第千四百二十六話 時を司るもの(三)
美由理が月黄泉を発動した状態で高度を上げ続けた先に待ち受けていたのは、遥か宇宙から大気圏内に舞い戻ってきていた神威と明日良だった。
明日良が星象現界・阿修羅の腕の一本で神威の導衣を掴み、最高速度で地上に向かっている最中だということは一目でわかる。
凍りついたときの中でも、その形相の凄まじさは伝わってくるというものだ。
「天空地軍団長と閣下がどうして?」
「もちろん、きみの救助に決まっているだろう」
「ぼくの?」
「きみがこの幻魔の大群に飲まれるようにしてはぐれたというのであれば、未だ大群の中か、途中で弾き出されるか、地上まで連れて行かれるかのいずれかだ。そのいずれの場合でも、この大群を追い掛けるのが、きみを探す場合においてもっとも有効な手段だと判断したんだ」
美由理は、神威の無事な姿を改めて確認して、胸を撫で下ろしていた。戦団総長にして、導士の中の導士、英雄の中の英雄たる神木神威は、いくら竜級幻魔が相手とはいえ、失うわけにはいかなかった。
戦団の支柱にして根幹といっても過言ではないのだ。
神威がいなければ戦団が成り立たないのではないか――というのは言い過ぎにしても、失った場合、戦団のみならず、央都全体に与える影響というのは決して小さくあるまい。
なにより、美由理にとって神威は数少ない理解者ということもあって、これから先もずっと生きていて欲しいという気持ちがあったのだ。
一方、明日良が血相を変え、全速力で降下している様子にも感動を覚える。
明日良がここまで必死になっているのは、幸多のためなのだ。
美由理には、それが自分のことのように嬉しい。
彼が星装で幸多を背負い込み、宇宙に飛び立つことになったと聞いたときには驚いたものだが、この役割は、軍団長の中では彼が適任だったということはいまならばはっきりとわかる。四本の追加腕を生み出す星装ならではの運用方法であり、幸多とともに宇宙での状況に対応するのも、明日良の判断力、反応速度があればこそだ。
そして、その判断力によって、彼は地上に降りてきた。
幸多を助けるために。
「幸多、きみがふたりを掴んでくれ。明日良だけでも十分だとは思うが」
「は、はい」
幸多は、美由理が明日良に接近するのを待って、腕を伸ばした。明日良の腕を掴み、握り締めれば、美由理がその場で反転する。上空ではなく、水平に飛行を始めたのだ。
「月黄泉の影響を受けないのは、わたしときみだけだ。それ以外のすべて、この宇宙に存在する森羅万象すべてが、月黄泉の時間静止を拒絶できない。時間だけじゃない。時間も空間も、わたしの支配下にあるといっていい」
美由理は、淡々と説明しながら、幸多がしっかりと明日良の腕を掴んでいる様を見た。明日良が神威を掴んでいるため、明日良を引っ張れば、そのまま神威も連れて行けるというわけだ。
「最強無比の星象現界。だが、欠点もある。時間静止の影響下にあるものに対し、攻撃を加えることもできなければ、魔法を発動することもできない。この飛行魔法は……」
幸多の視線から疑問を感じ取り、美由理は、言葉を探した。結論はついている。
魔法とは、想像力の具現だ。
中でも星象現界とは、魔法士ならばだれもが持つ魔法の元型――〈星〉を具現する究極魔法だ。
「認識の問題なのだろうな。自分を対象とする魔法のうち、いくつかは使うことが可能だ。例えば、時間静止中に治癒魔法を用い、傷を癒やすこともできるし、このように飛び回ることもできる。が、それは静止時間を無駄に消費する行動でな。わたしとしては、いい使い方とは考えていない」
そういう美由理だったが、彼女の背後に輝く白銀の月は、いまもなお全力全開だった。つまり、満月のまま、一切欠けていないのだ。
星象現界・月黄泉の発動と同時にその背後に浮かぶ白銀の満月、それこそが月黄泉の制限時間を示しているということは、幸多も説明を受けている。
月黄泉を発動すれば即座に時間が静止するのではない。時間静止は、月黄泉の発動中、術者たる美由理が任意に実行することができ、自在に解除することができるのだ。
が、無限に長く時間を止めることはできず、時間を止めている間、彼女の背後の満月が徐々に影に覆われ、欠けていく。完全に闇に覆われれば、月黄泉そのものが解除されるという。
つまり、星象現界の発動に伴う能力強化の恩恵さえ受けられなくなるということだ。
現在、美由理がどれだけの時間、時間静止を維持しているのかは、幸多にはわからない。しかし、〈七悪〉を始めとする鬼級幻魔たちに気取られることなく幸多を掠め取っていったということは、遥か遠方にて発動し、超長距離を移動してきたのではないか。
となれば、その間、とてつもなく消耗したはずであり、それによって満月が加速度的に欠けたのだとしても不思議ではない。
だが、月は、欠けていない。
未だ万全たる状態のまま、静かにして冷ややかな光を発散し続けている。
そして、目。
ふと気づくと、美由理の虹彩が白銀に輝いていた。
「師匠……その目は……?」
「うん?」
美由理は、幸多に指摘されて、なにをいっているのかと考えなければならなかった。幻魔の塔からできる限り距離を取ったところで急停止し、背後を振り返る。
かつて、ユーラシア大陸と呼ばれた大地のど真ん中に突き刺さった宇宙からの飛来物。どす黒く、禍々《まがまが》しい超巨大構造物は、静止した時の中でも、その存在感を見せつけるかのようだった。何億、何十億、何百億――いや、もっと大量の幻魔の集合体。そうでなければ、宇宙の果てからこの地球へと到達し、その状態で大気圏外まで聳え立つことなどありえまい。
なぜ、どうしてこんなものが降ってきたのか。
「わたしの目が、どうかしたか?」
「師匠の目の色って、群青でしたよね?」
幸多の記憶の中で輝くのは、美由理の瞳の透明さだ。透き通った青さは、いつだって幸多の心を射貫くのだ。真っ直ぐに幸多を見つめ、幸多を認め、幸多を必要としてくれていることが伝わってくるようなまなざし。
美由理が第七軍団に引き入れてくれただけでなく、師弟の契りを結んでくれたことによって、幸多の導士人生が始まった。
美由理とは、幸多の人生の転機そのものであり、幸多にとって掛け替えのない存在だ。
その目の色を間違えるわけもない。
いま、幸多が仰ぎ見る彼女の目は、白銀の光を帯び、烈しく輝いているのだ。
その背後に浮かぶ満月と共鳴しているかのように。
「いま、銀色に輝いているような」
「銀色に……か」
「はい。背中の満月とお揃いですね?」
「ふ……」
美由理は、幸多の言い方が気に入って、笑ってしまった。気を使った結果、出力がおかしくなってしまったのではないか。
「目が輝く人間くらいいるさ。きみの部下にもいるだろう。わたしの弟だが」
「それは、はい……」
幸多の脳裏に浮かんだのは、義一であり、麒麟であり、ついでにいうと、神威だった。しかし、義一にしろ、麒麟にしろ、神威にしろ。元々の目の色に変化があるわけではなかった。義一と麒麟は、第三因子・真眼の異能を発揮する際に黄金色に輝くだけであり、神威の場合は、竜眼を解放した際に光を発するのだ。
美由理は、どうだ。
湖面のように美しい青い瞳が、まったく異なる色彩に変化していた。その輝きは神々しく、美由理を時を司る女神の如く感じさせるようだった。
そんな美由理の周囲に律像が展開し始めたものだから、幸多は、はっとした。複雑にして精緻、多量にして無数の幾何学模様が加速度的に組み上がり、幾重にも構築されていく。
多層構造の律像は、それそのものが凄まじい情報密度であり、ただ、圧倒される。
静止した時空を埋め尽くしていく律像の膨大さは、過去、類を見ないほどといっていい。
竜と竜の戦いですら、これほどの情報質量を持った律像を見なかった。
これが氷の女帝、伊佐那美由理の本領だとでもいうのか。
幸多は、息を呑んだ。




