開口 : 咀嚼の後に
一匹、沈んだ。
二匹、泡を吐いて消えた。
三匹、声もなく崩れた。
──数える必要はない。もう何十匹目かも分からないし、分ける必要もない。
命の質に優劣があるとして、それを決めるのはいつだって“こちら側”だ。
水槽は深い黒。
もとは透明だったガラスは、今や曇りに曇り、内側からこびりついた脂と血で影すら映さない。
ガラスをなぞれば指が濡れる。ぬめる膜が、見えない指紋を作る。
中で溶けていくのは、名もない妖怪。
見た者を一瞬だけ笑わせる、それだけの存在。
音もなく歩き、ただ通りすがるだけのような、軽い命。
脅かすこともできず、誰の記憶にも残らない。
だからこそ、使いやすい。喰わせやすい。
そして──そういうやつの方が、一番よく喉を通る。
部屋は静かだった。
机の上にはノートと万年筆、時計の秒針が止まったまま。
天井の灯りは一つだけ点いていて、赤く、低く、熱を持たない。
空気は重い。水の底のように、すべての音が濁っている。
その中で、唯一生きているのは“水音”だけ。
ぬめる。
泡立つ。
ひとつ、皮が剥がれ、粘膜が剥離し、黒い体液が弾ける。
目玉が浮き、反転し、沈む。
鼻の奥に、焼けた血と臓腑のにおい。
それを邪魔に思う者は、もうここにはいない。
それを見ながら、彼は問う。
目を瞬かず、声に起伏もなく。
ただ、口が動いた。
「……どうだ?」
返ってきたのは、すぐ背後からの笑い声だった。
くぐもり、ねじれた、喉の奥で濁るような音。
「ん、まあまあ。可もなく不可もなく、ってやつだな」
「そうか」
「“味が薄い”……泣かなかったからかな」
彼は黙って水槽に目を戻した。
消えた体がどこまで残っているかを、まだ測っていた。
背後の“それ”は、水槽にゆっくりと手を差し入れた。
濃く淀んだ水を割って、残った肉片を掬い取る。
人間の姿をしている。
中性的で整った顔立ち。モデルのような身体。
──だが、手だけが違った。
白い皮膚には、ぬめる光沢。
手首には魚のような鱗が走り、指の間には透ける薄膜が張っていた。
水を滴らせながら、濡れた指先をゆっくりと唇に押し当てる。
音を立てて、舌で舐める。
「なあ、次は“声”が綺麗なやつにしようぜ。泣いて、叫んで、喉を潰しながら死ぬやつがいい」
言葉の響きは楽しげだった。
子供が玩具を選ぶときのように、軽く、期待に満ちていた。
彼は、何も言わない。
壁に貼られた紙片に目を向ける。
その一枚一枚に、命の残滓が記されていた。
分類番号。特徴。能力。
そして、最後に発した言葉──あるいは、声すら出なかった記録。
貼りきれなくなった紙は、すでに床へと零れている。
獲物はまだまだいる。
名前を知られずに生きている妖怪たちは、まだこの世界に息をしている。
そしてそのどれもが、まだ自分が“生きている”と思っている。
──気づいていない。
選ばれた瞬間に、終わっているということに




