『転生姫の謁見と国交樹立』
南洋の果てに浮かぶ巨大王国『ディヌイヤ』の砂浜は、かつてない熱気に包まれていた。
「ルシア様、そろそろお昼寝の時間ですので、お屋敷へ戻りましょうね」
軍服姿のエミーナが優しく促すと、四歳の姫君ルシアは、セシリア譲りの可憐な金髪をなびかせ、小さな腰に手を当てて「ふんっ!」と盛大に突っぱねた。
「嫌ですわ! せっかくこんな面白いところに来たのですもの! お昼寝なんてしていられませんわ! ルシアはディヌイヤの王様にお会いしに行きますの!」
「……ルシア様……」
エミーナは苦笑いを浮かべながらも、その瞳には深い諦めと溢れんばかりの愛おしさが宿っていた。この幼い主人が一度言い出したら、たとえ世界がひっくり返ろうと引き下がらないことを、一番よく知っているのは自分なのだから。
「分かりましたわ。ですが、セシリア様へは私の異能で『ルシア様とディヌイヤの王宮へ行ってまいります』と念話を飛ばしておきますね。……カシアン提督、案内させなさい」
「は、ははぁっ! 直ちに!」
二万七千の兵を率いる四十二歳の宦官提督カシアン・ヴァロアは、砂浜でドタバタと平伏した。四歳児の威厳と、その傍らに立つ軍服姿の侍女エミーナが放つ隠された強者の気配に、提督としてのプライドなど一瞬で吹き飛んでいた。
こうして、異国船団の精鋭警護隊とカシアン、軍服姿のエミーナ、そして可憐なドレスを纏った小さな女王ルシア一行は、ディヌイヤの戦士たちに案内され、未知の大陸の奥深くへと踏み入ったのであった。
◇
熱帯の密林を抜けると、そこに広がっていたのは幾何学的な美しさを持つ巨石文化の都だった。 赤土と漆黒の玄武岩で組み上げられた巨大な建造物群。陽光に映える美しい褐色の肌をした人々が、見たこともない異国の衣装に身を包んだ一行を、驚愕と畏怖の目で見送っている。
都の真ん中に聳え立つのは、天を突くような三段の石造り宮殿——ディヌイヤ王宮であった。
重厚な鉄木てつぼくの扉が押し開かれ、一行は大広間へと通された。 広間の最奥、煌びやかな金と珍しい巨獣の皮で飾られた玉座に腰掛けていたのは、ディヌイヤを統べる絶対者、国王ボロ・ディヌイヤであった。
鋼のような筋骨と、燃えるような眼光を持つ巨大な王。周囲を固める近衛兵たちは鋭い槍を構え、異邦人であるカシアンたちを殺気立った目で見下ろしている。
カシアンは恐怖のあまり膝をガクガクと震わせ、今にも倒れそうになっていた。
(……あ、圧力が凄まじい……! これが陸の孤島を束ねる覇王の気風か……! 言葉も通じぬ相手に、一歩間違えれば首が飛ぶ……!)
カシアンが息を詰まらせていた、その時である。
「まあ! なにやら厳めしいお顔をしたおじ様ですわね!」
ピンと静まり返った大広間に、あまりにも不釣り合いな可憐で高い声が響き渡った。
ルシアである。 ルシアはカシアンの前にすたすたと歩み出ると、小さな腰に手を当て、玉座の国王を見上げてつんと胸を張った。
「ヒッ……!? ル、ルシア様、お控えくださいっ!」
カシアンが泡を喰って制止しようとしたが、ルシアは意にも介さない。
玉座の国王ボロが、不審と驚愕の入り混じった表情で身を乗り出し、地の底から響くような重厚な声で異国の言葉を放った。
「(何者だ、肌の白い異邦人どもよ。我が王宮に何をしに来た。我が槍の錆となりたいのか!)」
威圧感あふれる覇王の咆哮。並の兵士なら腰を抜かすほどの殺気であった。
しかし、ルシアは怯むどころか、ぷくっと頬を膨らませて不満そうに「むぅ」と声を上げた。
「声が大きいですわ、王様! ルシアはお耳が良いのですから、そんなに怒鳴らなくても聞こえますの!」
ルシアが可憐な足で大理石の床を「とん!」と踏み鳴らした。
その瞬間——広間全体に、眩い黄金色と真珠色の光の粒子がふわリと舞い散った。
ルシアの絶対的な異能。空間も、言語も、理すらも書き換える神のごとき力が発動したのだ。
「……!? (な、なんだこの光は……!?)」
国王ボロも、近衛兵たちも、目を見開いて絶句した。 光の粒子が肌に触れると、胸の中にあった警戒と殺気が、春の雪解けのようにすーっと消え去っていく。そして何より——幼い少女が口を開いた瞬間、その言葉が直感的な「意味」として、脳内に直接響き渡ったのだ。
「ごきげんよう、ディヌイヤの王様! ルシアはアルストラーナ帝国から参りました、世界で一番可愛くて偉い姫君、ルシアですわ!」
可憐なお辞儀を見せるルシア。
王宮全体が静寂に包まれた。言葉が通じている。それどころか、目の前の少女から溢れ出る光は、ディヌイヤの古き神話に語り継がれる「光の精霊」そのものではないか。
「(お、おお……光の姫……よ……)」
国王ボロは思わず玉座から立ち上がり、威厳に満ちていた顔を驚愕に歪ませた。
「ふふん! 驚きましたかしら? ルシアが通訳をしてあげますから、ちゃんと我が国のお話を聞きなさいな! さあカシアン、前へ出なさい!」
ルシアが振り返って指示を出すと、カシアンは涙目になりながら這うように前へ出た。
「は、はいっ……! 拝啓、ディヌイヤ国王陛下……! 我らはアルストラーナ帝国より参った友好船団にございます……!」
ルシアが小さな手を振るたび、カシアンの言葉が完璧なディヌイヤ語に変換され、王宮全体に優雅に響き渡る。さらにルシアの合図で、帝国兵たちが運んできた高級な絹織物、色鮮やかな磁器、そして芳醇な香りを放つ茶葉が献上された。
「(……なんと美しい布だ。この器の滑らかさはどうだ……! これほど見事な財宝は見たことがない!)」
国王ボロは目を見開き、磁器のカップを手にとって感嘆の声を上げた。
ルシアは自慢げに胸を張り、高慢かつ天真爛漫に言い放った。
「でしょう! ルシアのお国の宝物は世界一なのですわ! これをたくさんあげますから、あなたたちも美味しいお肉や綺麗な果物をルシアたちに頂戴ね!」
国交、通商、交易——大人の政治家たちが数年かけてもまとめられない歴史的な「条約」が、四歳児の「お友達になろう」という我儘によって、わずか数分のうちに締結されようとしていた。
国王ボロは豪快に笑い声を上げると、玉座から降りてルシアの前に膝をついた。
「(素晴らしい! 異国の光の姫よ、我がディヌイヤはアルストラーナ帝国と永遠の友となろう! 宴だ! 今宵は最高の宴を開くぞ!)」
「わぁーい! 宴会ですわ!」
ルシアは嬉しそうに手を叩いて喜んだ。
カシアン提督は、その光景を夢でも見ているかのような心地で見つめていた。二万七千の兵の命がかかった大遠征。敗北か、全滅かと思われた南洋侵攻が、一人の四歳児の存在によって「歴史的な大成功」へと塗り替えられたのだ。
「……ルシア様……誠に、誠に……神の如きお方にございます……!」
カシアンが涙を流して平伏すると、ルシアの傍らに立っていた軍服姿のエミーナが、クスリと気品ある笑いをこぼした。
「カシアン提督。ルシア様は神様ではなく、親王殿下の愛しいお娘様ですよ。……さあ、ルシア様、宴が終わったら今度こそ本当にお昼寝をしていただきますからね?」
「えー? エミーナはお堅いですわ!」
「お堅くて結構です。セシリア様へのお土産の果物も、たくさん選んでおきましょうね」
「まあ! それはとっても良い考えですわね!」
黄金の光が差し込むディヌイヤの王宮で、四歳の小さな女王ルシアと、彼女を支える凛々しき侍女エミーナ。 未知の大陸の王をも従わせた幼き姫君の笑顔は、南国の太陽よりも眩しく、晴れやかに輝いていたのであった。




