第千四百二十五話 時を司るもの(二)
美由理は、幸多を抱き抱えたまま、幻魔の集合体とでもいうべき構造物のすぐ近くを天に向かって飛んでいた。
それはまさに幻魔の塔としかいいようのない代物であり、こんなものが宇宙の果てからこの地球にやってきて、大地に突き刺さったなど、信じたくもなければ、認めたくもなかった。
何億、何十億、いや、さらにもっと多くの幻魔が積み重なって組み上げられた塔のような、柱のような筒状の構造物。外観は、異形の円筒。遥か海の向こう側からも見えるほどに巨大なそれは、幸多からの報告がなければ幻魔の群体などと想いもしなかったに違いない。
幸多が嘘の情報を地上に届けるはずもないとはいえ、ある程度近付くまでは、とても信じられるものではなかった。
これほどまでに巨大な構造物がこの地球に存在したことなど、どれだけ歴史を遡ってもあり得まい。
全長何千、いや、何万キロメートルでも足りないくらいの長大さを誇る構造物。それを成すのは、未知の幻魔ばかりであり、本来ならばそれらが絶えず蠢いているのではないかと思えた。
しかし、月黄泉の影響下では、すべての幻魔が凍りついたように動きを止めている。
時は、凍った。
美由理の背後に浮かぶ白銀の月によって。
そしてその月は、未だ満月の状態であり、凍てつくような光を放ち続けている。
「でも、どうやって? どうやって、ここまで来られたんですか?」
「最終手段だよ」
「最終手段?」
幸多は、美由理の端的な返答にきょとんとする。意味がわからない。
「……恐府での戦いが、オトロシャとの戦いが幕を閉じ、あの地が第五霊石結界となると、わたしたちはオトロシャ軍の残党と戦わざるを得なくなった」
それは、幸多も知っている。
本来ならば幸多も残党の掃討作戦に参加する予定だったのだが、状況が幸多を必要としたため、そうはならなかった。
幸多は、明日良とともに宇宙へ飛び立つこととなり、地上のことは、生き残った戦団の導士たちに任せることになったのだ。
残党とはいえ、オトロシャ軍の総兵力は億を越えるという話だったし、その大半が残存している以上、激闘となるに違いなかったが、しかし、宇宙は宇宙で心配だった。
神威がブルードラゴンとの戦いに万一敗れるようなことがあった場合、地上は、人類はどうなるのか。ブルードラゴンによって地上が蹂躙され尽くし、人類もなにもあったものではなくなるのではないか。
いや、なにより、神威を失うわけにはいかない。
だから幸多は地上よりも宇宙を優先したわけだが。
それが、護法院の判断であり、戦団最高会議の選択である。
「もちろん、残党は残党だ。殻主オトロシャを失い、殻印の支配から解放された幻魔たちが、恐府奪還がため、オトロシャがために戦う道理はない。あれら幻魔のほとんどすべては、霊石結界の外に出ることを優先していた。その途上、人間と遭遇すれば、戦闘に発展する――その程度のことだった」
ただ、その規模が大きすぎた、のである。
なんといっても億を越える総戦力を誇る大軍勢の残党である。それらが第五霊石結界の各地で同時に動き出せば、各方面で衝突が起こるのは当然の結果だ。
戦団としても無意味な戦闘を起こす理屈はないし、無駄な消耗、無為な損害を出したくなどはないが、幻魔から襲い掛かってくるのであれば、戦わざるを得ない。
降りかかる火の粉は、払うしかないのだ。
「その際、我が方に助力したのが、天使たちだ。人類の守護者を名乗る彼らは、やはり、どういうわけか戦団に味方し、オトロシャ軍残党の討伐に尽力してくれた」
そのように語りながらも、美由理はやはり、天使たちを信用していなさそうな口振りだった。
天使は、幻魔である。
天使型という新たな類型に当てはめられただけであって、幻魔は幻魔なのだ。人類の天敵にして、斃すべき敵。
如何に甘言を弄し、人類の味方のように振る舞ったところで、その本質が幻魔であることを否定することはできない。
無論、天使たちがこれまで幸多に散々手を貸し、助力を惜しまなかったことはわかっているし、ドミニオンや熾天使メタトロンのこともある。
幸多が、ほかの導士よりは多少、天使たちに対する認識を緩くしているのは、間違いない。
一方、美由理の中には複雑な感情があるが、それはそれとして、いまは胸中に収めおくだけの理性があった。
残党掃討作戦の最中、元々地上にいた熾天使だけでなく、数多くの天使たちが天から舞い降りてきて、協力してくれたのだ。
そのおかげもあって、戦団側の損害は極めて軽微で済んだ。
少なくとも、掃討作戦での死者が皆無なのは、天軍の協力があればこそだ。
「だが、幻魔は、人類の敵。相互理解など不可能であり、歩み寄る必要もなければ、理由もない。いくら天使たちが戦団に協力的とはいえ、信頼することなどできるわけもない」
「――はい」
幸多も、その点について異論はない。
幻魔がいくら人間に歩み寄ってきたところで、人間と協調し、共存できるかというと、怪しいところではある。
龍宮のオトヒメは、まだ、いい。
龍宮の祭神たる竜級幻魔オロチの安寧のため、戦団の戦力としての利用価値を見出し、協力を要請してきた。それも人類生存圏を維持するためならば、と、協力したものだ。
利害が一致したからこその協力関係であり、それ以上でもそれ以下でもない。
しかし、天使たちは、どうか。
天軍と名乗る彼らは、熾天使ルシフェルを頂点とする天使型幻魔の勢力である。彼らは、人類の守護者を名乗っているのだが、しかし、常に協力してくれるわけではない。
人類の守護者などと名乗るのであれば、悪魔に等しい力を持つのであれば、もっと積極的に動いてくれてもいいのではないか――などという導士も、いないではない。
そして、そんな考えを述べる導士に対し、叱責が飛ぶのが常である。
『所詮、幻魔は幻魔。幻魔の価値観による人類の守護になど、期待するべきではない』
と。
事実、天軍がどのような規準で動いているのかなど、こちらにはまるでわからないのだ。
今回だって、恐府攻略作戦に熾天使たちが参戦したかと思えば、熾天使未満の階級の天使たちが参戦したのは、掃討作戦に移ってからだった。
恐府攻略作戦そのものに介入してくれたのであれば、戦団側の損害はもっと少なくなったはずだ。オトロシャとの戦いの結末が変わらなかったとしても、だ。
だが、人間と価値観、倫理観の異なる幻魔たる天使たちには、なにをいっても仕方のないことだったし、そもそも、協力関係を結んでいるわけでもないのだから、期待するだけ無駄である。
人類の守護者を一方的に名乗っているだけで、力を貸すのは気分次第、状況次第なのだから。
「……まあ、ともかく、だ。第五霊石結界が完全に人類のものとなったからといって安心できなかったことは、きみもわかっているはずだ」
「宇宙、ですね?」
「そうだ。きみが地宙間情報通信網を一時的にだが復活させたことで、宇宙の状況が手に取るようにわかった。さすがはわたしの弟子。お手柄もお手柄、大手柄だな」
「褒めすぎですよ」
「いや、そうでもないさ」
美由理は、幸多のどこか気恥ずかしそうな表情に満足しつつ、さらに飛び続ける。
できる限り鬼級幻魔たちとの距離を離す必要があるが、そのために上空へ飛ぶのは、本来ならばありえない選択だ。だが、しかし、こうするよりほかはないのもまた、事実。
美由理の超感覚が、幻魔の塔付近を降下中のふたりの魔法士を捉えていた。
「地宙間情報通信網から届く声が、戦況を伝えてくれた。掃討作戦中だ。そのことに一喜一憂している場合ではないものの、わたしたち地上にいる全員が閣下の勝利を応援していたことは、わかるだろう?」
「はい。全部ではありませんが、少しは聞こえていましたから」
「わたしの声は?」
「え、あ、はい……ぼくの耳には、届いていましたよ」
「そうか」
どこか嬉しそうな美由理の反応には、幸多はなんだか不思議な気持ちになった。
「そして、閣下とブルードラゴンの戦いが終わった直後だ。突如、きみがとんでもないことを言い始めた」
「宇宙の果てから幻魔の大群が、って奴ですね」
「そうだ。わたしは、きみがあの状況でくだらない冗談をいうような人間ではないことを知っているからな。本当なんだろうと思ったが、それがなにを意味するのかまではわからなかった」
「ぼくだって、そうです」
幸多は、あのとき、なぜ、幻魔の接近を感じたのか、自分でもわからなかった。
いま目の前に聳え立つ幻魔の塔が、そのまま、宇宙の彼方からやってきたのだ。その気配を察知するなど、完全無能者たる幸多にできるとは思えない。
では、なにがあったのか。
「だが、嫌な予感はしたんだ。なにか幸多に悪いことが起こるんじゃないか、と」
「そしたら、ぼくが巻き込まれてしまった」
「ああ。きみを失った地宙間通信が途切れ、きみの無事さえわからなくなってしまった。となれば、わたしも黙ってなどいられない。わたしの大事な弟子を失うわけにはいかないからな」
美由理は、幸多のずたぼろの闘衣越しに体温と脈拍、心音すらも感じ取って、彼の無事を再確認する。
何度目かの確認。
何度だって、構わない。
幸多の無事こそ、なによりも優先しなければならないのだ。
「掃討作戦で消耗し尽くしていたが、構うことはなかった」
美由理の断言には、幸多も目を丸くするばかりだった。




