第千四百三十四話 時を司るもの(十一)
「わたしは、即座に残る力のすべてを駆使した。残党の撃退には天使たちが協力してくれていたからな。わたしには多少なりとも余力があった。それが功を奏した――というわけではないにせよ、無駄ではなかったはずだ」
幸多には、美由理のその説明は要領を得ないもののように感じられた。
美由理は、鬼級幻魔クシナダと激闘を繰り広げていたはずであり、火倶夜ともども大量の魔力を消耗していたはずではないか。
オトロシャの星象現界によって眠りについていたとはいえ、その程度で回復するはずもない。目覚め、掃討作戦に参加したのだろうが、その中でさらに消耗したとあれば、余力などほとんど残っていなかったのではないか。
たとえ、天軍の助勢によって第五霊石結界からオトロシャ軍残党の排除にそれほど大きな力を使わずに済んだのだとしても、それであの地から超銀河道に至るまでの超長距離を飛行し、幸多たちを確保、離脱するまでの長時間、月黄泉の時間静止を発動し続けることなどできるものだろうか。
その結果が現状、体内の魔素すらも枯渇し、魔力の練成すらもかなわない状態になっているのだとしても、だ。
無論、美由理が規格外にも等しい魔素総量の持ち主だということは理解しているのだが。
「宇宙から飛来した幻魔の大群が作り上げた塔は、第五霊石結界からも見えるほどに巨大だったということも大きい。迷うことなく塔まで辿り着くことができ、幸多を保護することができた」
「それもこれも月黄泉の力ってわけか」
「そして道中、様々な場所に魔法を仕掛けておいた。時限式のな。途中で力尽き、魔法が使えなくなる可能性を考えれば、保険はいくらあってもいいだろう」
「そりゃあそうだ。にしても、規模も精度もとんでもねえだろ。これじゃあおれが踏ん張ったのが馬鹿馬鹿しく思えてくるぜ」
「いや、おまえが耐えてくれなければ、魔法の発動までに全滅していた可能性は十二分にある」
「可能性か」
「最悪、わたしの命が尽きれば、時限式など関係なく発動するように組み込んではいたからな。全滅だけは避けられたはずだ」
「駄目ですよ、そんなの!」
幸多が猛然と抗議すると、美由理ははっとした。抱き締めていることもあって、彼の顔がすぐ目の前にある。彼の怒りが、息の白さなど吹き飛ばすほどの熱量を感じさせる。
「師匠が死ぬだなんて、そんなこと、絶対に駄目です!」
「全滅よりは遥かに良い」
「良くないです! 全員、生きたまま還るんです!」
「……無茶ばかりするきみがいっても、説得力がないぞ」
「それは……」
幸多が口籠もる様を見て、美由理も言い過ぎたかと思ったが、しかし、意見を変えるつもりはなかった。
幸多が明日良とともに宇宙に飛び立つと知って、美由理がどれほど心配したのか、彼にはわからないだろうし、そのことをいうつもりもない。
美由理は、既に力を多く消耗していて、万全の明日良の代わりを務めることはできないし、明日良を信頼し、任せるしかなかったのだ。
だからといって、その結末が幸多との永遠の別離だったとすれば、そんなものを受け入れることはできなかったのではないか。
では、自分の死は、どうか。
無論、死にたいわけではなかったし、なんとしてでも生き残るつもりではいた。
だが、最悪の状況を常に想定するのが星将というものだったし、ひとりでも多くの導士を生還させるために己が命を使い果たすことには、意味があるはずだった。
その結果、幸多と死に別れることになるのだとしても、だ。
星将たるもの、いつだって自分と他人の命を天秤に懸け、他人の命を取るものだ。
いや、戦闘部導士のほとんど全員がそうではないか。
自分の命の無事を最優先に考えることはなんら問題ではないし、戦闘部は、導士たちにそう教える。生きて還ることこそ、最重要任務である、と。
だが、それでも、戦闘部に入ったものは、戦士となったものは、己が命を他者のために差し出すことを厭わない。
「まあ、いい。ともかく、わたしは最悪の事態に備え、進路上に魔法を仕掛けていたというだけのことだ」
「そしてそれらの魔法がいままさに炸裂し、すべてを氷漬けにした、と」
「だとしてもだなあ」
明日良が呆れ果てたような顔をするのも当然だと、神威も想うのだった。
美由理が進路上に仕掛けた氷結魔法の規模たるや、筆舌に尽くしがたく、とてもではないが信じられないものだった。その威力もその精度もその範囲も、魔法を構成する全要素が、大抵の星神魔法を遥かに陵駕している。
これだけの魔法を各所に仕込みながら長時間に渡って月黄泉を維持し続けたというのであれば、精根尽き果て、身動きひとつ取れなくなるのも無理からぬことだ。
「よくやるよ、ったく」
それが幸多のためだということは、明日良にも理解できていたし、神威も当然のようにわかっていた。
美由理の愛弟子への想いの強さは、だれの目にも明らかだ。
だれであれ、己が命を賭してでも護りたいもののひとつやふたつはあるだろうが、美由理の場合は、幸多なのだ。
幸多だけは、自分の全存在を懸けてでも護りたかったに違いない。
そして、そのために力を使い果たしたのだとすれば、致し方のないことだ。
「まったく、恐れ入る。素晴らしい。実に、素晴らしい」
突如、遥か頭上から聞こえてきたのは、幸多も聞き知った声であり、眩いばかりの白銀の光が刻々と迫り来る夕闇を押し退けるようにして降り注いできていた。
神々しくも幻想的にして、柔らかな銀の光。
「この声は……!」
「天使……!」
「熾天使メタトロン!」
「どうして!?」
四者四様に反応を示し、頭上を仰ぎ見れば、赤々と燃え盛る空の狭間に白銀の光を放つものがあった。それは三対六枚の巨大な翼を広げ、悠然と舞い降りてくるのである。
しかも、一体だけではない。
その周囲には無数の光り輝くものたちがいて、その数たるや数万を軽く超えているようだった。
まさしく天そのものが降ってくるかのような、そんな光景。
天軍の到来。
その天軍の中にあって、白銀の熾天使だけは、他の天使たちよりも圧倒的な存在感を放っていた。この空と海の狭間に満ちた膨大な冷気に靡くのは白銀の頭髪であり、全身に纏う銀の衣。翼も羽の一枚一枚に至るまで純然たる銀色であり、それぞれが強い光を放っている。
熾天使メタトロン。
この夕闇の空に浮かぶ姿は、銀の月のようですらあった。
「どうしてもこうしてもないだろう。きみたちは、なにものだ?」
「はあ? なにいってんだ、あいつ」
「謎かけ……ということもなかろうが」
「うん……?」
「人間だよ!」
「そうだな、皆代幸多。きみたちは、人間だ。ならば、おれたちはどうするか。答えはひとつ」
メタトロンの蒼白の瞳が幸多だけを見据えていた。超然とした、神秘的な目。その奥底に渦巻くのは膨大な情報子であり、青白い燐光が幸多にだけ見えていた。
メタトロンが右腕を翳すと、それが合図だったのだろう。
天使たちが、一斉に動き出した。
総勢一万は下らないであろう天使の軍勢。最下級と思しき天使ですら下位妖級幻魔相当の魔素質量の持ち主であり、それらが細かく階級分けされている。
天使、大天使、権天使、能天使、力天使、主天使、座天使、智天使、そして、熾天使。
その姿は、大半が人間の背に光の翼が生えたようなものなのだが、階級が上がるにつれ、異形さが増していくようだった。
以前、光都跡地をさらなる廃墟へと作り替えた座天使などは、球体から無数の翼を生やしたような姿であり、その全身から数多の光線を発射し、周囲一帯の氷像と化した幻魔を一掃していく光景は、悪魔めいてさえいた。
「我ら天軍は、人類の守護者なり」
メタトロンの宣言とともに天使たちの攻撃は、苛烈さを増した。
既に氷漬けとなり、戦うことどころか動くことすらできなくなった妖級以下無数の幻魔が、瞬く間にその命を散らしていく。
天使たちが唱和し、光の雨を降らせれば、大天使たちが突撃し、権天使たちが巨大な光芒を照射した。能天使、力天使が主天使に伴われて戦場に舞い降り、座天使が光線を乱射、四つの顔を持つ智天使が四枚の翼を羽撃かせて光の嵐を起こした。
戦場は、爆砕の嵐に飲まれた。




