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百目探偵事務所  作者: てふてふ
東京妖怪失踪事件編
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19/32

開口 : 咀嚼の後に


 一匹、沈んだ。

 二匹、泡を吐いて消えた。

 三匹、声もなく崩れた。


 ──数える必要はない。もう何十匹目かも分からないし、分ける必要もない。

 命の質に優劣があるとして、それを決めるのはいつだって“こちら側”だ。


 水槽は深い黒。

 もとは透明だったガラスは、今や曇りに曇り、内側からこびりついた脂と血で影すら映さない。

 ガラスをなぞれば指が濡れる。ぬめる膜が、見えない指紋を作る。


 中で溶けていくのは、名もない妖怪。

 見た者を一瞬だけ笑わせる、それだけの存在。

 音もなく歩き、ただ通りすがるだけのような、軽い命。


 脅かすこともできず、誰の記憶にも残らない。

 だからこそ、使いやすい。喰わせやすい。

 そして──そういうやつの方が、一番よく喉を通る。


 


 部屋は静かだった。

 机の上にはノートと万年筆、時計の秒針が止まったまま。

 天井の灯りは一つだけ点いていて、赤く、低く、熱を持たない。


 空気は重い。水の底のように、すべての音が濁っている。


 その中で、唯一生きているのは“水音”だけ。


 ぬめる。

 泡立つ。

 ひとつ、皮が剥がれ、粘膜が剥離はくりし、黒い体液が弾ける。

 目玉が浮き、反転し、沈む。


 鼻の奥に、焼けた血と臓腑ぞうふのにおい。

 それを邪魔に思う者は、もうここにはいない。


 


 それを見ながら、彼は問う。

 目を瞬かず、声に起伏きふくもなく。

 ただ、口が動いた。


 「……どうだ?」


 返ってきたのは、すぐ背後からの笑い声だった。

 くぐもり、ねじれた、喉の奥でにごるような音。


 「ん、まあまあ。可もなく不可もなく、ってやつだな」

 「そうか」

 「“味が薄い”……泣かなかったからかな」


 彼は黙って水槽に目を戻した。

 消えた体がどこまで残っているかを、まだ測っていた。


 


 背後の“それ”は、水槽にゆっくりと手を差し入れた。

 濃く淀んだ水を割って、残った肉片をすくい取る。

 

 人間の姿をしている。

 中性的で整った顔立ち。モデルのような身体。

 ──だが、手だけが違った。


 白い皮膚には、ぬめる光沢。

 手首には魚のような鱗が走り、指の間には透ける薄膜(はくまく)が張っていた。

 水を滴らせながら、濡れた指先をゆっくりと唇に押し当てる。

 

 音を立てて、舌で舐める。


「なあ、次は“声”が綺麗なやつにしようぜ。泣いて、叫んで、喉を潰しながら死ぬやつがいい」


 言葉の響きは楽しげだった。

 子供が玩具を選ぶときのように、軽く、期待に満ちていた。


 


 彼は、何も言わない。


 壁に貼られた紙片に目を向ける。

 その一枚一枚に、命の残滓(ざんし)が記されていた。


 分類番号。特徴。能力。

 そして、最後に発した言葉──あるいは、声すら出なかった記録。


 貼りきれなくなった紙は、すでに床へと零れている。


 


 獲物はまだまだいる。

 名前を知られずに生きている妖怪たちは、まだこの世界に息をしている。


 そしてそのどれもが、まだ自分が“生きている”と思っている。


 ──気づいていない。

 選ばれた瞬間に、終わっ(喰われ)ているということに

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