第千四百二十二話 彼方より来たる(九)
「なんだってんだこりゃあっ……!」
明日良が声を荒げるのも無理からぬことだったし、神威もまったく同じ感想を抱いていた。
ブルードラゴンとの最終最後の決戦が思わぬ形で終了し、神威が命を拾うこととなったのも束の間、どこからともなく――いや、宇宙の遥か彼方から幻魔の大軍勢がやってきたかと思うと、瞬く間に地球に突き刺さり、まるで長大な柱か塔の如く聳え立ったのだ。
何億、何十億、いや、何百億――。
(それ以上か)
神威は、眼前に蠢くどす黒い生ける構造物を見遣りながら、想像する。この構造物を構成するのは、幻魔である。地球生まれ地球育ちの幻魔とは明らかに異なる姿形の幻魔がただ密集しているだけでなく、高純度、高密度の魔力によって結びつけられており、ひとつのとてつもなく巨大にして長大な構造物を形成しているのである。
そしてそのまま宇宙を貫き、大気圏を突破、地球の大地に突き刺さった。
かつて、ユーラシア大陸と呼ばれていた大地、そのど真ん中に突き立ったそれは、まさに天地を支える黒き柱のようだ。
地上から天を貫き、宇宙の果てへと至る柱。
それも数え切れない大量の幻魔の集合体だというのだから、おぞましいというほかない。
「皆代輝士は、あれに飲み込まれたんだな?」
「それは間違いないぜ。阿修羅の腕を引きちぎったなにものかが、腕ごと皆代を引き込みやがったんだ」
「だとしても、幻魔が皆代輝士に興味を持つことはあるまい。悪魔や天使ならばともかく、ただの幻魔が、魔素を持たざる完全無能者になにがしかの意味を見出すとは考えにくい」
「つまり?」
「皆代輝士は、一先ず、安全だろう」
「……普通に考えれば、そりゃそうなんだろうけどさ」
明日良は、焦燥感に駆り立てられるまま、地球へと伸びゆく幻魔の塔を睨んでいた。見たこともない異形の怪物たちの集合体。赤黒く輝く眼だけは地球生まれの幻魔と変わらないが、それ以外のすべてが異なっている。
そんなものが大量に地球に降り立てば、地球の、魔界の勢力図が塗り替えられること間違いないのではないか。
が、そんなことは、どうでもいい。
問題は、幸多だ。
明日良の脳裏を過ったのは、美由理を筆頭とする幸多を取り巻く人々の顔だ。そこには当然のように妹の明日花もいて、この事態を知れば、彼女がどのように明日良を責め立てるのか、想像できないわけがなかった。
『お兄ちゃんがしっかり護っていないからよ!――』
そんな妹の怒声が幻聴となって脳内を響く。
「一刻も早く救助に向かうべきじゃないのか。いくら皆代が幻魔に興味を持たれない存在だからといって、捨て置いていい理由にはならねえ」
「ああ、もちろんだ」
そして神威は、通信機が至近距離の明日良としか繋がっていないことを確認し、息を吐いた。地宙間情報通信網の中継機の役割を果たしていたのが、幸多なのだ。
幸多のおかげで、地上と宇宙のやり取りがなんの問題もなく行われていたのであり、幸多とはぐれたいま、明日良と神威は、地上に報告することもできなければ、指示を送ることもできなくなっていた。
地上の様子を知ることもできない。
「だったら、考えてる暇はねえ」
「行くか」
「当然!」
明日良が力強く頷くのを見て、神威も力を集中させた。竜眼を失った神威は、ただの人間にほかならない。しかし、この身に満ちる魔素の総量たるや、かつての人間時代、若き日の自分とは比べものにならないほどに多く感じられる。
気のせいか、それとも。
明日良が宇宙を飛び立てば、神威もそれに続いた。
目的地は、幻魔の構造物の落下地点であり、構造物に沿って飛行すれば良かった。
神威の考えが正しければ、急ぐ必要はない。幸多が幻魔に興味を持たれる心配はなかったし、むしろ、黙殺されるのが関の山だろうという彼の意見には、明日良も同調していた。
完全無能者な上、機械の鎧に覆われているのだ。機械嫌いの幻魔が、鎧套と宇宙服で全身を覆った幸多をどうにかしようなどと思うものだろうか。
だが、明日良にはなんだかとてつもなく嫌な予感がしてならず、だから、急がずにはいられなかった。
幸多の初任務では、鬼級幻魔と遭遇し、それによって幸多と他一名以外の同行者が命を落としたというが、その際、幸多は鬼級幻魔に認識され、興味を持たれている。バアルと名乗り、バアル・ゼブルと名を変え、さらにベルゼブブと名を改めた鬼級幻魔との、最初の遭遇。
そのことを不意に思い出したのは、幸多について考えなければならないことが増えたからだろう。
幸多という特異なる存在について、戦団最高会議がどれほど重要視しているのか、部外者にはわかるまいが。
明日良が飛行速度を上げ始めると、神威の遅れが目立った。先程までの神威ならば明日良を容易く追い越し、あっという間に地上に辿り着いただろうが、いまの神威は人間だ。その魔法力は、星象現界を発動している明日良には、遠く及ばない。
明日良は仕方なく速度を落とし、神威に近付くと、総長が怪訝な顔をしたのを見るより早く、復元した阿修羅の腕でその導衣を掴んだ。透かさず、速度を上げる。
風属性を得意とする明日良が全速力を発揮すれば、瞬く間に地球へと近付いていく。
「ふむ。これはいい」
神威は、あっという間に大気圏へと至った明日良の魔法技量に感心しつつも、幻魔の集合体がぐらりと揺れる様に目を細めた。
なにかが、その内部を動いているような、そんな感じがした。
「あれが……あんなものが……宇宙の彼方からだと……?」
「皆代輝士の言葉を疑うわけではないが、信じられませんね」
「信じようが信じまいが、宇宙の彼方から幻魔の大群がやってきたことは事実だ」
上庄諱は、相馬流星、白鷺白亜の反応を受けて、渋い顔をした。ヤタガラスの最大望遠を用いずとも、遥か彼方に聳えるそれを見ることは、難しいことではなかったからだ。
天から降り注ぎ、大地に突き刺さった黒き楔の如きなにかしら。
それが幻魔の大軍勢だというのであれば、想像を絶するほどの数だということになる。
現在、この地球に棲息する幻魔の総数よりも多い可能性すらも、諱は想像し、故に吐き気すら覚えるのだ。
「で、宇宙との通信が途絶したのは?」
『幸多ちゃんになにか問題が起こったみたいよ!』
『幸多が中継機の役割を果たしていたから』
『最後の通信を解析したところ、幸多様が幻魔の大軍と接触したのは間違いなさそうですが……そのあと、どうなったのかはわかりません』
「通信が回復しないということは、皆代輝士が巻き込まれたと考えるべきなのかね?」
「それ以外、考えようがありませんね」
錯綜する情報、交錯する疑問、混乱と混沌――護法院の長老たちとノルニルの三女神の会話を聞きながら、統魔は、目を見開いていた。
遥か空の彼方から降ってきた大量の幻魔が、地平の果て、地球の大地に突き刺さり、黒く禍々しい巨大な塔を打ち立てている様子が、わずかに見えた。
距離が近いから、ではない。
ここから近い場所に落下したのであれば、直撃の際、凄まじい余波が生じたはずであり、この大地を激しく揺らしただろう。
だが、それはなかった。
つまり、それはこの地から遥か彼方に落下したのであり、輪郭がぼやけながらも見えているのは、それだけ巨大だからにほかならないのではないか。
「統魔……」
ルナが突如起き上がった統魔を心配そうに眺めるも、彼は聞く耳を持つまい。
「幸多があれに巻き込まれたってのか。あんなものに」
宇宙の彼方から飛来した幻魔の大群。その数たるや想像もつかないことは、幻魔の塔の巨大さからも明らかだ。
それはまさに、この天地を支える柱そのものだ。
「助けに行きたい?」
「当たり前だろ!」
「だよね。わかってる」
とはいえ、統魔を幻魔の塔の元へ送り込むわけにはいかないことくらい、ルナもわかっている。統魔ひとり送り込んだところで、どうなるものでもあるまい。
統魔は、力を使い果たした。
そんな彼を幸多の元へ送り届けることができたとして、なにが変わるというのか。
無駄に命を散らすだけだ。
それでも、統魔は構わないというだろうが。
そして、ルナは、彼が心底それを望むのであれば、願うのであれば、叶えるしかないということもわかっている。
数多の願望が、彼女の元に集まっているのだ。
その中のひとつの想いが、ルナの意識を埋め尽くした。
(なに?)
それはまるで微細な電流のようだったのだが、つぎの瞬間、彼女の頭の中を真っ白に塗り潰すほどに膨れ上がり、破裂した。
「――この地から幻魔が消え失せて、閣下の戦いも無事に終わったと思ったら、つぎはなに? なんなのよ、いったい」
火倶夜は、嘆息とともに戦場から遥か彼方へと視線を向け、ぼんやりとだが、確かに存在する天への柱を認めた。
黒く禍々しい巨大な塔とも柱とも呼べるそれは、この天地を支えているかのようですらある。
かつて恐府と呼ばれ、いまや第五霊石結界と名を改めた領域内における戦いは、終わった。
もちろん、戦団の大勝利で、だ。
オトロシャ軍の残党――いや、もはや野良幻魔の集団と変わり果てたものたちは、その大半が霊石結界を離脱、方々へと散っていった。
熾天使を始めとする天軍の協力があればこその大勝利だということはいうまでもないが、星将を筆頭に戦団の導士たちもまた、死力を尽くして戦い抜いた結果だ。
最良は、残党の殲滅。
しかし、現有戦力でそれを成すのは不可能に近く、一人でも多くの導士を生存させることに注力することにしたのは、正しい判断だっただろう。
恐府攻略戦では、数多くの導士が命を落とした。
勝利に犠牲は付きものとはいえ、これ以上増やす必要はあるまい。
ともかく、勝った。
天使たちは天へと還り、導士たちは、この霊石結界に残った。
だれもが消耗し尽くし、息も絶え絶えといった状態で、だ。
そんな状況下に訪れた想像だにしない新事態には、さすがの星将も頭を抱えたくなるというものだった。
「少しはわたしたちの気持ちを考えてもらいたいわ。ねえ、美由理」
同僚にして妹分に話しかけて、しかし、全く返事がなかったものだから、彼女は背後を振り返った。
「美由理?」
先程まで火倶夜と意見を交わし合っていた妹分の姿は、どこにも見当たらなかった。
「……なるほど」
即座に事態を把握した火倶夜は、再び黒き塔へと視線を戻す。
宇宙から飛来した幻魔の大軍勢、その集合体らしき構造物は、いまもなお天高く聳え立ったままだ。
だが、それも長くは持つまい。




