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百目探偵事務所  作者: てふてふ
火鼠の衣編
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第十一章 : 焼け残る哀しみ

 ──残火が導いた先にあったのは、廃墟だった。


 かつて人が住んでいた気配はある。けれど、もう随分と前に手放されたのだろう。

 瓦礫と焦げ跡と、草の匂い。朽ちた梁の隙間から差し込む光さえ、どこか灰色に濁って見えた。


「ここ……誰かの家だったんでしょうか」


 俺の声が、瓦礫の上を滑っていく。

 百目は返事をせず、ただ小さく頷いた。


「──十時の、祖母の家のようだね」


 答えたのは鎌鼬だった。彼は入口の柱に手を添え、風の動きを確かめるように目を細めていた。


「ここに火鼠の衣があった。いや──“置かれた”のかもしれないなぁ」


 その言葉に、胸がきゅっと締め付けられる。


 “火の在り処”は、たしかにここにある。

 右目が疼いている。


 赤い糸のような残光が、床の焦げ跡をなぞるように漂っていた。

 触れれば焼かれそうなその光は、誰かの“記憶”を伝えているようだった。


 ──視えてくる。


 焼けた畳。焦げた柱。泣き声。微かに香る布の匂い。


 そして──誰かが叫ぶ声。


 “それ”は火ではなかった。

 だが、火が通った後に残った声だった。

 焼けた声。届かなかった声。


「視えているな」


 百目が静かに言う。


 俺は、頷く。


「これは……衣の記憶です。たぶん、燃えたときの……誰かを守って、焼かれた記憶」


 喉が渇く。息が熱い。


阿部御主人あべのみうし──」


 名を出すと、空気がきり、と冷えた。

 百目の眉が僅かに動く。鎌鼬は腕を組み、口元だけ笑っていた。


「今、衣に取り憑いているのは“彼”だろうな」


 百目の言葉は、確信に近かった。


「衣が燃えたあの時、すべてが終わったように見えて──実際には“焼かれた男の想い”が、衣そのものを変えてしまった」


 俺は、ごくりと唾を飲んだ。


「……じゃあ、阿部御主人は……“燃やされた”んですか?」


 自分の声が震えていた。


「そうだ」


 百目は短く答えた。


「本物の火鼠の衣は、確かに与えられた。だが、かぐや姫はそれを贋作とすり替え、火の中へ“彼”を送り出した。──結婚を拒むためだけに、だ」


 百目はさらに続ける。


「あの姫は、誰とも結ばれる気などなかった。ただ、試すために“願い”を口にした。そして、願いが叶ったとたん──怖くなったんだろうな。本当に手に入ってしまったから。彼が、あの衣を“本物”にしてしまったから」


「つまり……“偽物の衣”を着せられて、燃やされた……」


「そして、その“死に様”に宿った怨念こそが、今の“火鼠の衣”の本性だ」


 誰かの手によって仕組まれ、誰にも届かなかった愛情の証。

 焼かれ、裏切られ、それでも焦げついた記憶が──布の形を保ったまま残っている。


「十時は……その“変わった衣”に……」

「取り憑かれた、というより、憑かれた衣に“憑かれた男”に、飲まれている。そんな構図だ」


 俺は、ただ立ち尽くしていた。


 焼け跡は、まだ熱を持っていた。


 右目が、ずきりと軋む。

 視界の端が滲む。焦げた風のにおいが、肺の奥まで入り込んでくる。


 ──視えてきた。


 木の壁が、ぱちぱちと音を立てて燃えている。

 けれど、不思議と熱さは感じなかった。

 それよりも、胸の奥が焼けつくように痛かった。


 誰かが、泣いていた。

 叫んでいた。

 火の中で、名前を呼んでいた。


 目の前にいたのは──彼だった。


 燃えていた。

 手を伸ばし、何かを掴もうとしていた。

 その目に映っていたのは、天へ帰ろうとする誰かの背。


 違う。


 そのときの彼は、何も分かっていなかった。

 なぜ贋作を渡されたのか。

 なぜ笑って見送られたのか。

 なぜ、自分だけが燃えているのか。


 理解できないまま、焼かれていく。

 皮膚が裂け、喉が潰れ、骨が露わになる。

 けれど、彼の心はまだ“彼女”に手を伸ばしていた。


 ──視えている。


 それと同時に、もう一つの“視界”が重なった。


 教室。椅子。煙。

 栗原幸子。

 焼け落ちる服。


 十時の記憶だ。


 視線の先には、燃えていく彼女がいた。

 けれど、彼は動けなかった。

 声を出すことも、手を伸ばすこともできなかった。


 まるで、焼けることを受け入れているような、

 ──あるいは、それを“視ていたい”ような。


 それが、混ざっていた。

 御主人の焼かれた記憶と、十時の“燃える瞬間”が。

 ふたつの熱が、俺の右目の奥でゆっくりと重なっていく。


「……純壱!」


 誰かの声で、現実に引き戻された。


 視界が揺れる。地面がまだ熱を帯びているように感じた。

 けれど、それは錯覚だった。

 焼けているのは、自分の内側だ。

 右目の奥。

 そこに、今もまだ“なにか”が視えている。


 形にならない赤。

 炎でもなく、影でもなく──ただ、熱だけが漂っていた。


 俺はそっと手を伸ばした。

 空間を掴もうとしても、そこには何もなかった。

 けれど、指先にかすかな“圧”があった。


 ──これは、“誰かの想い”だ。


 阿部御主人のものか。

 十時のものか。

 それとも、まだ名のない“なにか”か。


 いずれにせよ、その熱は“憎しみ”ではなかった。

 怒りでも、呪いでもない。


 ──哀しみ、だった。


 届かなかった想い。

 手にしたのに、拒まれた希望。

 信じていたのに、信じてもらえなかった記憶。


 それが、ここにあったのだ。

ここまで読んでくださった方、ありがとうございます!


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