『自立と覚醒の光』
重厚なドアが重い音を立てて開いた瞬間、皇帝イリアードは思わずペンを止めた。
そこに立っていたのは、娘のシンシアだった。生後8ヶ月のシェルランテを胸に抱いている。
(……シンシアが、自分からこの執務室に来ただと?)
膨大な国政の書類に追われる激務の日々の中で、イリアードの胸に驚きと動揺が走った。不器用な父親である彼は、滅多に顔を見せない娘の訪れに内心焦りながらも、少しでも機嫌を取ろうと不器用に声をかける。
「ああ、シンシアか……。よく来たね。よし、何か美味しい茶菓子でも用意させようか?」
しかし、シンシアは静かに首を振った。
「いいえ、お父様。お茶菓子は結構です」
彼女の表情は真剣そのものだった。シンシアはまっすぐに父親の瞳を見つめ、今日ここへ来た本当の理由を語り始めた。
「お願いがあって参りました。どうか……聖ゲンドラス教国へ行くお許しをいただきたいのです」
「教国へ……?」
「はい。理由は自分でも上手く説明できません。けれど、あの国の聖都クリスタルヘイムへ行けば、私は何か大切なものを見つけられる……自分が変われるような気がしてならないのです。どうか、お父様。私のこの気持ちを理解して、行かせてください」
イリアードが心配そうな表情を浮かべると、シンシアは素早く言葉を付け足した。
「決して無茶な旅をするわけではありません。巫女のココロギを伴い、彼女の力で瞬間移動で行き、用が済めばすぐに瞬間移動で戻ってまいります。ですから、何の心配もいりません。ただ……お父様やお母様に内緒でそのような大切なことを決めたくはなかったのです。だから、正直にお話ししに来ました」
かつてのシンシアは、親とさえまともなコミュニケーションが取れず、いつも自分の部屋に閉じこもりがちだった。そんな娘が、自らの意志で瞳を輝かせ、言葉を尽くして願いを伝えている。イリアードの胸に温かな感慨が広がった。
「……そうか。お前がそこまで強く望み、自分で決めたことなら、行ってきなさい。ココロギが一緒なら、私も安心だ」
その言葉を聞いた瞬間、シンシアの顔に、イリアードがこれまで一度も見たことのないような眩しい笑顔が咲きこぼれた。
「お父様、ありがとうございます!」
彼女は小さなシェルランテをぎゅっと抱きかかえたまま、弾むような足取りでイリアードの胸へと飛び込んできた。娘の温もりと素直な感謝の言葉に、イリアードは感動のあまり、ふとうっかり口を滑らせてしまった。
「ああ、よかった……。しかしシンシア、シェルランテを抱いたままで重くはないのかい?」
その一言が発せられた直後、室内の空気が一変した。
抱きかかえられていたシェルランテの顔がゆがみ、突如として大粒の涙をこぼして泣き出したのだ。次の瞬間、部屋中に凄まじい衝撃波が駆け巡った。シェルランテの中に眠る「異能の力」が爆発したのだ。
ガシャン! パリン!
執務室に飾られていた高価な調度品、歴史ある壺、可憐な花が生けられた花瓶が、次々と粉々に砕け散り、床へと飛び散った。予期せぬ破壊の嵐に、イリアードは呆然と立ち尽くすしかない。
「シェルランテ、よしよし……大丈夫ですよ」
シンシアが優しく抱きしめ、根気強く宥めると、ようやくシェルランテは泣き止んだ。シンシアはふうと息をつくと、呆然としている父親を少し咎めるような目で見つめた。
「お父様。『シェルランテはお父様が嫌い』と言っていますわ。女の子に向かって『重い』なんて言うものではありません」
「あ……いや、私はただ……」
孫娘に決定的な嫌悪を突きつけられ、皇帝イリアードは目に見えて肩を落とし、激しく落胆した。
「それでは、行ってまいります」
シンシアは静かに一礼すると、壊れた品々が散らばる室内へとゆっくり手をかざした。
すると、どうだろう。神秘的な光が部屋を包み込み、砕け散った壺や花瓶の破片がまるで時間を巻き戻すかのように宙を舞い、元の完璧な姿へと修復されていったのだ。
(な……なんだと……!?)
異能の力など一切持っていなかったはずの娘が、当たり前のように強力な奇跡を行使している。その信じがたい光景に、イリアードは完全に唖然とし、言葉を失った。
一作業を終えたシンシアは、シェルランテを連れて優雅に執務室を後にした。イリアードはただただ立ち尽くし、遠ざかっていく娘の逞しい後ろ姿を、言葉もないまま見送るのだった。
■ 登場人物一覧表
エミーナ・リヴィエール
セシリアの元侍女で、ルミナリア・リヴィエールの血脈を引き異能の力を持つ。
セレスティア親王軍の水明艦隊特攻隊長として数々の海戦で戦功を挙げ、「東海の鬼女」と恐れられた。後にアレスと結婚する。
アレス・マクウェン(アレス・サイリュン / 崔亜無)
15歳で志願兵として入隊後、航海長や艦隊副長を歴任し出世した優秀で勤勉な人物。
エミーナと結婚し、ツルギとミタマの父となる。教皇ゲンドラス・サイリュンの息子で、ココロギの異母兄。
ツルギ・マクウェン(ツルギ・サイリュン / 崔剣)
アレスとエミーナの息子(12歳)で、ミタマの双子の兄。男子としては珍しく異能力を発現させ、戦士としての才能を発揮している。崔厳の孫。
ミタマ・マクウェン(ミタマ・サイリュン / 崔御玉)
アレスとエミーナの娘(12歳)で、ツルギの双子の妹。リヴィエールの血を引き、12歳にして高度な水術や「新星爆発」などの技を扱う。崔厳の孫。
ルシア・フォン・セレスティア
アルヴェリア親王国王女で、「四つ葉の錫杖」を振るう圧倒的な強さを持った騎士・戦士・巫女。
戦死後、皇太子の幼い皇女「シェルランテ」として転生・復活を果たした。
ココロギ・サイリュン(崔心木)
「真理の光教団」の巫女で、後宮の礼拝堂「四つ葉堂」に住まう。教皇ゲンドラス(崔厳)の実娘。
リヴィエール一族の血を引き、「空間跳躍」や「神秘札の作成」などの異能を持つ。
セシリア
帝国後宮の「貴妃」で、水明宮に居住するルシアの実母。古琴の名手であり、リヴィエールの血を引く気品と冷徹さを併せ持つ傑物。
シェルランテ
皇太子夫婦の間に生まれた皇孫女(中身はルシアの復活体)。「白鷺姫」と呼ばれ、宝物や巨大なマグロを出現させる能力、千里眼、空間跳躍などの異能を持つ。
イリアード
第15代皇帝で、ルシアの実父。かつて「軍神」と称されたが、現在は孫のシェルランテを溺愛している。
リゼリア
帝国の後宮最高権力者である「皇后」で、水鏡宮に座す。
冷静沈着な頭脳と高い威厳を持ち、公平に後宮を取り仕切る。
シルヴィア
春宮(白鷺宮)に住まう若き皇太子妃で、シェルランテの母。
夫の不始末に悩んでいたが、二人目の子(男児)を妊娠する。気前が良く配下の宮女たちにも優しい。
ゲンドラス・サイリュン(崔厳)
聖ゲンドラス教国の教皇で、ココロギとアレスの実父。超常的な力は持たないが、高い政治統治能力を持つ一流の政治家・亡国の元宰相であり、僭王であった。
ヴィオ
ルシアに引き取られ鍛え上げられた側近・従者で、仕込み錫杖による二刀流の使い手。
紫の儀式で憑依を受け、ルシアを刺した後にリアムに斬られ絶命した。
ビー・スー
ルシアに付き従う側近で、南部の孤島の王国末裔。
ディヌイヤ・ラーナ公国で「真理の光教団」の司教を務め、丸盾と短めの錫杖を扱う。
ヴォルフラム
「真理の光教団」の枢機卿で、エルサ・ルーメン大司教座聖堂に赴任している切れ者。元は吟遊詩人・達人の剣士。
アルル
水鏡宮(水明宮)の女官で、セシリアや皇后の伝言をココロギに伝える役割を担う。
ベルトト
皇后付き女官長を務める女性で、ベルナデットの妹。非常に優秀で「さすがベルトト」と称賛される。
リアム
皇帝イリアードと皇后リゼリアの息子の皇太子で、武芸に非常に長けている。
女官エレノアの手を出したことでココロギや妻シルヴィア、娘シェルランテからも冷遇・疎外されている。
エレノア
リアムと関係を持った元平民出身の女官。芙蓉宮に住まい、奉儀から昭訓へ昇格・懐妊した。
■ 用語集一覧表
真理の光教団
ゲンドラス・サイリュンを教祖としてルシアが設立した宗教組織。紋章は四つ葉のクローバー。
心木(しんぎ / こころぎ)
真理の光教団の教義において、宇宙の中心にそびえ立ち全生命の魂と心を繋ぎ止める世界樹。
四つ葉のクローバー
教団や聖ゲンドラス教国、ルシアたちのシンボルで、「希望」「信仰」「愛」「幸福」を象徴する。
四つ葉の錫杖
ルシアが愛用する片手剣のように扱う片腕ほどの長さの錫杖。
神秘札しんぴふだ
ココロギが集中して創り出す札で、未来の出来事や真実が絵と文面で浮かび上がる。
六棘の霜華ろっきょくのそうか
「霜華の女王ルシア」を象徴する結晶の紋章で、義賊組織の名称でもある。
白紅百合はぐぐゆり
アルヴェリア親王家の威厳を象徴する蓮の花の刺繍・紋様(白紅はルシア、黄色はセシリア)。
リヴィエール一族 / リヴィエールの血
異国の漂流民の血を引くとされる土豪の一族。美貌と空間跳躍などの強い異能の発現が特徴。
アンチアルマ
七十万もの軍勢が激突した、古都アンチアルマ周辺の広大な戦場平原。
アルストラーナ帝国
『偉大なるラーナ人の国』。文明発祥の地とされる古都ラーナを首都とし、帝政に以降してから320年強の歴史をもつ。
グラッデェ
強靭な騎馬民族。
聖ゲンドラス教国
ゲンドラス・サイリュンを国家元首とする「真理の光教団」の国家。首都はクリスタルヘイム。
ルミナリア
「花の都」と呼ばれる都市で、セシリアの故郷・ルミナリア・リヴィエール家の本拠地。
翡翠宮ひすいきゅう
後宮の最奥にあり、皇帝イリアードが生まれた居館。
水鏡宮すいきょうきゅう
後宮最高権力者である皇后リゼリアの居館。
水明宮すいめいきゅう
貴妃セシリアの居館。
四つ葉堂よつばどう
後宮の片隅にある教団の礼拝堂で、ココロギの住まいでもある。
東宮
皇太子リアムの居館
春宮
皇太子妃シルヴィアの居館(別名:白鷺宮)。
芙蓉宮ふようきゅう
昭訓エレノアの住まう館で、大量のカラスが集まることから「カラス屋敷」と陰口を叩かれている。
政教商の一致
ルシアが目指した思想で、宗教(真理の光教団)・国家(セレスティア/聖ゲンドラス)・経済(リヴィエール商会)・義賊(六棘の霜華)を連動させ、世の中の歪みや貧富の差を還流・是正する仕組み。




