第千四百二十八話 時を司るもの(五)
「まったく、きみも無茶をするものだ」
神威が殊更に困ったような顔をしたのは、遥か水平の彼方、輪郭すらも朧気な、しかし確かに存在する超巨大構造物が根底から崩壊していく様を眺めながらのことだった。
その間近を明日良に引っ張られ、超高速で降下している最中だったはずなのだが、気がつくと、海上にいた。
遥か眼下、どす黒い死の海が横たわり、激しく波立っているのは、大陸に起きつつある情勢の激変に影響されてのことかもしれない。
ここは、魔界。
地球全土が幻魔の領土といっても過言ではなく、空中も海中もその例に漏れない。
つまり、陸海空のどこもかしこも鬼級幻魔の〈殻〉があり、空白地帯と呼ばれるわずかばかりの隙間さえも埋め尽くさんばかりにひしめき合っているのだ。
〈殻〉は、殻石を中心として円形に広がる結界ではない。球状の結界であり、故に、地上よりも空中や海中のほうがより影響力の強さを理解できるというものだった。
無論、央都――人類生存圏の上空にも無数の〈殻〉が存在しており、時折、その領土争いが繰り広げられた余波が地上に降り注ぐことがあった。
もっとも、〈殻〉そのものは常人の目に見えるものではないため、いままさに無数の〈殻〉に包囲されているという事実を認識することができるのは、大量の幻魔が姿を見せているからにほかならないのだが。
「ジジイにいわれたくねえだろうが、まあ、おれも同感だ」
明日良もまた、自分がなぜ、幻魔の塔からかつて日本海と呼ばれていた死の海の直上に浮かんでいるのか、瞬時に理解していた。思わず、海中に飛び込みそうになったのは、全速力で降下している状態だったからであり、幸多と美由理の警告によってすべてを把握、降下を止めている。
つまり、だ。
美由理が星象現界・月黄泉を発動、時間静止によって幻魔の塔付近にいたのであろう幸多を捜索、救助し、もののついでに明日良、神威を拾い上げて、ここまで飛んできたのだ。
第五霊石結界から幻魔の塔へと飛行し、さらに日本海上空に到達するまでの間、時間静止を維持していたというのだから、とてつもない。
「いくらなんでも無茶苦茶だぜ」
「……返す言葉もない」
美由理が反論のひとつすらせず、項垂れているのは、もちろん力を消耗し尽くしたからだった。
つい先程まで時間静止を維持していたのだが、突如として背後に浮かんでいた満月が消滅、時の流れが元に戻るとともに飛行魔法すらも解除されてしまったのである。
危うく、美由理は幸多ごと海に沈む羽目になったところ、明日良の機転で助かったのだ。そして、いまは星装・阿修羅の腕の一本に掴まれている。
幸多も同様に、だ。
「だが、ほかに方法がなかった。そして、わたしの判断は間違っていなかったよ」
「うん?」
「あの塔から鬼級幻魔がたくさん出てきたんです。そして、それに引き寄せられるように〈七悪〉が現れて、それはもう大変だったんですよ。しかもなぜかぼくの争奪戦を始めるし、なにがなんだか」
「皆代争奪戦? なんだそりゃ?」
明日良が怪訝な顔をするのも当然の話だが、それは幸多も同じだ。
宇宙幻魔のうちの一体が幸多に興味を持った理屈は、わからないではない。幸多は、通常、幻魔の目には映らない存在だ。魔素を一切内包しない完全無能者。ウルティマリアが技術者、研究者というのであれば、好奇心をくすぐられても不思議ではないかもしれない。
が、悪魔たちはどうか。
幸多を嘲笑い、嬲り、いたぶることすら躊躇わない敵だ。
しかも幸多は、悪魔たちにとって致命的になりかねない攻撃手段を持っている。源理の力を使えば、悪魔の肉体に重大な損傷を与えることも不可能ではないのだ。
悪魔からしてみれば、幸多の存在そのものが不快であり、邪魔であり。滅ぼすべきものではないのか。
それなのに悪魔たちは、幸多を傷つけるどころか、皇国の幻魔たちの手から救い出そうとしているかのようだった。
矛盾している。
「――ふむ……」
神威は、幸多から事の次第を聞き、いつものように厳めしい顔になった。
「蒼陽銀河のヴァシュタリア皇国か」
異なる宇宙、異なる銀河からの来訪者たち。
おそらく、竜級幻魔ブルードラゴンが最後に発した咆哮が宇宙の果てを越え、別宇宙にまで届いた結果がこれなのだろう。
蒼陽銀河なる別の銀河からやってきた幻魔たちは、総勢、数百、いや、数千億はくだらない数であり、それらがあの地に降り注ぐ様は圧巻だ。
幻魔の塔そのものは、美由理が時間静止中に仕掛けた連鎖魔法によって爆砕され、根底から破壊され尽くしているのだが、それで皇国軍が戦力を失ったわけではない。
幸多が見た限りでは、皇国には十体以上の鬼級幻魔がおり、聖皇イスラリエルの戦闘能力は、どうやらサタンに匹敵するのではないか、という話だった。
〈七悪〉と対峙し、戦闘、生き残っていたというだけで、イスラリエルとその家臣たちの実力の一端が窺い知れよう。
並外れた力を持つ鬼級幻魔たち。
そんなものがあの大陸に降り立ち、魔界の覇権を巡って動き出すというのであれば、世界全土にまでその影響が及んだとしても不思議ではない。
幻魔戦国時代が、動こうとしているのではないか。
「もっとも」
神威は、視線を巡らせながら、告げる。
「我々が感知し得ないだけで、幻魔戦国時代は常に動き、飽くる事無き戦乱の中にあったんだろうがな」
「ご覧の通り」
とは、明日良。
明日良は、神威、美由理、幸多を阿修羅の四本腕でそれぞれ掴んだり抱えたりしつつ、飛行魔法で高度を維持していた。
できることならば、一刻も早くこの場を離れ、第五霊石結界に帰還したいところなのだが、それができない。
なぜならば、全周囲、あらゆる方向に大量の幻魔がいたからだ。
いずれも飛行型と総称される幻魔である。等級は、霊級、獣級、妖級と、鬼級未満が多数。数は、大量。数千では桁二つ以上足りない。
数十万、いや、もっと多くの幻魔が全周囲にあって陣形を構築している。
「ここは、〈殻〉のど真ん中だったりしねえよな?」
「わからないな。わたしは最短直線距離を飛行しただけだ」
「で、その途中で力尽きた、と。頑張りすぎで欲張りすぎたな」
「面目ない」
「いや、しかし、あの塔の地上部分が跡形もなく消し飛んだのは、大きいはずだ」
「そうはいうが、ありゃあ別の宇宙からこの地球まで辿り着くほどに長大なんだぜ? しかも、皇国の幻魔とやらは、あれの中を通って出てきたんだろ?」
「はい。あれが皇国軍の移動手段のようでした」
「地上部分を取っ払ったところで、大した影響はなさそうだがな」
「……ああ」
美由理は、明日良の意見を肯定するだけだった。彼のいうとおりだ。あんなことになんの意味があったかといえば、なにもない。
ただ、時間を浪費し、力を浪費し、命さえも浪費しただけではないか。
だが、あのとき、あの瞬間、美由理にはああするよりほかなかった。
魂の叫びは、自分でも止められるものではない。
その結果、この窮地を招いたのだとしても、後悔はない。
「……反省しとけよ、思いきりな」
「ああ、猛省している」
「なら、よろしい」
「なにがいいのやら」
「ジジイ、てめえは一言多いんだよ。そこは黙っとけっての」
「……ううむ」
「閣下、大丈夫です」
「なにがだね」
神威は、幸多からの励ましの言葉にこそ渋面を作ったが、彼はまったく意に介していないようだった。
それよりも全周囲を取り巻く幻魔たちにこそ、注意を払うべきだ。実体を持たざる霊級幻魔の大群が前面にあり、翼を持つ猛獣、猛禽がその背後に控え、フェアリーやピクシー、ヴァンパイアやサキュバスら妖級幻魔たちが四方八方に展開している。
こちらの動向を見ているものの、無数の律像を見れば、それらがいつ攻勢に出てきてもおかしくはなかった。
まるで合図を待っているかのようだ。




