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百目探偵事務所  作者: てふてふ
東京妖怪失踪事件編
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20/32

第一章 : 甘き香に、焦げの色

 自分で、ここを選んだわけじゃない。

 本当は──そう言いたかった。


 でもまあ、実際のところは、給金につられたんだ。

 しょうがないだろ。生活ってやつがある。

 食って寝るだけじゃない、この街の空気に踏みとどまるには、案外、金がかかる。


 大学帰りに立ち寄るのは、木造三階建ての古びたビル。

 戦後の名残をそのまま閉じ込めたような建物で、すり減った階段は歩くたびに鳴き、煤けたガラスは曇りっぱなし。

 入り口脇に掲げられた木製の看板には、かろうじて金文字が残っている。


『百目探偵事務所』


 探偵事務所──と名乗ってはいるけれど、実態はもう少し“別の何か”だ。

 たとえば、妖怪の巣窟とか、そういう方向で。


 扉を開けた瞬間、今日も“あれ”が出迎えてくれた。


「おっせーんだけど? 雑用係が雑用もできないとか、冗談? 笑えないんだけど?」


 黒髪ツインテールに黒い着物──見た目はまるで和装の令嬢。

 けれど、口から出るのは暴力的な音ばかり。

 以津真天。見た目だけは美少女。中身は地獄の使者。

 甘さ?……ないよ、そんなもん。


 


「いま来たばっかりなんだけど……」

「で? あたしが困ってるのは“今”なんですけど。アンタだけ時差勤務でもしてんの?」


 笑っていない。媚びてこない。むしろ怒ってる。ずっと。


「今日はお便所掃除と床磨き、それと雲外鏡のお姉様からのおつかいね。忘れたらマジで許さないから」

「えっ」

「“そのへんの食料品屋”とかで済まそうとしたら、袋詰めて首にかけてやるからね」


(……なんで毎日こんな罰ゲームみたいな扱い受けてるんだ)


 顔に出すと、さらに火に油を注ぐだけだから我慢する。

 だって──給金は、ちゃんと出るんだ。しかも特別手当つき。


「……了解しました」

「返事だけは立派なんだから。これで中身が伴えばいいんだけど?」


 襖が、す、と静かに開いた。


「──以津真天さん。そういう物言いは、品位を落としますよ」

 

 滑るような女の声。

 すうっと空気が冷えて、部屋の中の温度が一段、下がった気がした。


 振り向けば、そこに立っていたのは──


 黒髪を流し、紫の袴を着た、背の高い女性だった。

 白い肌に伏し目がちの睫毛、ぴたりと揃えられた襟元。

 凛としたその佇まいには、言葉以上の圧があった。

 そこに漂う“拒絶”の気配は、以津真天とはまた別種のとげのようだった。


「わたくし、雲外鏡と申します。お見かけするのは初めてではありませんが──会話は、初めてですね」

「あ、はい。的場純壱です。あの……一応、ここの手伝いをしてて」


「存じております。……ご挨拶のついでに、おつかいもお願いできますか。銀座・昭和堂の『朝霞』。紫の包み、紙袋は二重に。熨斗(のし)は要りません。……以上です」


 言葉は丁寧だった。

 けれど、ひとつひとつの語尾が、ぴたりと切れていた。

 目が笑っていない。というか、最初からこちらに興味などなさそうだった。


「……承知しました。買ってきます」

「ありがとうございます。ちなみに、私は“人間”というものが、あまり好きではありません。

 ですので、誤魔化しにはすぐ気付きます。……お気をつけて」


(この探偵事務所、なんでこんな刺々しいのしかいないんだ)


 右目の奥が、ぴくりと疼いた。

 “視る”ということは、こういう“空気”も余計に刺さるってことかもしれない。



 

 駅前の広場から、チンチン電車に乗り込む。

 つり革の冷たさと、擦れた座席の匂いが妙に落ち着く。行き先は銀座──目的は、百貨店の甘い使いだ。


 午後の銀座は、いつになく霞んで見えた。

 活気あるはずの通りに、今日はどこか影が差しているようだった。

 晴れているはずなのに、太陽の光が白く滲んで見える。

 風のにおいに混じって、ほんのかすかに焦げたような匂いがする気がした。

 煙草でも焚かれているのだろうか。それとも、誰かの記憶が燃えているのか──


(……いや、そんなわけない)


 つい、そんなことを考えてしまうのがいけない。

 “右目”のせいだ。


 視界の端で、誰かの輪郭が微かに揺れる。

 右目を通して見る世界は、妙に“湿って”いる。

 湿度じゃない。何か、人の奥底の“熱”が映ってしまうような、そんな滲み方だ。


(見たい、わけじゃない。……でも、“見えてしまう”んだ)


 銀座四丁目の時計塔を背に、石畳の路地を抜ける。

 大通りの端に、暖簾を静かに揺らす老舗の菓子舗──昭和堂が見えた。

 入口に吊るされた風鈴が、ちりんと高く澄んだ音を立てる。夏の名残が音だけを残している。


 店内は檜の香りが漂い、外の喧騒が嘘のように遠ざかっていた。


「いらっしゃいませ」


 小柄な女将が品のいい笑顔で出迎えてくれた。

 ──雲外鏡の封筒を出すと、すぐに頷かれる。


「かしこまりました。『朝霞』ですね。紫の包み、お二つ。熨斗は控えて、ですね。お渡しまで少々お待ちくださいませ」


 その言葉に、素直に頭を下げて腰掛けた。

 目の前に並んだ菓子はどれも美しく、まるで食べることが惜しいようだった。


 けれど、視線を落とすと──そこにひとつ。


(……え?)


 干菓子のひとつが、ふいに“赤く”見えた。

 他のどれよりも強く、艶やかで、まるで内側に熱を帯びているような色。


 瞬間、右目が脈を打った。


(違う、これは……赤じゃない……“視えてる”)


 喉の奥が、きゅっと鳴る。

 目を逸らしたはずなのに、残像のようにそれはまだ焼きついていた。

 焼けた声。焦げた匂い。熱を帯びた“記憶”のかけら。


 ──けれど、もう一度視線を戻すと、そこには何もなかった。

 それはただの、よくある干菓子だった。


「……お待たせ致しました」


 女将の声に、我に返る。

 紫の包みが丁寧に紙袋に入れられ、差し出されていた。


「ありがとうございました」


 丁寧に頭を下げて店を出る。

 暖簾をくぐった瞬間、あの焦げた匂いがふっと鼻先に戻った。


 振り返っても、昭和堂の軒先には何も変わった様子はなかった。

 店も、空も、人通りも、いつも通りに見えた。


 ……なのに、右目だけが、静かに訴えてくる。


(──あの“菓子”じゃない。あれを置いた“誰か”が、ここにいた)


 心臓がひとつ、強く鳴った。


 手提げ袋の中で、包み紙がかすかに衣擦れの音を立てる。紙の奥に籠った温度が、じんわりと指に伝わってくる。

 けれど、指先に触れたその包装紙の一部が、ほんのりと温かかった気がした。


(……気のせい、だよな)


 そう言い聞かせて、俺は再び帰路へと歩き出した。

 こうして、今日も俺は、雑用だけで一日を終わらせるのだ。


 


 ──その翌日、昭和堂の女将が「忽然と姿を消した」という話を耳にするまでは。

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