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百目探偵事務所  作者: てふてふ
東京妖怪失踪事件編
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閉口 : 地獄の底で君を待つ

 痛みは海溝より深く、闇より粘った。

 半壊した胸核から紫黒の血泡を滴らせながら、フォルネウスは地下水脈の狭い管を這い進む。凍っては剝がれ、剝がれてはまた凍る再生循環はすでに歯車を欠き、魔力は腐臭を放ちながら水に溶けていた。それでも彼は進む。――佐城博のもとへ辿り着きさえすれば、完全なる復活の術があるはずだと信じて。


 迷路の尽きる裂け目に、携行ライトが一本だけ冷光を揺らしていた。契約者の男が魔導書を抱え、実験動物を観察する目で海魔を待ち構えている。

 

「派手に壊れたね。……本当に醜いなぁ」

 

 乾いた声が洞に落ちた。フォルネウスは水膜を破って人型に縮み、膝をつく。鱗は剝げ、蒼い血が粘膜を濡らしている。

 

「核は半分になったが、右眼さえ取り戻せば再生は――」

「汚いな」

 

 わずか二音が鋼より冷たく突き刺さる。憤怒と屈辱が胸を灼くが、傷がフォルネウスを床に縛り上げる。

 

「“永遠の美”を謳う者が、そのざまか?」

 

 佐城は袖で口を拭い、嘲りを滲ませた。

 

「欠損した標本に用はない。計画外は廃棄する」


 言葉と同時、岩肌に伏せられていた封呪符が蒼白く輝いた。フォルネウス自身の血を媒介に設計された自壊式陣――魔力が深く損耗した瞬間だけ発動する罠だった。

 鎖光が四肢を貫き、皮膚を爛れさせる。鱗が軋みながら剝離し、肉片が塩の花となって床へこぼれ落ちた。

 

「グオオオォッ!」

 

 洞を満たす咆哮は悲鳴と怒号の混濁。魔力が急速に腐食し、胸核の裂孔に黒雷が突き刺さる。視界が赤黒く染まり、金銀の瞳が揺らぐ。

 佐城は一歩も退かず、崩れゆく巨体を見下ろした。

 

「動けもしないのに虚勢を張るなよ。滑稽だなぁ」

 

 足先で砕けた鱗を踏み、愉悦に唇を歪める。


「俺の研究の駒としては十分役に立ってくれたよ。データも素材も手に入った──あとは処分すりゃいい」


 フォルネウスの喉が血泡を噛み切る。

「貴様……っ! 裏切り者の下等生物め! 呪ってやる……!! 呪ってやるぞ!!」

 

 怒りの奔流が呪詛となって迸る。

 

「聞け、佐城博!! 貴様の血筋も魂魄も、地獄の最下層アバドンに千劫の間縛り上げてやる!! 契約はまだ生きているだ!! 貴様の魂が脆い肉殻を離れた瞬間、脳髄ごと啜り喰ってやる!! 悲鳴を鈴に、永遠の鐘を鳴らしてやるッ!! 不変を拒んだ愚か者どもよ、我が美しさを認めぬ塵芥ども!! 光も希望もない深淵に沈め!! 俺の怨嗟は、永遠に――」


 絶叫が最高潮に達した瞬間、封呪陣が刃のように収束した。魔力の核が爆ぜ、蒼黒の血が蒸発し、巨体は白い塩の粉塵へと一気に崩れ落ちる。金銀の瞳は粉と化し、双角も尾も音なく砕けた。


 閃光が散り、洞には塩層だけが残る。

 佐城は灰を軽く払い、台帳に赤い斜線を引いた。

 

「試料F‐001、廃棄完了。……次は“右眼”だ。欠損なき純粋標本を必ず」


 ライトを消す。湿った闇に残ったのは、塩の匂いと男の冷たい息遣いのみ。

 

 フォルネウス――かつて地獄の大公爵と呼ばれた海魔は、叫びも名も、永遠へ届かぬ白い塵と化して地獄の底へと散っていった。

ここまで読んでくださった方、ありがとうございます!


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