15. 第一聖女の証明 ~マルセナside~
15. 第一聖女の証明 ~マルセナside~
あの『巡礼祭』の大失敗から数日が過ぎた。
カトリーナ教会の空気は、日に日に重く、冷たくなっている。毎日の礼拝に訪れる信者の数は目に見えて減り、すれ違う神官たちの私を見る目にも、隠しきれない落胆と非難の色が混じっていた。
アリーゼという大きな太陽を失った教会の熱量は、確実に失われつつある。そして、その原因が『巡礼祭』を失敗した第一聖女の私にあるのは間違いない。
「……私が、なんとかしなければなりませんわ」
まだ薄暗い早朝の自室で、私は一人呟き、冷たい水で顔を洗って気合を入れた。
アリーゼがいなくなった今、このカトリーナ教会を背負うのは私しかいない。私が完璧な聖女としての務めを果たせば、必ずまた人々の信仰も戻ってくるはずだ。そう信じて、私は休むことなく働き続けた。
早朝から執務室に籠り、足が遠のき始めた信徒や有力者たちへ誠意を伝えるための手紙を何十通も書き上げる。ペンを握る右手の指には、すでに硬いマメがいくつもできていた。
それが終わると、急いで孤児院へと向かう。
「マルセナ様!」
「おはようございます、皆。今日もいい天気ですわね。さあ、まずは読み書きのお勉強から始めましょう」
駆け寄ってくる子供たちの頭を優しく撫でながら、私は教鞭をとる。彼らの未来が少しでも明るくなるように、時には厳しく、時には優しく接してきた。孤児院の予算も削られつつある中、私が直接面倒を見ることで少しでも経費を浮かせ、彼らにひもじい思いをさせないようにしなければならない。
「マルセナ様、お勉強が終わったら一緒に遊んで!」
「ええ、もちろんよ。でも、まずはこの本を最後まで読めるようになってからですわ」
無邪気な笑顔を見ていると、胸の奥が温かくなる。この子たちの笑顔を守るためなら、少しの睡眠不足などどうということはない。
孤児たちとの時間を終え、礼拝堂の清掃を行っていた時のことだった。
「た、大変だ!街道で魔物に襲われた馬車が運び込まれてきたぞ!」
神官の切羽詰まった叫び声が響き渡った。私は即座に立ち上がり、教会の救護室へと走る。
そこは目を覆いたくなるような惨状だった。深い裂傷を負った護衛の兵士や、血まみれになって意識を失っている商人の家族。
「ひ、酷すぎる……。これでは下級の回復魔法では間に合わないぞ!」
「オイゲン大司教様をお呼びしろ!」
他の神官たちがパニックに陥り、右往左往している。
「すいません!少し退いていただけますか」
「聖女マルセナ様!?」
私はパニックになっている神官たちを静かに宥めながら、怪我人たちの中心へと歩み出た。
「大いなる癒やしの光よ、今ここに集い、彼らの痛みを打ち払いたまえ――『ホーリー・ヒール』!」
私がそっと両手のひらをかざすと、眩いほどに温かく、そして力強い白銀の光が放たれた。光は瞬く間に重傷者たちを包み込む。
アリーゼのように突拍子もない手段など必要ない。これは私が血の滲むような修練の末に手に入れた、純然たる『聖魔法』の実力だ。
光が収まると、先程まで苦しそうにうめき声を上げていた人々の傷は跡形もなく塞がり、荒かった呼吸もすっかり落ち着いていた。血まみれだった少女が、ゆっくりと目を開ける。
「ああ……痛くない。息が、できる……」
「マルセナ様……!ああ、なんとお礼を言えばいいか……娘を、私たちの希望を救ってくださって、本当にありがとうございます……っ!」
母親が私の両手を強く握りしめ、ボロボロと大粒の涙を流してその場に崩れ落ちた。握られた手は小刻みに震えていて、彼女がどれほどの恐怖と絶望を味わっていたかが痛いほどに伝わってくる。
「もう大丈夫ですわ。神の御加護は、常にあなた方と共にあります。……よく、耐えてくださいましたね」
私は泥と血で汚れた彼女の手を優しく握り返し、そっと目線を合わせて微笑みかけた。
心の底から安堵した。私の魔法で、無事に尊い命を救うことができたのだ。彼らの震える手の温もりと、流れる涙に触れるこの瞬間こそが、私が聖女として生きる何よりの誇りだった。
しかし、その静かな感動を打ち消すように、騒ぎを聞きつけたオイゲン大司教様が救護室へ入ってきた。
「おお、見事だ!さすがは我が教会の第一聖女マルセナ。これほどの奇跡を瞬時に起こせるとは。これならば、カトリーナ教会の権威は決して揺るがない。必ずや我々の正しさを再認識するはずだ!」
大司教様は興奮気味にそう語った。彼の目は、今まさに目の前で救われた小さな命の温もりではなく、教会の威信と組織の存続という『現実』に向けられていた。
「……恐れ入ります、大司教様」
私は静かに頭を下げた。教会の責任者として、彼がそう考えるのは決して間違っていない。それでも、私の胸の奥には少しだけ冷たい風が吹き抜けていた。
その夜。自室に戻った私は、ベッドに崩れ落ちるように倒れ込んだ。
身体中が鉛のように重い。魔力を限界まで使い果たし、指先まで痺れている。それでも、机の上にはまだ処理しなければならない書類が山のように積まれている。
ふと、昼間に長年の信徒から届いた手紙が目に留まった。そこには、『マルセナ様の献身的なお姿には心から感謝し、応援しております』という温かい労いの言葉と共に、『それでも、やはりアリーゼ様がいらっしゃった頃のような、教会へ行くのが楽しみになるような温かさは失われてしまいました』という、残酷な本音が綴られていた。
「っ……」
ギリッと、強く唇を噛み締める。
魔法の実力なら、絶対に私の方が上のはずだ。教会の仕事だって、孤児の世話だって、泥水に塗れるような努力で誰よりも完璧にこなしている。
そして何より『聖魔法』で私には、大勢の命を瞬時に救う力がある。人々に寄り添う心だってあるし、実際にこうして感謝もされている。
それなのに……
「どうして……どうして、教会の傾きは直らないの……?」
高度な魔法でどんな深い傷は治せても、この手紙のように、理屈ではない人々の『心の隙間』までは癒やせない。
アリーゼなら、こんな時どうしたのだろう。あの子なら、その持ち前の明るさと、突拍子もない発想で、周りを笑顔にしながらあっさりと解決してしまったのだろうか……
「……負けませんわ。私は、第一聖女なのですから」
誰にも届かない虚勢を呟き、私は重い身体に鞭を打って再び机に向かった。
完璧な聖女でなければならない。
弱みなど見せてはいけない。
自らを『聖女という檻』に閉じ込め、自分の首を絞め続けていることなど、この時の私には知る由もなかったのだった。




