27. 必要 ~マルセナside~
27. 必要 ~マルセナside~
カトリーナ教会での出来事から、さらに一週間が過ぎた。
自室には、あの時中庭で咲いていた小さな白いアストラムの花を数輪摘んで飾ってある。『真実の想い』――その花言葉のように、私は自分自身の心に嘘をつかずに生きられているのだろうか。花びらを見つめながら、毎日そんなことばかり考えてしまう。
ライアン王子は他国への謁見に向かっており、ここ二、三日お城を留守にしている。その事実を聞かされると、あの意地悪で掴みどころのない彼も、一応は王族なのだと嫌でも思い知らされる。
私とライアン王子の距離は、なんだか近すぎるような気がする。もしかして、私は彼にとって特別な存在なのだろうか……。
そんな淡い期待すら抱き始めている自分に気づき、私は慌ててかぶりを振った。だめよ、私は誇り高き聖女。そんなふしだらな考えは許されない。自分を厳しく戒め、私は思わず大きな溜め息をついた。
「はぁ~……」
「ずいぶん大きな溜め息ですね。何かあったのですか、マルセナ様?それともお腹でも空きましたか?」
呆れたような明るい声で話しかけてきたのは、若いメイドのエミリーだ。彼女はこの城に来て最初に仲良くなった友人であり、私の気持ちを知る数少ない相談相手でもある。
私がこんなにも思い詰めているというのに、当の本人はいつも通りの呑気な調子だ。少しくらい心配してくれてもバチは当たらないと思うのだけれど……まあ、これが彼女らしいところなのだ。
コロコロと表情を変えて笑うエミリーは、本当に明るくて裏表のない素敵な女の子だ。『完璧な聖女』という重い鎧を着込んで身動きが取れなくなっている私とは正反対。誰の目も気にせず、自分の心のままに、自由に生きているように見える。
……そう、まるで。教会のしがらみなど捨てて、自分の足で軽やかに旅立っていった、あのアリーゼのように。
「それで、今晩のご予定は大丈夫ですか?」
「え?あっ、ごめんなさい。考え事をしていて聞いていなかったわ。今晩、何かあったかしら?」
「しっかりしてくださいよ、マルセナ様。今晩はレオンハルト王子殿下からお食事のお誘いがあったじゃないですか!」
「……レオンハルト王子が、私と?」
レオンハルト=ランバート。この国の第一王子。飄々としたライアン王子とは違い、武芸や政略に秀で、周囲を惹き付ける圧倒的なカリスマ性を持つお方だ。
下手に関われば、彼を慕う取り巻きの令嬢たちに何をされるか分かったものではない。だから意図的に避けていたというのに、そんな方がなぜ私を?
腑に落ちない部分はあったものの、第一王子からの誘いを無下に断る理由もない。私はそのお誘いを受けることにした。
そして夜。案内された部屋で、レオンハルト王子との食事会が始まった。
テーブルには次々と豪華な料理が並べられていく。まるで晩餐会と呼んでも差し支えないほどの豪奢なもてなしだ。なぜかこの広い空間に、彼と私しかいないのだけれど……。
「本日はお誘いいただき、ありがとうございます。レオンハルト王子」
「堅苦しいのは嫌いだ。楽にしてくれて結構だよ、聖女マルセナ」
そう言われても、そういう訳にはいかない。一国の第一王子に対して、無礼な態度を取るわけにはいかないのだから。でも、そんなことを考えていても仕方ないわよね。せっかくお誘いいただいたのだ。不自然にならない程度に、この時間を楽しむことにしよう。
食事が進み、食後の紅茶が運ばれ、場に静寂が訪れた頃だった。
レオンハルト王子は静かにティーカップを置き、鋭い眼差しで私を見据えて口を開いた。
「聖女マルセナ。君のここでの献身的な働きぶりは、私の耳にも届いているよ。その若さで、実に立派だ」
「……もったいないお言葉ですわ」
「君の在籍している教会……カトリーナ教会だったか。さぞかし優秀な聖女を持って、教会も誇らしいことだろうな」
その言葉を聞いた瞬間、私の顔からスッと表情が抜け落ちそうになった。
――違う。私はカトリーナ教会では、正当な評価などされていない。アリーゼという存在がいたから。血を吐くような努力をしても、常に彼女と比較され、しまいには見限られそうになった。きっとそれは、これから先も……。
暗い感情に呑み込まれそうになった私へ、レオンハルト王子はさらに言葉を重ねた。
「聖女マルセナ。私は駆け引きが嫌いでね。単刀直入に言おう。――私についてきてほしい。今日は君を勧誘するためにここへ呼んだのだ」
「え……?」
「私には、君の『聖女』としての力が必要なのだ。ランバート王国の繁栄のため、私は最前線の戦場に立つ。だが、どれほど完璧な戦術を練ろうと、無情にも失われていく部下たちの命がある。……君のその類まれなる癒やしの力があれば、死地から救い出せる命があるのだ」
真っ直ぐな言葉だった。彼は、私の『聖女としての力』を明確に必要としてくれている。
でも、もし私が彼についていけば、ライアン王子を裏切ることになる。それではカトリーナ教会への援助が……。
「しかし、私はライアン王子に教会の援助をしていただいている身……」
「カトリーナ教会のことなら、私が責任を持って援助を引き継ごう。それではダメだろうか?」
「それは……」
「聖女マルセナ。君はどうして、ここに来たのかな?」
レオンハルト王子の問いに、胸が大きく高鳴った気がした。だが、すぐに冷や水のような冷静さが頭を巡る。何を動揺しているの、私。私がここに来た理由はただ一つ。カトリーナ教会を存続させるため。そして、私を小馬鹿にしたライアン王子を見返すため。
あれ……?
――ああ、そうか。私は、気づいてしまった。
私が意地を張ってここにいるのは、『聖女として人々を救いたい』という崇高な使命からじゃない。ただ、誰かに認められて『完璧な聖女でいたい』という、薄っぺらな虚栄心を満たしたかっただけなのだ。
そんな私の核心を、無自覚に突くように、レオンハルト王子は静かに問いかけた。
「君の本当の望みは、なんだい?」
『聖女』としての確かな力を高く評価し、純粋に必要としてくれるレオンハルト王子。
不器用で意地っ張りな『素の私』を真っ先に見透かし、その心の脆さごと面白がってくれたライアン王子。
本当になりたい自分は、どっち……?
二つの選択肢の間で激しい葛藤に引き裂かれそうになる私の中で、これまで必死に守り、作り上げてきた『完璧な聖女』の重い仮面が――音を立てて崩れ落ちていくのを感じていた。




