第千四百二十七話 時を司るもの(四)
「来るよ」
マモンの端的な一言を警告だと認識したときには、それは起きていた。
凄まじいまでの爆砕の連鎖であり、断末魔が無数に響き、交響曲を奏でるようだった。
「だとすれば、なんて残酷な交響曲」
「なにひとりで悦に浸ってるんだか」
ベルゼブブは、なにやら突如として崩壊が始まった幻魔の塔の真下から飛び退きながら、アザゼルを唾棄した。アザゼルは降りしきる幻魔の死骸をものともせず、頭上を仰いでいる。
爆砕の連鎖は、止まらない。
幻魔の塔、その遙か上方で引き起こされているらしいそれは、超威力の星神魔法の乱打だ。ひとつひとつが物凄まじい破壊力を誇るそれが並外れた魔法技量の持ち主によって発動されたことは、考えるまでもなく理解できた。
莫大な量の星神力が込められた攻撃魔法が、それこそ、信じられないくらいの数と規模で同時に発動し、それによって幻魔の塔の上方――いや、その全長を考えると、その中間ですらないのだろうが――が崩壊を始めたのだ。崩壊は、瞬く間に加速し、急激に上方と下方へと伸びていく。
まるで自壊していくかのように。
「これはどういうことだ!?」
「なにが起きているの!?」
「超銀河道が崩壊していく!?」
それがヴァシュタリア皇国の鬼級幻魔たちにとっても予期せぬ出来事だったのは、衝撃的な反応を見せていることからも明らかだ。
これほどの数の幻魔が注ぎ込まれて作られた構造物だ。そう簡単に傷つけることもできなければ、破壊することなど困難に違いない。幻魔の壁をぶち抜いたところで、すぐさま別の幻魔によって埋め合わされるようになっているのだろうし、でなければ、別の銀河からこの太陽系、地球圏まで伸ばしてくることなど考えられない。
だが、見る限り、意図も容易く破壊されており、破壊された部分が幻魔によって修復される間もなく、さらなる破壊が連続的に発生し、塔の形すらも維持できなくなり始めている。
「自壊が連鎖している……」
イスラリエルが、茫然とした様子で頭上を仰ぎ見る様を見れば、ヴァシュタリア皇国の幻魔たちの魔法技量などたかが知れるというものだが、しかし、生粋の幻魔などその程度のものかもしれない、とも、サタンは考えを改める。
幻魔は、生まれ持った能力だけで生き、戦い、死ぬ生き物だ。
万物の霊長にして、完全生命体、究極の魔法知性体を主張する彼らが、成長を試みることなど、通常、考えられることではない。
魔法の腕を磨くなど以ての外であり、そんなことをするのは、幻魔の恥曝しである、などという考えが一般的だ。
故に、生まれ持った能力がすべてであり、竜級幻魔が神の如く君臨するのである。
「時を止める魔法の使い手がいる、と、いったね?」
「はい、サタン様」
「この崩壊も、その魔法士によるものかな?」
「おそらく」
「……なるほど」
頭上から降り注ぐ大量の死の中で、サタンは、静かに己が影を広げた。眼下、山の如く積み重なっていく幻魔の死骸の数々を影に飲み込み、取り込んでいく。
頭上では破壊が終わることなく繰り返され、それによって塔が真っ二つに折れるも、転倒するようなことはなかった。空中に浮かんでいるからだ。
ただし、崩壊は加速する。
真っ二つに割れた塔がどうにかして接合しようと足掻いているのだが、その狭間から天地に向かって爆砕の連鎖が留まることを知らず、故に、幻魔たちがつぎつぎと死んでいくのだ。
超銀河道などと呼ばれる幻魔の塔を構成するのは、妖級以下の幻魔たちだ。それらはこの地球上には存在しない、未知の幻魔ばかりであり、魔素質量を見る限りでも、地球産の幻魔とは比べものにならない力を持っている。
だからこそ、宇宙を貫く巨大な柱の構成要素たりえたのだろうし、別銀河からこの地球まで走り抜けてこられたに違いない。
しかし、所詮、鬼級未満は鬼級未満。
時間静止魔法の使い手にしてみれば、一蹴するも容易い雑兵ばかりに違いなく、故に、破壊は留まることを知らないのだ。
加速する崩壊の中、皇国軍幻魔がイスラリエルを連れて、塔の真下から離れていく。
〈七悪〉たちは、サタンが動かないものだから、皇国の鬼級たちを放置せざるを得なくなった。
いや、そもそも、あれらはどうでもいいのだ。
問題は、この塔である。
この塔がある限り、蒼陽銀河とやらから無尽蔵に幻魔が送り込まれてくる可能性があるのだから。
「自壊の連鎖、か」
サタンは、遥か上空から聞こえてくる幻魔たちの死の絶叫に耳を澄ましながら、それがさらに上方へと伸びていくのを認めた。
「超銀河道……なんて安直な名前なのかしら」
「わかりやすいのは良いことだよ」
「そう?」
「うん」
マモンはアスモデウスが納得できないといわんばかりに渋い顔をする中、ただ、崩壊を続ける塔を見ていた。凄まじい爆砕の乱舞。それもただの爆砕ではない。爆破地点から自壊が始まり、自壊に飲まれれば最後、二度と元には戻れない。それは幻魔の死そのものだ。
幻魔の死が、塔を飲み込んでいく。
「これが人間の仕業か?」
とは、アーリマン。相も変わらぬ渋面で塔を仰ぎ見る闇の男は、とても信じられないと言いたげだった。
「そうだねえ。人間ひとりの仕業とは、思いたくはないかな」
普段はアーリマンと意見の合わないアザゼルも、さすがの事態に同意せざるを得ないといわんばかりだ。
マモンも、同調するほかない。
確かに幻魔の塔を構成するのは、妖級以下の幻魔ばかりだ。しかし、それらはなにやら改造を施された強化個体ばかりのようであり、それらが組み上がり、一種の合性魔法を発動しているのだから、そう簡単に破壊できるはずもない。
それも、たったひとりの人間が、だ。
先程、宇宙の寿命を奪いまくっていた神木神威ならば、まだしも。
「でも、ひとりだよ。ひとりだったんだよ」
マモンは、静止した時間の中を飛翔するひとりの導士を視た。戦団戦務局戦闘部、第七軍団長、星将、伊佐那美由理。五星杖のひとりにして、氷の女帝の異名を持つ、戦団最高峰の魔法士のひとり。
その両目が銀色に輝いているのもまた、見ていた。
本来、群青の虹彩の持ち主であるはずの美由理の両目が神々しくも白銀の光を発し、停滞した時空の中を自在に飛翔する光景。
それをなぜ、マモンに認識できたのか。
「――そうか。そういうことか」
マモンは、一人、納得するとともにこの状況が早く終わることを望んだ。一刻も早く研究室に戻り、研究を再開したかった。
崩落し続ける幻魔の塔の直下で、サタンの影が大口を開け、死に続ける幻魔たちの情報を喰らい続けている。
それはまさに儀式だ。
この世の終わりを告げるための、大いなる儀式。
故に、この儀式が終わるまで、〈七悪〉にはできることなどなにもなかった。
ヴァシュタリア皇国の鬼級幻魔たちがどうなろうと知ったことではなかったし、ここで逃げおおせたとして、どうでもいいことだった。
もはや、どうなるものでもあるまい。
超銀河道は、崩壊した。
「こんなことになるなんて、想定外だったね」
イスラリエルは、超銀河道の地上部分が完全に崩壊した様子を遠目に眺めながら、いった。
天地を支える柱の如く聳え立っていたそれは、もはやその影すら残っていない。
「まさか、このようなことになるとは」
「いや、これくらい想定しておくべきではなかったか? 我らは、竜の声を聞いたのだぞ?」
「うむ。道中、竜に遭遇したとしてもおかしくはなかった」
「その場合、為す術もなく全滅していたよ」
イスラリエルがあっけらかんとした口調で告げると、家臣たちも異論を挟む余地はない。
確かに、その通りだ。
竜級幻魔に遭遇すれば最後、抵抗したところで意味はない。
「ま、いいんじゃない? 目的地には辿り着けたんだし。ここからまたやり直せばいい。幸い、戦力は十分にあるんだから」
イスラリエルは、光り輝く結晶樹の樹海を歩きながら、つぎつぎと合流を始める鬼級幻魔たちを感知していた。
超銀河道の地上部分は完全に崩壊し、跡形もなくなったが、遥か上空、大気圏内にはまだ残っている。そしてそれは、ヴァシュタリア皇国本土と繋がっていて、イスラリエル配下の鬼級幻魔たちが続々と向かってきている最中だった。
仮に超銀河道が宇宙で途切れたとしても、鬼級幻魔たちである。
地球まで辿り着き、イスラリエルを探し出すのも問題あるまい。
「ここは、聖地。わたしたち幻魔の魂の故郷。なにも焦る必要はないんだ。じっくり、ゆっくりやっていこう」
イスラリエルの悠然たる振る舞いに、配下の武将たちは感銘を受けるばかりだった。




