『転生姫の隠蔽工作』
ディヌイヤの王宮を揺るがした大宴会が幕を閉じ、熱帯の夜風が心地よく吹き抜ける頃——。
異国との歴史的な条約を調印させ、二万七千の兵たちの命を救った最大の立役者である四歳の姫君ルシアは、宴の余韻が残る王宮のテラスで、可愛らしく腕組みをしていた。
その傍らには、軍服姿の侍女エミーナが静かに控えている。
そして、ふたりの前で滝のような冷や汗を流しながら、今にも潰れそうな蛙のように縮こまっているのは、南洋侵攻船団の総指揮官、四十二歳の宦官カシアン・ヴァロア提督であった。
「……あの、ルシア様……? 何でございましょうか、そのお顔は……」
カシアンが震える声で尋ねる。
ルシアはセシリア譲りの大きな瞳をジロリと見開くと、小さな腰に手を当て、つんと澄ました顔でカシアンを指さした。
「カシアン。あなたはルシアに、計り知れないほど大きな『貸し』ができましたわね?」
「は、はいっ! 仰る通りにございます! ルシア様がおいでにならねば、我らは言葉も通じず、全滅するか手ぶらで逃げ帰るしかございませんでした! このカシアン、生涯このご恩は忘れません……!」
カシアンは砂浜に頭をこすりつけんばかりの勢いで平伏した。
しかし、ルシアはふんっと鼻を鳴らすと、ぷくっと頬を膨らませた。
「違いますわ! 感謝してほしいわけではありませんの! 問題は……ルシアがここに来て、こんな大活躍をしたことが『アクアパレス』にバレたら、とっても気まずいということですわ!」
「……へ?」
カシアンがポカンと間抜けな声を上げた。
ルシアは周囲を警戒するように小さな声をひそめ、真剣な表情で言った。
「おかあ様セシリアやおとう様イリアードに、『ルシアが勝手に3300㌔も離れた南洋の島に行って、2万7千人の兵隊さんを仕切って、異国の王様とお友達になりました』なんて知られたら……『勝手なお出かけをしてはいけません!』って、絶対にお説教されてしまいますもの!」
四歳児らしい、あまりにも切実で可愛らしい理由。 大遠征の成功や歴史的快挙などよりも、ルシアにとっては「母セシリアに怒られること」の方が遥かに重大な危機だったのだ。
「と、いうわけで! ルシアがここに来たことは、ぜーったいに『秘密』ですわ!」
「は、はいっ! もちろんでございます! 誰にも口外いたしません!」
「口で言うだけなら簡単ですわ。……だから、念には念を入れますの!」
ルシアが小さな両手を広げると、可憐な指先から淡い真珠色の光がふわリと広がった。
光は夜風に乗って広がり、砂浜や船上にいる二万七千の帝国兵たちのもとへと瞬く間に届いていく。
「……な、何をなさるおつもりで……!?」
「兵士さんたちの記憶を、少しだけ書き換えて差し上げますの。『すっごく親切で言葉のわかる親切な精霊様がやってきて、通訳をしてくれた』ということに組み替えておきましたわ! これでルシアの名前も、顔も、誰の記憶にも残りませんの!」
あまりにもあっさりと、二万七千人もの人間の記憶を改変してみせたルシアの規格外な異能に、カシアンは背筋が凍る思いだった。
ルシアはカシアンの鼻先数センチまで顔を近づけると、ニタリと小さく悪魔的な微笑みを浮かべた。
「カシアン。あなたの記憶は消していませんわ。……もし、アクアパレスに戻って誰かにルシアやエミーナのことを喋ったら……カシアンのお顔を、巨大なカボチャに変えてしまいますからね! 覚えていらっしゃい!」
「ヒィィィッ……!? ぜ、絶対にお話しいたしません! 死んでも墓場まで持っていきますゆえ、何卒ご容赦をぉぉぉっ!」
カシアンは顔を蒼白にして、何度も何度も地面に頭を打ち付けた。
「ふふん! 良いお返事ですわ!」
満足したルシアはくるりとドレスの裾を翻した。
隣で見ていたエミーナは、呆れたようにクスリと笑うと、優しくルシアの頭を撫でた。
「ルシア様、お仕置きの脅しはお見事でしたが……そろそろ本当にお屋敷へ戻りましょうね。セシリア様がそろそろお目を覚まされる時間ですわ」
「大変! おかあ様が起きちゃいますわ! エミーナ、急いで戻りますわよ!」
「はい、ルシア様」
軍服姿のエミーナがルシアの手を優しく握りしめる。
「ではカシアン提督。南洋の成果、楽しみにしておりますね」
「は、はいっ……! お気をつけてお帰りくださいませ……!」
次の瞬間、眩い光の粒子がふたりを包み込み、ルシアとエミーナの姿は一瞬にして跡形もなく消え去った。
南洋の静かな夜風だけが残されたテラスで、カシアン提督はへたり込み、胸を撫で下ろした。
(お、恐ろしい……四歳にして、世界を裏から支配するごとき圧倒的な力と知恵……! だが……命を救われたのは確かだ。この秘密は、何があっても絶対に死守せねば……!)
◇
その頃、アクアパレスの『ルシア宮』。
テラスのやわらかな日差しの中で、セシリアがゆっくりと目を覚ました。
「うん……ふぁ……。あら、私、少し眠ってしまっていたかしら……」
セシリアが目をこすりながら起き上がると、目の前には、絵本を開いてちょこんと座っている可愛らしいルシアの姿があった。その傍らには、いつもの慎ましい侍女服に着替えたエミーナが、穏やかな笑顔でお茶を注いでいる。
「おかあ様! お目覚めになりましたのね!」
ルシアは愛くるしい笑顔でセシリアに飛びついた。
「あら、ルシア。ずっとここでお利口にしていたの?」
「もちろんですわ! ルシアはずーっとおかあ様の側で、エミーナとおしとやかにお絵描きをして遊んでいましたのよ! ねー、エミーナ?」
ルシアが振り返ってウインクしてみせると、エミーナはクスクスと笑いながら優しく頷いた。
「ええ、セシリア様。ルシア様はとってもお利口さんに、一歩もここを離れずにお過ごしでしたわ」
「そう、良かったわ。ふふ、二人ともありがとうね」
セシリアは何も知らず、愛おしそうにルシアの小さな頬に口づけを落とした。
ルシアは母の胸に顔を埋めながら、エミーナと顔を見合わせて「ふふん!」と満足そうに微笑み合った。
地球の反対側で二万七千の兵を救い、巨大王国との歴史的国交を樹立してきたばかりの四歳の小さな女王様は、今日も完璧に秘密を守り抜き、大好きな母親の腕の中で、世界で一番幸せな子供としての時間を楽しむのであった。




