第八章 : 焼け跡の祈り
十時について調べてみようと決めたものの、掴める情報は驚くほど少なかった。
「十時君? いい人だよね」
「落ち着いてるし、頼れる感じ。静かで、なんか“大人”って感じ?」
「でも最近ちょっと雰囲気が違う気がするような……。前より疲れてる? 影があるっていうか……」
「そうか? 前からあんな感じだったろう」
誰に聞いても、返ってくるのはそんな曖昧な言葉ばかりだった。
“好印象”の奥に、うまく言語化できない違和感が潜んでいる。
けれど、誰もそれに触れようとはしなかった。
違和感はある。けれど、誰も“その正体”を見ていない。
それが、俺には、逆に怖かった。
廊下の端、ベンチの影、食堂の隅……。
十時を知る人の話を拾って歩いたが、手応えはない。
俺の視界には、赤は視えない。ただ、うっすらとした熱だけが、空気の中に残っているような気がした。
まるで誰かが泣いたあとの部屋にいるみたいな、言いようのない湿度だった。
(……これ以上は、無理かもしれない)
諦めかけて、構内の木陰に腰を下ろしかけたその時。
──ぱっと、華やかな色が視界を染めた。
「──あら? あの時の坊やじゃありませんか!」
ぱっと跳ねるような声が、真昼の静寂を割った。
「え?」
顔を上げると、陽光を浴びた黄色がまばゆかった。
カールのかかったショートヘアに、柔らかなラインを描くカクテルワンピース。
白いキャプリンを傾けた女性が、まるでひとつの物語の登場人物みたいに、俺の前に立っていた。
「まあまあ! あなた、ここの生徒だったの? 同じ学舎に通っていたなんて! ふふふ、運命というものはあるのかしら」
距離感が近い。というか、近すぎる。
その喋り方、その圧……。
「だ、誰です? 君は……」
眩しさの奥にある、妙な既視感。
その勢い。言葉のリズム。
どこかで聞いたことのある“騒がしさ”に、胸の奥がざわついた。
「まあまあ! 素敵な“右目”になったこと! 私ですよ、窮鼠の日和ですわ!」
名前を聞いた瞬間、あの霧の中で見たちいさな尼僧姿の“鼠”が、ぴたりと頭の中で重なった。
「……まさか、本当に……?」
「ふふふ、ええ。驚かれるのも無理ありませんわ。人の姿でこうしてお会いするのは、初めてでしたものね」
お嬢さん──日和は、にっこりと微笑んだ。
その微笑みは人間のものにしか見えないのに、俺にはなぜか、あの“尻尾を揺らす仕草”が幻のように重なって見えた。
「丁度良かった! お話ししなければならないことがありましたのよ!」
彼女の声色が、少しだけ落ち着いた。
ふざけた調子は変わらないのに、その芯が冷えているように感じた。
「“火鼠の衣”のことですわ」
その言葉に、背筋がぴんと張った。
「私たち窮鼠の一族は、かつて“帝”の命により、火鼠の衣を守り続けてきた一族でした」
風が吹き、日和のスカートが揺れる。
まるで記憶をなぞるように、彼女はゆっくりと語った。
「江戸の終わり頃に東京に移され、寺を建て、衣を祀って守っていました。けれど……昭和二十年、あの夜。東京大空襲で寺は焼け落ちましたの」
「……あなたは、そのとき……?」
「燃え落ちる本堂の下、私と家族は、祀っていた“衣”の下に潜り込みましたの」
笑いながら言うその声が、妙に静かだった。
「……それで、皆、助かったのです。焼け跡には何も残りませんでしたが、衣だけが、焦げひとつなくそこにあった」
その時初めて、“火鼠の衣は本物だった”と信じたのだと、日和は言った。
「それから数年して、寺の跡地に一軒の家が建ちました」
彼女のまつげが影を落とす。
「──十時、という姓の家です」
その言葉が落ちた瞬間、風がやけに冷たく感じた。
焼け跡に立った家。その上に、衣が眠っていた。
そして今、その家の名は、俺が追っている“十時勇吾”という青年に繋がる。
視界の奥で、何かが赤く揺れた気がした。
燃え残った火。
誰かの想い。
あるいは、まだ終わっていない“願い”。
「……彼は、それを知っているんですか?」
喉が、乾いていた。
それでも搾り出した声で、そう訊いた。
「さあ、どうでしょうね。覚えているのか、忘れたのか……。いずれにせよ、“宿ってしまった”のは事実ですわ。あの衣は、未だに“誰か”を求めている。もっと燃える心を。もっと深い想いを」
日和の瞳が、俺の右目を覗き込んでくる。
「だからこそ、あなたにお願いしたいのです。視えるあなたなら、きっと気付ける。あの火が、どこに灯ろうとしているのか」
俺は、しばらく黙った。
視えてしまったから、知ってしまった。
知ってしまったから、動かなくてはならない。
けれど──
「……どうして、俺に?」
そう呟くと、日和はふっと笑った。
やわらかな笑みだった。
「だって、あなた……“視える”のでしょう? だったらもう、ただの坊やでは御座いませんことよ」
言葉に詰まる。
けれど、その通りだった。
視えてしまった火は、記憶から消えない。
“焼けた人間の骨”の光景は、夢の中でも俺を追いかけてくる。
──もう、知らないふりはできない。
「……ありがとう、お嬢さん。その話……聞けて、よかったです」
俺は頭を下げる。
日和は何も言わず、ただ微笑んだままキャプリンのつばをそっと押さえた。
視界の奥に、かすかに赤が揺れた気がした。
その揺れが、まるで“誰かを呼んでいる”ように感じた。
──行かなくては。
この火が誰を焼こうとしているのか。
それを、視なければ。
俺は、十時勇吾を探しに、再び歩き出した。
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