第千四百三十三話 時を司るもの(十)
「何度目だ?」
「なにがだ?」
「この戦いが始まってから……ここに至るまでの間、絶体絶命の窮地って奴を迎えるのは、これで何度目かって聞いてるんだよ」
「さて……何度目だろうな」
明日良の自暴自棄にも等しい叫びを聞きながら、美由理は考える。
明日良が星装・阿修羅の全力を駆使して暴風圏を加速させつつ一点に集中、それによって防御性能を高めることで鬼級の攻撃を凌ぐ様は、この戦況の悪さを端的に示している。
状況は、最悪。
二体の鬼級幻魔を相手にここまで耐え凌げていることが上出来というべきであって、ただの魔法士ならば一秒も持たずに敗れ去っていたことは言うまでもない。
星将ですら、だ。
明日良の底力の凄まじさが伝わってきていたし、美由理もどうにかしなければならないという気持ちはあった。だが、どうしようもない。星象現界の限りを尽くし、力を使い果たした。精も根も尽き果てて、もはや魔素生産能力に限界が来ている。この体内を巡る魔素を消耗し尽くせば、命が尽きるだけだ。
そして、そのような真似は、できない。
この体に残る僅かばかりの魔素を魔力へと練成することができないのだ。
生存本能が、死を拒絶する。
だから、美由理は、明日良を頼る以外になかったし、彼がどうにか食らいついているこの状況を信じるしかなかった。
神威が幸多を引き連れて、明日良に合流する。
阿修羅の腕の二本が、ふたりを強引に掴み取った。
「これ以上、離れてくれるなよ!」
「心配をかけた」
「すみません!」
「いや、気にするな。ああするよりほかなかったんだ」
「てめえ、弟子に甘すぎるだろ!」
「だが、事実だ」
美由理の淡々《たんたん》とした言動の奥に見え隠れする幸多への信頼は、決して揺らぐことのないものであり、明日良はそれを好ましく思っているから余計なことはいわない。
師弟の絆ほど、導士を成長させるものはないのだ。
明日良にも弟子がいるが、彼らとの関係性もまた、美由理と幸多のように良好だと断言できた。
とはいえ、この状況下に愛弟子を放り込みたいなどと考える師匠はいないだろうが。
「そして、よくやった」
「うむ……褒めすぎだな」
神威までもが渋い顔をする中、美由理が見ているのは幸多ではなかった。幸多が照れくさそうな顔をするその向こう側、渦巻く海流と降りしきる羽弾の雨、触手の奔流の狭間に煌めくものを視た。
「時間だ」
「あん?」
「なんだ?」
「はい?」
美由理以外の全員が、三者三様に怪訝な反応を示したのも束の間、つぎの瞬間、事態は急変した。
上空からはガルーダが巨大な竜巻を率いて迫ってきていて、海上のアプスーもまた大津波を引き起こしていた。莫大な魔力が空と海を震撼させ、その境界を塗り潰していくかのようだった――のだが、それらが突如として凍りついた。
一瞬にして、その膨大にして破壊的な魔力の奔流が尽く凍りつき、幸多たちの周囲一帯に絶対零度の世界が構築されていく。
なにもかもだ。
なにもかもが凍りついてしまった。
降りしきる羽の雨も、迫り来る触手の嵐も、天から降る竜巻も、せり上がる渦潮も、高さ数十メートルはあろう大津波も、ガルーダも、アプスーも、なにもかもすべてが刹那にして氷漬けになってしまったのだ。
「なっ――」
幸多も明日良も神威も、異口同音に絶句し、驚愕するほかなかった。心の底からの驚き。頭の中が真っ白になって、なにが起こったのかを理解するまで多少の時間を要した。空白になった頭の中が埋め合わされ、思考が再開したとしても、氷結した世界は変わらない。
莫大な冷気が四人を包み込み、体に浸透してくるようだったが、それらが幸多たちに牙を剥いてくるようなことはなかった。
ただ、寒い。
「寒すぎだろ!」
「そこか?」
「まあ、確かにな」
「ど、同感……です……」
幸多は、明日良と神威のノリについていくべきか迷いつつも、そういった。すると、間近にいた美由理が両腕を伸ばして幸多を引き寄せようとする。阿修羅の腕が、まるで気を利かせたように師弟を近づけた。
「これでどうだ?」
「え、えーと……」
美由理が幸多を抱き締め、幸多が当惑する様を横目に見て、神威は、小さく微笑んだ。
この状況の急変、事態の好転に対し、一切の動揺もしていなければ、なんのことはないといわんばかりの態度を取るのが、美由理の美由理たる所以だろう。
「さすがは氷の女帝、か」
「いやいや、いやいやいや、いやいやいやいや」
「なにか不満でもあるのか? 絶体絶命の窮地とやらから抜け出せたんだぞ」
「これができるなら最初からしとけっての!」
明日良が喉が張り裂けるくらいの大声で叫ぶ中、美由理は幸多の体温を感じ取っていた。魔素を持たざる幸多の肉体は、周囲の急激な気温の低下の影響から逃れようがない。
美由理は無論のこと、明日良や神威は魔力で自身の肉体を保護することができる。
幸多には、それができない。
魔素を持たないが故、魔法の恩恵を受けることもできなければ、魔法の影響も受けにくいものの、魔法によって引き起こされた異常気象などの場合、だれよりも強い影響を受けるのが幸多なのだ。
だから、美由理は幸多を抱き締めたのだが、それが周囲には伝わらないらしい。
「いっただろう。力を使い果たした、と」
「じゃあ、これはなんなんだよ、冷血鉄面皮。てめえの仕業じゃなかったら、だれの所業だっつーんだよ」
「この状況を見て、わたし以外に原因を求めるのは愚かものだけだよ」
「だから!」
「まあ、待て。話を聞こうじゃないか。確かに伊佐那軍団長は、力を使い果たしていた。もはや魔力を練成することすらできないほどにな。それはそうだ。第五霊石結界から幻魔の塔に至り、皆代輝士と我々を確保、そしてここまで飛んできたんだ。限界まで力を使い果たして当然のこと」
「それはわかってる。じゃあ、これは一体なんなんだ? 一体全体どうやって、この状況を作り出したんだ」
明日良は、全周囲に視線を巡らせながら、いった。凍りついているのは、目に映るものほとんどすべて。周囲の大気中に存在する魔素までもが氷結しているわけではないものの、ある程度の魔素質量を持つものならば、海水さえも氷漬けにしてしまっている。
鬼級幻魔の二体も、周囲の己の魔力とともに氷像の如く凍りつき、聳え立っている。
それも超広範囲に及んでいるのだ。
つまり、この戦場の外に大気していたガルーダ、アプスー配下の幻魔たちや、無関係の大量の幻魔までもが凍りつき、空中や海上、海中で氷像と化してしまっていた。
見渡す限り氷像だらけであり、辺り一帯の海面が分厚い氷に閉ざされていた。
「……わたしが緊急事態を知ったのは、オトロシャ軍残党を第五霊石結界から排除し終えた直後だった。宇宙の果てから大量の幻魔が迫ってきたというだけでも大問題だったが、幸多との連絡がつかなくなったという報告もあったからな。幸多になにか重大な問題が生じたとあらば、全霊を尽くすのは師として当然のことだ」
美由理は、第五霊石結界の戦場にあって、錯綜する情報の中にいた。地宙間情報通信網によって神威の勝利、生存という歓喜の報せが届いたかと思いきや、宇宙の彼方から予期せぬ脅威が迫ってきているという話があり、それがなにやらとてつもない数の幻魔の軍勢だと伝えられた。
戦団の、いや、人類の現有戦力ではどうすることもできない絶対的な戦力差。
だが、それでも動かなければならなくなった。
地宙間情報通信網が使えなくなったからだ。
それは取りも直さず、幸多の身になにかが起きたことを意味していた。
美由理としては、いてもたってもいられない。
だから、動いた。
当然の帰結だ。




