9. 舞踏会 ~マルセナside~
9. 舞踏会 ~マルセナside~
私は今、隣国ランバート王国の第二王子、ライアン=ランバート殿下の元で住み込みで働いている。
要するに、「お前の失態のせいでカトリーナ教会の経営が傾いたのだから、自分の身を売ってでも何とかしろ」と暗に突きつけられた結果だ。「アリーゼならばこんなことにはならなかった」――そんな無言の非難と常に比較されながら、私は祖国を後にしたのだった。
新しい職場となる王宮は呆れるほど広く、最初は自室にたどり着くのすら一苦労だったが、意外にもすぐに慣れた。
肝心の仕事といえば、王国が運営する孤児院での子供たちの世話が主だったが、王宮内の来賓へのお茶出しや、貴族たちの話し相手といった務めもあった。特に貴族のご婦人方は噂話が大好きなので、お相手をするのは退屈しなかったし、むしろ私の得意分野でもあった。
そうしてせわしない毎日を過ごすうちに、気が付けばここへ来てから半月が経過していた。
(今日は王城での舞踏会……私はライアン王子のお付きの聖女として参加する予定だったわね)
自室の鏡の前で、私は今日の予定を反芻しながら身支度を整えた。
一応は他国から預かられた『聖女』という立場があるため、あまり派手には着飾ることはできない。清楚な純白のドレスに身を包み、化粧は控えめに。自慢の長い金髪も、毛先を緩やかに巻いて上品にまとめるにとどめた。
本当ならもう少し華やかな格好をしたかったけれど、今日の目的は着飾って踊ることではないのだから仕方がない。
会場に入り、目当てのライアン王子の姿を探す。
ふと、人だかりができている場所へと視線を向けると、そこには第一王子レオンハルト殿下の姿があった。
(さすが、シュタイン帝国との戦争を勝利に導いたお方。とても洗練されていて素敵な男性ですわね。人気があるのも頷けますわ。どこかの誰かさんとは大違い)
そんなことを思いながら遠巻きに見つめていると、不意に、レオンハルト王子と一瞬だけ目が合った。
――その瞬間、背筋にゾクリと氷を当てられたような悪寒が走った。
射抜くような冷徹な瞳。それはまるで、価値のある『獲物』を値踏みするような、ひどく理知的な捕食者の目つきだった。
(……あの方には、あまり近づかないほうが良さそうですわね)
ただでさえ、今の私の身分では気安く言葉を交わせるようなお方ではない。周りの取り巻きに変な誤解をされても迷惑なだけだ。
それよりも今は、探しても探しても見当たらないライアン王子に苛立ちと焦りを感じ始めていた。
(もう!私は何のためにこの舞踏会に来たんですの!?早く見つけないと)
広い会場を歩き回り、ヒールの足も疲れ果ててきた頃、ようやく壁際でその姿を発見した。
しかし、どう見ても酷く酔っ払っている。周りのたちの悪そうな貴族たちに絡まれ、困っているように見えたので、私は慌てて駆け寄った。
「申し訳ありません。主の非礼は、お付きの私が代わりに謝罪いたしますわ」
「おお~、これはまた可愛らしいレディじゃのう」
「ずいぶんと美人さんだなぁ」
そう言って、ひどく酒臭い男が下卑た笑みを浮かべながら、私の腰に手を回そうとしてきたのだ。思わず嫌悪感で身を引いた、その瞬間だった。急に腕を強く引かれ――
「きゃあっ!」
そのまま、力任せに床へと押し倒されてしまった。腕を乱暴に掴まれ、逃げ出そうにも男の力が強くて抜け出せない。周囲の華やかな音楽と歓談にかき消され、助けを求める私の声も誰にも届かない。
(仕方ありませんわ。もう、聖魔法で物理的に吹き飛ばすしか……!)
完璧な聖女としての体裁を捨て、私が実力行使を決意したその時。
先ほどまで泥酔していたはずのライアン王子が、私にのしかかろうとした男の手首を無造作に掴み、ギリリッ、と容赦なく捻り上げたのだ。
「ギャアアアッ!?」
男が悲鳴を上げて転げ回った隙に、私は拘束から抜け出すことに成功した。勢い余って男が無惨に転がっていく様は少し気の毒だったが、こちらも無事では済まなかったのだから文句のひとつくらい言わせてほしい。そう思って立ち上がろうとしたところ、再び強い力でぐいっと引き寄せられた。
「大丈夫か、マルセナ?」
はっ?えぇっ……と、ちょっと待って。なんなんですの、この状況!?……何故、私はライアン王子の腕の中にすっぽりと抱き締められているんですの!?
頭が真っ白になりながらも、私は必死に『落ち着け、落ち着くのよ自分!』と言い聞かせ、冷静さを取り戻そうと努めた。だって、いくらなんでも相手は一国の王子様。このままじゃ不敬罪どころの騒ぎではない。
「た、助けていただいてありがとうございます。でも、少しお放しいただけると助かるのですけれども……っ」
心臓が破裂しそうなほど速く打っているのを悟られないよう、冷静な声を出した。すると、王子は私の耳元で低く囁いた。
「どうしてだい?私は君が気に入っているのだが。この状況で放すという選択肢はないな」
「!?まさか、酔ったふりをしてたんですの!?最低ですわ!」
「いや……ちゃんと酔っているよ?」
こんな公の場で騒ぎを起こせば、私の首が物理的に飛びかねない。パニックになりかけた私の腰を抱く腕の力が、さらに強くなる。顔が近づき……このままじゃ、唇が……っ!
「ちょっ……ライアン=ランバート!お放しなさい!いい加減にしないと、聖魔法でその腕をへし折りますわよ!」
完璧な聖女の仮面などかなぐり捨てて彼を睨みつけ、私は思いきり怒鳴りつけた。するとライアン王子は驚くどころか、とても嬉しそうに目を細めて笑ったのだ。
「聖魔法で腕を折るか。それは困るな。……ふっ、やっと『素』の君が見れた」
そう言って、彼はスッとあっさりと身体を離した。
――遊ばれていたのだ。そう理解した瞬間、私の顔が一気にカッと熱を持った。
「かっ、からかったんですの!?」
「からかう?言っただろう、私は君が気に入っていると。……それにしても、君の綺麗な口からそんな物騒な言葉が出るとはね。アリーゼ様なら、パニックにならずにもっと余裕で対応してきそうだが。まあ、君も少しは素直に感情を出せるように成長したってことかな。はっはっは」
そう言い残し、ライアン王子は楽しげに笑いながら再び舞踏会の輪の中へと戻っていってしまった。
なんですの……私をからかって、挙句の果てに……っ!
私は怒りと羞恥で言葉を失い、しばらくその場に立ち尽くしてしまった。
しばらくしてようやく正気を取り戻した私は、慌てて身なりを整え、周囲の招待客に無難な愛想笑いを振りまきながら歩き出した。
歩きながら、私は先ほどの王子の言葉を呪いのように反芻する。
(もしかしたら……アリーゼなら、あんな状況でも上手くかわすことができたのかしら。逆に、余裕たっぷりの笑顔で対応したのかも……)
どれだけ繕っても、ふとした瞬間に剥がれ落ちてしまう私の余裕のなさ。完璧な聖女になりきれない自分と、どんな時でも自然体で愛されたアリーゼ。
煌びやかな舞踏会の喧騒の中で、私はまたしても彼女との圧倒的な違いを見せつけられたような気がして、胸の奥に深く重い負い目を感じるのだった。




