第千四百三十話 時を司るもの(七)
とはいえ――。
「制空権も制海権も幻魔のクソ野郎どもに握られてるってなると、さすがにあれだな!」
「あれってなんだ?」
「きついってんだよ、いわせんな!」
「きついならきついといえばいい。恥ずかしがることではないだろう」
「そりゃあおまえは満足だろうが」
「だれが満足してるんだ、だれが」
「最愛の弟子を救出できて、ついでにジジイとおれ様を確保できたんだ。満足してくれないと困るぜ」
思わぬところで噛みついてきたものだから、明日良は、多少の困り顔を覗かせた。もっとも、美由理の口調からすれば甘噛みも良いところだったし、どうということはないのだが。
きついことに変わりはない。
全周囲に渦巻くは、星象現界・阿修羅が引き起こす大暴風圏。その凄まじい破壊の嵐の中を妖級幻魔たちが突破を試みては失敗し、強力な合性魔法の構築を始めている。無数の律像が複雑に組み合わさって紡ぎ上げられた魔法の設計図。読み説けば、その威力の凶悪さが理解できようというものだ。
獣級以下の雑兵を差し向けても無駄死にすることがわかったからか、それらは包囲網を構築するに留めており、それ以上突撃してくるようなことはなかった。
ただし、攻勢は緩めていない。包囲覆滅がための魔法による斉射。全周囲から殺到する大量の魔法弾が、それぞれ異なる属性の爆発を撒き散らし、暴風圏の中で混ざり合って弾けていた。
魔界の空と海に割拠する鬼級幻魔たち、その〈殻〉から続々と送り込まれる戦力は、突如、どこからともなく、まるで空間転移でもしてきたかのように出現した異物を排除するためだけに押し寄せてきている。
それら幻魔たちが人類の現存を知っているとは思えない。が、一目見て人間であると気づくだろうし、幻魔の別種であるなどと誤認するわけもない。たとえ誤認したとして、攻撃の手を止める理屈もない。
魔界は、戦国時代さながらだ。
鬼級幻魔の本能が、領土的野心の火を燃え盛らせ、〈殻〉の拡大がため、隣接する〈殻〉との小競り合いから本格的な闘争まで、終わることなく、飽きることなく繰り返している。
終わりのない闘争の歴史。
人類の歴史と、さして変わるまいが。
「……それは、そうか」
美由理は、明日良の言い分を受け入れると、幸多の横顔を見た。褐色の瞳の奥底からわずかに漏れるのは、青白い燐光。それが彼の特異性を示すものであることはいうまでもない。
完全無能者にして、源理の力の使い手。
なぜ、幸多だけがそのような能力を持っているのか不明だが、そんなことを言い出せば、第三因子を持つものすべてに当てはまる。
(わたしにも、な)
だが、美由理にはいま時間静止魔法を使うことはできなくなった。力を使い果たしたのだ。こうなってしまっては、自分以外のだれかを頼るしかない。
そして、もはやひとりではない。
だれかに頼ることを恐れる必要などないのだ。
いま目の前に軍団長の中でも特に頼りがいのある男が奮起している。その事実が、美由理から恐怖を消し去っていた。
「このまま突っ切ることはできそうにないか?」
「簡単にいってくれるな、さすがはクソジジイ。初代傲岸不遜大魔王様は格が違うって感じだ」
「なにがいいたい?」
「やってやるって話だ」
明日良は、神威に発破を掛けられたと思った。明日良ほどの魔法士が、この程度の幻魔の大群に足止めされるものか、とでもいうような、そんな言葉。無論、神威がそこまで無謀でもなければ物の道理を弁えない人間ではないことはわかっているが、しかし、この苦境を打破するには、ほかに方法がない。
無理をしなければならない。
「征くぜ、振り落とされるなよ!」
明日良は告げ、阿修羅のさらなる力を発揮させた。
「羅睺」
暴風圏がその勢力を大幅に拡大しつつ加速すれば、全周囲からの魔法攻撃が遥かに遠ざかった。暴風が防壁となり、魔法も幻魔も寄せ付けない。妖級幻魔の合性魔法すら、完全に意味を為さなくなる。
「勇健」
明日良が阿修羅の全力を解放、暴風圏の中から直線上に突風が吹いた。それはまさに一陣の風であり、前方に犇めく幻魔の大群に巨大な風穴を開ける。しかし、この大群である。すぐさま包囲網が再構築されるかと思いきや、風穴の中に入り込んでくる幻魔はいなかった。
星神力の限りを尽くして放たれた突風、その残滓が幻魔の接近を阻んでいるからだ。真空中に瞬く光は、星神力の輝きか。
まさに血路だ。
明日良は、三人を抱えたまま、その風の通り道を全速力で飛翔した。
暴風圏を引き連れて、だ。
それはさながら台風のように、周囲の大気を飲み込み、成長し、膨張と拡散を繰り返しながら前進する。
南下。
旧日本海上空をひたすらに南下すれば、旧兵庫地域の陸地が見えてくる。
すると、どうだ。
「まあ、だろうな!」
明日良がわかりきっていたといわんばかりの反応を見せたのは、前方に巨大な魔素質量が出現したからであり、それによって風の通り道が打ち砕かれたからだ。暴風圏の真っ只中に君臨したそれは、絢爛たる極彩色の翼を持っていた。
鬼級幻魔であることは、一目瞭然。
「我が〈殻〉を通り抜けるだけならばいざ知らず、我が子らを傷つけ、徒に命を奪う輩を見逃すなど、ありうべかざること」
それは、無数にして七色の翼を羽撃かせることによって明日良の暴風圏に対抗した。渦巻く嵐が激突し、星神力と魔力の間で火花を散らす。
明日良の星神力は、鬼級幻魔の魔力を質においては大きく上回る。星神力とは、魔力を超密度に凝縮し、昇華したものなのだ。同量ならば、負ける要素はない。
だが、その量においては、どうか。
まるで鳥の化身のような姿態をした鬼級幻魔は、輝かしい羽の衣で全身を覆っているだけでなく、体中、様々な場所から大小無数の翼を生やしていた。そして、それぞれの翼が猛烈な風気を発し、莫大極まりない魔力の総量を見せつけるかのようだった。
質比べならば明日良に分があろうとも、そこに量が加われば、負ける。
相手は鬼級。
星象現界を習熟せし星将三名で当たるべき存在なのだ。
そして、こちらの戦力は。
「大星将とは名ばかりの星将未満に、力を使い果たしてお荷物同然の星将がひとり、そんで、輝光級がひとり」
「皆代輝士は、この度の活躍を以て昇格間違いないぞ」
「なら、準煌光級ってことにしておくが、だったらなんだって話だぜ、ジジイ」
「うむ、なんだろうな」
「……てめえ、いい加減なことばかりいってんじゃねえぞ」
「そして、馬鹿みたいな言い合いをしている場合でもない」
「わーってる!」
神威の一言は明日良への警告だったが、そのときには彼は動いている。
全速力で降下することで前方からの突風を回避すると、海面が目前に迫った。そして、どす黒い死そのもののような水面が爆発的な勢いで膨れ上がってきたものだから、瞬時に後退する。
大量の水飛沫を上げながら眼前に出現したのは、軟体生物のものと思しき巨大な触手であり、夕日を浴びて赤々と輝く様は、禍々《まがまが》しいにもほどがあった。
もちろん、魔天創世後の地球に海洋生物など存在しない。
魔法の発明と発展、普及によって、海の底の底まで調べ尽くされ、掘り尽くされた結果、深海生物もまた、地上の生物と同じく、魔素によって成り立っていることが判明しているのだ。
魔天創世に伴う魔素の増大に耐えられる生物など、存在しないはずだ。
でなければ、魔天創世以前の地球において、その生物が絶対者の如く君臨していたはずである。
だが、そうではなかった。
故に陸海空、この地球に棲息するあらゆる生物が死滅したのであり、生き残ったのは、わずかばかりの人間だけだ。
ならば、目の前の軟体生物めいた触手はなにか。
幻魔である。
それも並外れた魔素質量の持ち主であることから、鬼級幻魔とわかった。
この海域に〈殻〉を築き上げたのであろうそれは、さらに何本もの触手を天に伸ばし、明日良を襲った。
明日良は、二体もの鬼級幻魔を相手に大立ち回りを演じなければならなくなった。




