悪の場合『不敬罪による死罪』を意味する。ヒヤヒヤしながら娘の動向を見守るイリアードだったが、当のルシアはどこ吹く風といった顔で、小さな顎をすんと上げていた。
もっとも、非常に聡明なルシアは、いま誰に対して口を開くべきではないかという「引き際」は完璧に弁えている。猫をかぶったように大人しく佇む姿は、まるで精巧に作られた愛らしい人形のようであった。
そのルシアの足元で、同じく四歳のリアムが小さな吐息をついた。
父親譲りの武術の才能を秘めたリアムは、日頃から我儘なルシアの八つ当たりの標的となっている。ルシアが気まぐれに飛ばしてくる異能の余波や小突くような攻撃を、リアムは驚異的な体術で辛うじて怪我のない程度にかわし、防御し続けていた。
(お願いだから、ここでは大人しくしていておくれよ、ルシア……)
リアムの無言の祈りが通じたのか、謁見は何の過失もなく円滑に執り行われた。
アラリックは冷徹な支配者でありながら、異母弟であるイリアードには絶大な信頼を寄せている。臣下たちが兄弟の仲を引き裂こうと長年暗躍し続けているが、アラリックの信義が揺らぐことはなかった。
「カシアンは名誉の戦死を遂げたが、セシリアの働きによってシューコルンを得、ディヌイヤとの交易の道は護られた。……イリアード、久々に弟やその幼子たちと顔を合わせたく思ってな。今宵は旅の疲れを癒す度が良い」
「はっ。陛下の過分なるご配慮、深く感謝申し上げます」
イリアードが深く礼を執り、緊張感に満ちた第一幕の謁見は幕を閉じたのであった。
◇
拝謁を終えた親王一家が案内されたのは、後宮の一角に建つ『翡翠宮ひすいきゅう』であった。
本来、皇帝以外の男子が後宮に留まることは厳しく制限されるが、セシリアの妹であるルネッタが『徳妃』としてこの館に住まわされていること、そして何よりこの宮が持つ特殊な由緒ゆえに、私的な滞在が許されたのである。
翡翠宮はかつて、先帝の『御前琴師』であり婕妤でもあった名手、フレデリカ・リヴィエールに下賜された特別な宮であった。イリアードが生まれ育った場所であり、セシリアにとっても九歳から十五歳まで侍女として過ごした、思い出深い場所である。
「まあ! お姉様、イリアード様! よくぞおいでくださいました!」
白亜の石柱に囲まれた中庭で一家を出迎えたのは、華やかで心温まる笑顔を浮かべた徳妃ルネッタであった。その腕には、四歳になる第四皇子イスファが抱かれている。
「ルネッタ、息災だったようですね。……ここは本当に、少しも変わっていないわ」
セシリアが感極まったように周囲を見回す。その背後では、今回は不在の親王妃リゼリアに代わりリアムの世話を引き受けた侍女ベルトトと、セシリアの側近であるエミーナが、手際よく荷を運び込んでいた。
「ルシアちゃん、リアムちゃんも、ようこそいらっしゃい。イスファ、従弟と従妹ですよ」
ルネッタが優しく声をかけると、幼いイスファは人見知りをしながらも好奇心に満ちた目で二人を見つめた。
すると、それまでお行儀よく固まっていたルシアが、ふっとドレスの裾を摘み上げると、小さな胸を張ってルネッタに近づいていった。
「おば様、お久しぶりですわ! イスファもお元気そうで何よりですこと!」
「ええ、ルシア。相変わらず可愛らしいわね」
ルネッタが微笑むと、ルシアは誇らしげにクスリと笑い、セシリアとイリアードの方を振り返った。
「ふふん! お父様、おかあ様。驚くことはありませんわ。わたくしとルネッタおば様、それにイスファは、もうすでにお友達なのですから!」
「……はい?」
セシリアの動きがピタリと止まった。イリアードも目を丸くしている。
「……ルシア、今なんと言いましたの?」
「ですから、前にお友達になりに来たと言っていますのよ! 四ヶ月ほど前かしら? わたくし、このお宮の庭にテレポートして遊びに来ましたの!」
「〜〜〜〜〜っ!?」
セシリアの顔から一瞬で血の気が引いた。イリアードに至っては、絶句したまま喉を鳴らしている。
後宮は皇帝の身内以外の立ち入りが厳しく制限される聖域であり、許可なき侵入はたとえ幼子であっても重罪、最悪の場合は死罪に相当する行為である。ましてや「空間跳躍の異能」を使って極秘裏に侵入したなど、公になれば皇宮全体を揺るがす大スキャンダルだ。
「ル、ルシア……! あなた、一人で帝都の……後宮まで飛んだというのですか!?」
「ええ! とっても簡単でしたわ! ルネッタおば様とお茶を飲んで、イスファとおもちゃで遊んであげましたの!」
無邪気に笑うルシアの横で、ルネッタが困ったように頬に手を当てて微笑んだ。
「ふふ、お姉様、驚かせてしまってごめんなさい。あの時は私も本当に驚きましたのよ。急に庭の空間が歪んだかと思ったら、ルシアちゃんがちょこんと立っていらして……。でも、非公式の面会は皇宮の掟に触れてしまいますから、私とイスファだけの秘密にしておいたのですわ」
「お、お前という子は……! どれだけ命知らずなことを……!」
セシリアはめまいを覚えて額を押さえた。シューコルン戦への密かな参戦といい、後宮への不法侵入といい、この四歳の娘が抱える秘密の破壊力は、アルストラーナ帝国の全軍に匹敵するほど恐ろしい。
「まあまあ、セシリア。無事だったのだし、ルネッタも秘密にしてくれたのだから……」
イリアードが慌てて妻を宥めようとするが、セシリアの鋭い眼光に射抜かれ、小さく縮こまった。
「ふん! おかあ様もお父様も心配性すぎますわ! わたくしはちゃんと、誰にも見つからないように上手にテレポートしましたのよ!」
高飛車に胸を張るルシアだったが、急に後ろから飛んできた気配に気づき、素早く身をかわした。
サッ!
ルシアが立っていた場所を、リアムが小柄な体躯を滑らせるようにして通り抜ける。ルシアが思わず八つ当たりで放った小さな衝撃波を、リアムは天才的な体術で見事に察知し、かわしてみせたのだ。
「ちょっとリアム! わたくしの華麗な自慢話の邪魔をしないでくださる!?」
「ボクは何もしてないよ……ルシアが急に後ろに飛んできたんじゃないか」
不満そうに呟くリアムを見て、緊張に包まれていた大人たちの間に、ふっと柔らかな苦笑が漏れた。
思い出深き翡翠宮。かつてセシリアやイリアードが過ごしたその場所で、幼い子供たちの賑やかな声が響き渡るのであった。




