第千四百二十三話 彼方より来たる(十)
「我が名は、エウグストゥス・ザナフ=カリアフ。ヴァシュタリア皇国天騎士にして、魔道将軍なり。その余裕、いつまで持つかな?」
「座興よ」
「なに?」
「座興といったのだ」
アーリマンは、エウグストゥスと名乗った鬼級幻魔に対し、右腕を振り翳した。返答を真言として発動するは、大魔法。魔道将軍なるものの頭上に出現した暗黒球が凶悪無比な重力地帯を形成、一瞬にしてその巨体を押し潰した。ぐしゃりという音が聞こえてきそうなほどの勢いと速度であり、体液の代わりに飛び散った膨大な魔素を見れば、魔道将軍がどれほどの魔力を練り上げていたのかがわかるというものだ。
しかし、その程度では、足りない。
アーリマンは、エウグストゥスが速やかに肉体を復元するも、重力地帯から逃れることができずに足掻く様を見下ろしながら、さらに重力を強化した。暗黒球の生み出す超重力場が、その直下にいるものを容易く押し潰し、破壊していく。
「ぐおおおおおっ!」
「別の宇宙、別の銀河から遙々《はるばる》地球まで舞い戻り、この様とは……座興にも程遠いか」
「おおおおおっ!」
エウグストゥスが全身全霊の力を込めて、肉体を破壊し尽くす重力場に対抗していく。雄叫びが真言となり、真言が魔法を成す。それによって超重力を中和し、どうにか立ち上がったときには、その腹をアーリマンの拳が貫いていた。
「遅すぎる」
「――それは失礼した」
エウグストゥスは、腹を貫くアーリマンの手首に琥珀の杖を突き刺すことで対抗して見せると、冷然と告げた。アーリマンの眉間に刻まれた皺は、その闇色の顔からうかがい知ることはできない。
「アーリマンとやら。貴公の実力、見くびっていたよ」
「ふむ」
アーリマンは、手首が爆砕されると同時に吹き飛ばされ、速やかに所見を改めた。
つまり、エウグストゥスが並外れた実力の持ち主だと考え直したのだ。
その様子を横目に見て、アザゼルが口を開く。
「へえ、アーリマンの旦那に手傷を負わせるだなんて、中々やるじゃあないか、きみの同僚」
「同僚ではありませんよ。わたしは、ウルティマリア・ウィル=メドヴェ。ヴァシュタリア皇国科学技術庁長官。その本分は、その肩書きの通り、わたしが得意とするのは科学技術分野でして、戦闘においては方々には大きく劣るもの。ですが」
ウルティマリアは、幸多を白衣に包み込むと、さらに多重の魔法壁で覆って見せた。それによって、アザゼルとベルゼブブへの牽制とする。
「皇国への貢献においては、わたしの右に出るものはいません」
「つまり、きみが死ねば、皇国の未来は暗澹たる闇に包まれる、と」
「まさか」
ウルティマリアは、アザゼルの挑発めいた言葉を一笑に付した。
「陛下がおられる限り、皇国の未来は光に満ちています」
「盲目的だねえ」
いかにもな相手の反応に、アザゼルは苦笑するほかない。虚空を蹴り、白衣の女魔に殺到すれば、女魔の翼が無数の羽弾を乱射した。それらがアザゼルの眼前に生じた虚空の亀裂に吸い込まれれば、ベルゼブブが口を開いた。
「おまえとは大違いだよな」
「うん? いやだなあ、おれがサタン様を尊崇し、信仰していることは、周知の事実なはずだけれど」
「その口の軽さでよくもまあ処断されないものだ」
「はは、サタン様がそんな短慮だと、〈七悪〉なんて維持できないよ」
「そりゃあそうだ」
ベルゼブブが虚空に刻む無数の亀裂がウルティマリアを追い詰めていく中、別方向からアザゼルが襲い掛かり、無造作に白衣を切り裂く。そして、魔法壁に包まれた幸多を奪い取り、その褐色の瞳を見た。
瞳の奥に奔る青白い燐光が、この戦況を分析し続けていることがわかる。一瞬の隙も見逃さないという決意の現れ、とでもいうべきか。
そんな幸多の決意を嘲笑うように、アザゼルは、空を舞う。
「残念だが、幸多くん、きみの出番はないよ」
「なくて結構!」
「随分と嫌われてやがるな!」
「きみもだろ、ベルゼブブ」
「違いねえ!」
ベルゼブブは、幸多の表情を一瞥し、そのまなざしに込められた激情に口の端を歪めた。サタンへの復讐心に基づく敵意や殺意を感じ取ったのだ。だが、そんなものは、この戦場ではなんの意味もなさない。
仮に幸多が悪魔たちに致命傷を与えることができたとして、状況は変わらない。
むしろ、悪化の一途を辿るだけだ。
悪魔たちは、現状、幸多を皇国の幻魔たちから護っているといっても過言ではないのだ。その状況を理解できない幸多ではなかったし、だから、行動に移らない。
賢明だが、腹立たしくもある。
ベルゼブブにとって、幸多の全存在が苛立ちをもたらしていた。
だから意地悪をしたくもなるが、そんなことをしてどうなるものでもないことがわかっているから、彼はウルティマリアが幸多奪還に全力を尽くそうとするのを邪魔するのだ。虚空に亀裂を走らせ、その飛翔を阻む。
白衣を翼の如く広げた幻魔は、口惜しげにベルゼブブとアザゼルを睨んだ。
「はっはーっ! 随分と苦戦しているようじゃないか!」
野放図なまでの大音声が、突如として頭上から降ってきた。
凄まじい魔素質量の接近は、その場にいるほとんど全員が感じ取ったはずであり、悪魔たちは新たな敵の出現を察知し、皇国の幻魔たちは同胞の続々たる到着を理解した。
「聖地、地球の掌握など一瞬だと宣っていたのはどこのどなたかな?」
「言うは易し、とはいいますが」
「まあ、威勢がいいのは悪いことではない」
「そうではあるが!」
次々と聞こえてきた声が、皇国の鬼級幻魔たちの到来を意味することは、悪魔たちにも理解できたし、幸多にだったわかった。
(まだ来るのか……って、そりゃ当然か)
イスラリエルの言葉に嘘がなければ、ヴァシュタリア皇国なる幻魔国家は、蒼陽銀河と呼ばれる宇宙を制圧した大勢力である。
それが事実だとすれば、まず間違いなく地球に棲息する幻魔の総数を遥かに陵駕する数の幻魔が、イスラリエルの配下にいるはずであり、鬼級の数たるや、凄まじいこと疑いようがない。
そして、皇国の頂点に君臨する聖皇みずからが先陣として到着したのであれば、配下の鬼級幻魔が追従してくるのも当然の結果としかいいようがあるまい。
まず、雷鳴の如き大音声を発していたのであろう十メートル以上の巨躯を誇る鬼級が、幻魔の群れの中から降り立てば、騎士然とした鬼級、魔道士然とした鬼級たちが次々と地球の地を踏んだ。
もっとも、その足場は、大量の幻魔であるが、それら幻魔が不満の声を漏らすことはない。
「……なるほど」
サタンは、イスラリエルの実力を測りつつも、続々と地球に到着する鬼級幻魔の数に目を細めた。鬼級の数だけならば、地球に現存するあらゆる幻魔勢力を陵駕していること間違いない。
なんといっても銀河をひとつ制圧しているというのだ。
その銀河の規模がどの程度のものかはわからないにせよ、惑星ひとつどころではなく、複数の星を支配下に置いていることは間違いない。
銀河というのだ。
太陽系に近い規模の宇宙を支配していると考えるべきだ。
「数だけは、多い」
「数だけ?」
イスラリエルが不満げに眉根を寄せたが、サタンは取り合わない。
「はっはー! この程度の数、我らが――」
などと、天地を揺らしかねないほどの大音声を上げた巨人は、断末魔を上げる間もなく絶命した。跡形もなく爆散し、大量の魔素が虚空に散る。それをサタンの影が飲み込むまで、時間はかからない。
「我らが? なんだって? なにが、いいたかったのかな?」
意地悪くも聞き返したのは、アザゼルだ。そして悪魔は、腕の中の幸多に問うのだった。
「なあ、幸多くん。どう思う?」
「なにが!?」
「きみはおれたちにはいつも剣呑だね? 会話にならないじゃないか」
「会話をする意味があるのか!?」
「そりゃああるさ」
アザゼルは、幸多の険悪極まりない態度にも飄々《ひょうひょう》たる態度を崩さない。幸多の憎悪に満ちたまなざしも、悪魔にはなんの威力も発揮しないのだから。
「なんといってもきみは――あれ?」
アザゼルがきょとんとしたのは、腕の中にいたはずの少年がいなくなっていたからであり、瞬時に周囲を見回しても、どこにも見当たらなかったからだ。




