『東雲の炎と黄緑の誓い』
九月の風が神域の木々を揺らし、四つ葉堂の静寂をわずかに揺らしていた。境内に満ちる凛とした空気の中、足音がひとつ、土を踏み散らすように響いてくる。
クローバー畑のうさぎ達が驚き、目を丸くして来客に注目した。
「あら。ここが噂の四つ葉堂なのかしら? なんか思っていたのとは違ったわ」
現れたのは、新たに皇太子の側室として入宮したばかりの女だった。身に纏う絢爛な衣とは裏腹に、その立ち振る舞いには浅はかな慢心と世間知らずな慢気が透けて見えている。
迎えるココロギは、以前のシェルランテによる治療ミスによって、その身体の年齢が小さく巻き戻ってしまっていた。幼き姿となりながらも、彼女の背筋はすっきりと伸び、巫女としての凛とした気品を失ってはいない。けれど、あまりに幼い見た目ゆえ、無体な言葉を投げてくる相手に対してはいかにも分が悪かった。
「ようこそ。お越しくださいました。神の御加護がございますよう」
ココロギはそっと目をとじ、深々と丁重に頭を下げた。澄んだ声には咎める色ひとつない。しかし女は、その丁寧さをかえって見下すように、細い右手を憎たらしくブラブラと振ってみせた。
「神秘札とやらをもらえる? あんまり興味ないけど、どんなものか貰ってあげるわ」
軽薄な嘲笑の乗った言葉。ココロギはゆっくりと顔を上げると、静かに首を振った。
「申し訳ございません。今、心が乱れておりまして、神秘札を作る事ができません。日を改めてお越し下さいませ」
その静かな拒絶に、女は目を極限まで見開いた。顔を真っ赤に染め上げ、金切り声を張り上げる。
「何ですって! 私と会ったから、心乱れたとでもいうの? 巫女の分際で失礼な娘ね! いったい私を誰だと思っているの?」
「貴方は誰なの? 私はシンシアだけど」
高慢な叫びを切り裂くように、凛とした声が響いた。 堂の入り口に立っていたのはシンシアだった。その肩には、重厚な輝きを放つクリスタルロッド『東雲煌竜』が悠然と担がれている。
「シ、シンシア殿下……!?」
先刻までの高圧的な態度が一瞬で吹き飛び、女の顔から血の気が引いていく。皇族の威光を前に慌てふためき、身を縮こませた。
「す、すいません。用事を思い出しましたので、私はこれで失礼いたします!」
「待ちなさい!」
シャリン――。
澄んだ金属音が静寂を破った。東雲煌竜の先端にしつらえられた四つの金輪が小気味よく鳴り響き、翻った長柄が女の眼前に突き付けられて行き手を阻む。透明な水晶の奥深くでは、東雲色の炎がメラメラと不気味なまでに揺らめいていた。
「ココロギの代わりに、私が神秘札を作ってあげるわ」
「い、いや、そんな恐れ多い――」
「私の神秘札は受け取れないというの?」
シンシアの眼光が鋭く光る。その圧倒的な圧迫感は、かつて目にした『神託の聖母』であり『東海の鬼女』と恐れられたエミーナの立ち振る舞いそのものだった。
――とはいえ、真似事のハッタリに過ぎない。 覚えたてである神秘札の作成と、この威圧的な演技を同時に維持するのは至難の業だった。シンシアは心の中で冷や汗をかきながらも必死に精神を集中させ、一枚の紙へと霊気を注ぎ込む。やがて無事に札が形を成すと、胸の内でそっと安堵の息をついた。
「貴方の神秘札よ。ど、う、ぞ」
冷徹な微笑を装いながら差し出された紙面には、燃えさかる酷烈な炎に巻き込まれて苦悶する若き女の図柄。そして、禍々しいまでに力強い墨文字で、こう記されていた。
『神域での悪態。神の裁きを待て』
「ひ、ひぃ……っ!」
絵図を目にした瞬間、女は膝の力を失い、その場に崩れ落ちた。
「どうしましょう、私は恐ろしい罪を犯してしまいました! 『四つ葉様』、『神様』、『シンシア様』、どうぞお詫びいたします! どうか、どうかお許し願います! 二度とこのような態度はいたしません、お願いです……!」
両膝をつき、必死に合わせた両手を震わせながら、女はボロボロと涙を流して命乞いを始めた。シンシアはその姿を見下ろし、容赦なく畳みかける。
「神はお怒りです。一緒にいらっしゃい」
シンシアは怯えきる女を促し、礼拝堂の外へと連れ出した。九月の透き通る空の下、彼女は静かに『東雲煌竜』を高く掲げる。
瞬間、錫杖の先端から天に向かって、紅蓮の凄まじい火柱が咆哮とともに噴き出した。激しい熱風が境内を吹き抜け、空気を一瞬で灼き焦がす。
「ひ、ひぇぇーーっ!?」
腰を抜かした女に、シンシアは涼しげな顔で視線を送った。
「お帰りなさい。いつまでもいると危ないわ」
「は、はいぃっ! 失礼いたしますーっ!」
振り向くこともなく、着物の裾を振り乱して、女は成り振り構わず逃げ去っていった。
騒がしい足音が完全に遠のくと、境内には再び穏やかな静けさが戻ってきた。ココロギはふうと小さな溜め息をつき、困ったような苦笑いを浮かべながらシンシアを見上げる。
「殿下。ありがとうございます。……でも、あんまりいいやり方ではなかったわ」
「ごめんなさい。なんだか後に引けなくなっちゃって」
シンシアは申し訳なさそうに肩をすくめると、両手を合わせてココロギに頭を下げた。
「すごく反省してるわ。ほら、東雲煌竜も怒ってるみたい」
苦笑いしながら向かった祭壇には、あらかじめ横たえられていた法具『空斬水鏡』が静かに光をたたえていた。シンシアがその手で『東雲煌竜』と『空斬水鏡』をそっと繋ぎ合わせると、重厚な長柄となったクリスタルロッドは、まるで意志を得たかのように瑞々しい黄緑色のオーラを放ち始める。
柔らかな光が二人の表情を優しく照らし出した。
「だんだんすごい物を作っていくのね。私に使いこなせるかしら?」
幼い姿のココロギも、つられるように小さく笑い声を漏らす。その瞳には、先刻までの乱れはもう影を潜めていた。
「エミーナ様がブランガ・オデュヌにとどめを刺さなかったのは、私達に試験を残したのね」
「コテンパンにやられた私達に、リベンジしろってことかしら」
「仇を打たないとね」
「ええ。やるしかないわ」
繋がれたクリスタルロッドからあふれ出る黄緑の光を受けながら、ふたりは顔を見合わせ、力強く頷き合った。




