悪鬼の教え
雪が止んだ翌朝。俺は凍てつく土を素手で掘り返し、たった一人で先生を埋葬した。
目印となるような墓標は立てなかった。アビスにおいて、立派な墓は墓暴きや野盗の標的になるだけだ。ただ静かに、その冷たい土の膨らみを見つめ、俺は心の中の最も柔らかい部分を、先生と一緒に土の底深くへと埋めた。
礼拝堂に戻ると、灰色の肺を生き延びた数人の子供たちと、ノア、そしてハナさんが身を寄せ合うようにして俺を待っていた。
彼らの瞳には、不安と恐怖、そして先生とクロの姿を探す縋るような光が揺れていた。
「先生は死んだ。クロも、もうここには戻らない」
俺の声は、自分でも驚くほど低く、平坦だった。
子供たちの中から、悲鳴のような嗚咽が漏れる。ハナさんが口元を押さえ、その場にへたり込んだ。
「泣くな」
俺の冷酷な響きに、礼拝堂の空気が凍りついた。
「泣いても腹は膨れない。誰も助けにも来ない。お前たちがいくら弱さを嘆いても、アビスの冬はお前たちを平等に殺しに来る。……今日から、俺がこの教会のルールだ」
俺は子供たちを見下ろした。
本当は、震える彼らを抱きしめてやりたかった。大丈夫だと、俺が全部守ってやると言ってやりたかった。
だが、そんな優しい嘘は、彼らの生存本能を鈍らせる毒でしかない。
クロという光を失った今、彼らがこの地獄を生き延びるためには、俺が絶対的な恐怖となり、彼ら自身の足で立たせるしかなかった。
「立て。訓練を始める」
♢
それからの日々は、まさに地獄だった。
俺は自ら感情を殺し、『悪鬼』となった。
地下の訓練場で、俺は手加減を一切捨てた。
木刀を握らせた子供たちに対し、実戦と全く同じ速度と殺意で打ち込んだ。
容赦なく足を払い、泥水の中に叩き落とし、息をつく暇も与えずに次々と襲いかかった。
「遅い。実戦なら今ので頸動脈を裂かれているぞ!」
倒れ込んだ少年の腹を容赦なく蹴り飛ばす。
少年は嘔吐し、涙と泥にまみれて咳き込んだ。
「やめなさい、ミナトッ!」
見かねたハナさんが、悲鳴を上げて俺と少年の間に割って入った。
「この子たちは病み上がりなのよ!? 先生だって、こんな無茶な訓練はしなかったわ!」
「だから先生は死んだんだ」
俺の冷たい言葉に、ハナさんが息を呑む。
「優しいだけじゃ、誰も守れない。弱いままでいれば、次に死ぬのはこの子たちだ。……それとも、ハナさんが代わりにこの子たちを野盗から守れるのか?」
「それは……っ」
俺はハナさんを冷たく突き飛ばし、再び木刀を構えた。
誰も俺を止めることはできない。
憎まれていい。恨まれても構わない。
俺の手で傷つき、俺を恐れることで、彼らが一日でも長く生き延びられるのなら、俺は喜んでこの教会の悪役になる。
だが、その絶望的な訓練の中で、ただ一人だけ、俺の殺意に真っ向から食らいついてくる存在があった。
「……っ、うぁぁっ!」
激しい足払いを喰らい、石の床に激しく叩きつけられた小さな影。
ノアだった。
膝をすりむき、肘から血を流しながらも、彼女は決して泣かなかった。
荒い息を吐きながら、ふらつく足で立ち上がり、夕陽色の銀髪の奥から、鋭い獣のような目で俺を睨みつけてくる。
「……まだ、やれる」
ノアは折れた木刀の残骸を握りしめ、再び俺に向かって構えを取った。
その瞳の奥にあるのは、俺に対する恐怖ではない。
アビスの理不尽に対する、強烈な反逆の意志だった。
俺が被っている『悪鬼』の面の奥にある絶望を、もしかすると彼女だけは、肌感覚で気づいていたのかもしれない。
「……いい目だ。来い、ノア」
俺は木刀を下げ、素手で彼女の殺意を受け止める構えを取った。
この日から、俺とノアの狂気じみた地獄の訓練が始まった。
それは後に、あらゆる野盗や犯罪者たちを震え上がらせる、最凶のバディが産声を上げた瞬間だった。
ノアの踏み込みには、武術の型も駆け引きもなかった。
ただの獣の突撃だ。だが、その動きには不気味なほどの『野生』が宿っていた。
俺の木刀が彼女の肩を打ち据えても、彼女は痛みに怯むことなく、その反動を利用して俺の懐へと潜り込んでくる。狙うのは常に、喉、目、急所のみ。
俺は彼女の腕を掴み、容赦なく冷たい石の床へ投げ飛ばした。
だがノアは受け身も取らずに反転し、四つん這いの姿勢から俺の足首へ噛み付こうと跳躍した。
「……ッ!」
俺は間一髪でその牙を躱し、彼女の細い首筋に木刀の切っ先を突きつけた。
「そこまでだ」
俺が冷たく告げても、ノアは俺を睨みつけたまま、荒い息を吐き続けていた。
泥臭く、無様で、美しい。
「その執念だ、ノア。どんなに無様でもいい、相手の息の根を止めるまで絶対に止まるな」
俺が木刀を引くと、彼女はようやくその場に崩れ落ちた。
♢
それからの数ヶ月。
灰色の冬が猛威を振るう中、訓練は一日たりとも休まずに続いた。
俺の課す理不尽な暴力に、子供たちは泣き叫び、嘔吐し、それでも必死に食らいついてきた。クロがいた頃の、どこか温かった『疑似家族』の空気は完全に消え失せていた。
そこにあるのは、ただ生き残るためだけの軍隊。
そして俺は、彼らの憎悪を一身に受ける絶対的な独裁者だった。
夜。
疲れ果てた子供たちが、死んだように眠る礼拝堂の片隅。
俺は一人、薄暗いランプの灯りの下でボロボロになった武器の手入れをしていた。
全身の筋肉が悲鳴を上げ、木刀を振り続けた手はひび割れて血が滲んでいる。だが、眠るわけにはいかなかった。俺が気を抜けば、いつでもこの教会は終わる。
「……起きてるんだろ、ノア」
虚空に向かって声をかけると、毛布の山から小さな影が身を起こした。
ノアは音もなく歩み寄り、俺の隣にちょこんと座り込んだ。そして、何も言わずに俺の血の滲む手を取ると、自分の服の裾を破った布で不器用に巻き始めた。
その手つきは乱暴だったが、微かな温もりがあった。
「……お前は、俺が憎くないのか」
俺が問うと、彼女は夕陽色の瞳を上げ、俺をじっと見つめ返した。
「ミナトは、泣いてる」
「……なんだと?」
「心の中で、ずっと泣いてる。……先生が死んだ時から」
俺は言葉に詰まった。
この少女は、俺が誰にも見せないよう何重にも鍵をかけた内面の絶望を、その野生の勘だけで見抜いていたのだ。
「……私は、ミナトの背中を守る」
ノアは、俺の手の包帯をきつく結び終えると、静かに、だがはっきりと言った。
「誰もミナトを助けないなら、私が助ける。だから、一人にしないで」
それは、か細くも確かな、誓いの言葉だった。
俺は思わず、その小さな頭に手を乗せた。
突き放すべきだと頭では分かっていても、どうしてもその手を下ろすことができなかった。
♢
やがて、アビスの長い冬が終わりを告げようとしていた頃。
恐れていた事態が起きた。
教会の備蓄食料が、ついに完全に底を突いたのだ。
灰色の肺の脅威は去りつつあったが、このままでは子供たちは飢え死にする。
凶悪な野盗や犯罪者たちが跋扈する危険地帯へと足を踏み入れ、力尽くで物資を奪ってくるしか道はなかった。
俺が戦闘用の外套を羽織り、腰にナイフを帯びると、当然のようにノアが隣に立った。
その手には、俺が削ってやった鉄の短剣が握られている。
「置いていくと言っても、どうせ勝手についてくるんだろ」
「うん」
「……俺の背中から離れるなよ」
「うんっ」
ノアが初めて、微かに笑った。
俺たちは重い教会の扉を押し開け、淀んだ風が吹くアビスの街へと足を踏み出した。
これが、中層の悪党たちに『銀髪の死神』として恐れられることになる最凶のバディの、初めての狩りだった。




