第千四百二十一話 彼方より来たる(八)
「しかし……それにしたって大仰な儀式だと思わないか、幸多」
「なにが!?」
叫ぶように問い返してくる幸多の勢いと形相を受けてくすりと笑ったのはアザゼルであり、サタンは何処吹く風だ。意にも介していないし、気にしてもいない。幸多の反応など、端からわかりきっているとでもいうような表情。
「この大軍勢だよ」
「大軍勢……」
「幸多くんさあ、なんか反射で喋ってない? 少しは頭を使って考えたほうがいいんじゃないかな。きみたち人間より余程賢い悪魔からの忠告だよ」
「ぼくだって考えてる!」
「どうやって逃げ出すかを、だろ?」
幸多が敵意を剥き出しにしてアザゼルを睨み付けると、飄々《ひょうひょう》とした態度で悪魔はいった。
「きみの力を使えば、おれの腕の中から抜け出すことくらい容易い。でも、それだけじゃあこの窮地は変わらない。だから、考えている。考えて、考えて、考え抜いて、自縄自縛の袋小路に陥っている」
「く……」
幸多が口惜しげに歯噛みしても、軽薄な悪魔の態度に変化はない。幸多を嘲り、嬲り、痛めつけるというつもりもないのだろう。ただの会話。ただの言葉。そこに意味はなく、力もない。
ただ、サタンは、そんなアザゼルを一瞥した。気に触ったのか、なんなのか。アザゼルは軽く肩を竦めて見せただけで、反省の様子すら見せないが。
「数十億……いや、もっとか。とにかく大量の幻魔を用いた儀式であり、合性魔法。おそらく外宇宙からこの宙域に移動するための方法のひとつなんだろうけれど、それにしたって大袈裟すぎる。彼らが並外れた力を持つ鬼級幻魔なら、なおさらだ」
「なにが……いいたい?」
サタンが幸多に話しかけるようにいってくるものだから、彼は身構えざるを得なかった。緊張がより強固なものとなり、意識を縛り付ける。全身の神経という神経が張り詰め、研ぎ澄まされていくが、その微細なる変化すらサタンはお見通しに違いない。
悪魔たちもまた、情報子を視る能力を持っている。
つまり、幸多の体内を巡る膨大な情報子の流れを視ているはずなのだ。活性化し、ある種の熱を帯びた情報子の奔流が、幸多の身体能力を極限にまで高めている状態を認識している。
サタンは、そんな幸多から宇宙からの来訪者たちに視線を向ける。彼らの王たるものへ。
「イスラリエルといったね。きみたちは、蒼陽銀河という宇宙からやってきた。目的は、母なる星、地球を手中に収めるため。それで間違いはないね?」
「地球は、外宇宙へと旅立ち、勢力を広げる人類、幻魔の魂の故郷であり、聖地。蒼陽銀河に辿り着いた人類は絶滅してしまったけれど、幻魔は、わたしたちは生き残り、銀河最大の勢力を持つに至ったわ。いまや蒼陽銀河は、わたしのものであり、わたしの〈殻〉そのものなのよ」
イスラリエルは、サタンを見下ろしながら、悠然と告げた。声音は柔らかく、けれども確かな敵意が感じられた。サタン一派を斃すべき敵と認識し、戦闘のための準備を始めている。
イスラリエルの放つ白金の光の中、無数の律像が複雑に組み合わさり、変形していく様が見えた。
多層構造の律像。
だが、星象現界には程遠い。
「なるほど。既にひとつの銀河、その全域を手中に収めている、と。だったら、この大軍勢も納得というもの。そして、銀河の外に新たな領土を求めるのは、鬼級幻魔の本能としては実に正しい。でも」
サタンは、黒い光輪を昏く燃え上がらせながら、告げる。
「だとすれば時期が悪かったね。もう少し……そう、もう二十年くらい早ければ、地球はきみの天下になったかもしれない」
「それは……どういう?」
「あの日、ぼくが生ま落ちた以上、地球はだれのものにもならないということだよ」
サタンの言は、宣戦布告と同義であった。
直後、サタンの光輪から黒い熱光線が無数に照射され、イスラリエルの放つ白金の閃光とぶつかり合った。いずれも超高密度、超高純度の魔力であり、星神力といっても過言ではないほどの質量を持っていた。衝突の余波だけで凄まじい破壊の嵐が巻き起こり、大量の幻魔が断末魔を上げた。
幸多は、アザゼルが大きく後方に移動したため、難を逃れたかに思えたが、実際はそうではなかった。アザゼルの腕が切り飛ばされからであり、幸多の体が空中に投げ出されたからだ。そしてつぎの瞬間、ウルティマリアの白衣が幸多の視界を覆った。長官と呼ばれた幻魔に再び捕縛されたのだ。
「あれ?」
アザゼルは、きょとんと、切り飛ばされた腕を見遣った。既に幻魔の山の中に落ちてしまい、拾うわけにはいかなくなる。なぜならば、ウルティマリアの魔法がアザゼルに殺到していたからだ。複雑な軌道を描く無数の光輪が、アザゼルの全身をずたずたに切り裂いていく。
「ふう、良かった。人間くんはこれから死ぬまで研究に付き合ってもらわなければなりませんからね。あなたはただの人間じゃない。魔素を一切内包しない、特別な存在。調べれば、皇国の発展に寄与できること間違いありませんから」
ほっとしたようなウルティマリアの発言に肝を冷やしている場合ではないことは、幸多もわかりきっている。あの程度の攻撃魔法でどうにかなるほど、アザゼルは柔ではない。
いや、そもそも、だ。
この場の鬼級幻魔の数は、〈七悪〉のほうが多い。
「塵以下の人間を研究して、どうなるってもんでもねえだろ!」
怒号とともにウルティマリアの浮かんでいた座標を抉ったのは、ベルゼブブの生み出した空間の亀裂。赤黒く、破壊的な攻撃を間一髪のところで躱した白衣の女魔は、幸多を力強く抱き締めながら、虚空を舞う。白衣が閃き、まるで翼のように変化した。そして、無数の羽根が弾丸となって発射され、ベルゼブブに集中する。
ベルゼブブは、大口を開けて、嗤った。彼の前面に無数の亀裂が走り、それらが口を開けるようにして、羽弾を飲み込んでしまう。
まさに〈暴食〉の名に相応しい戦い方だ。
他方、騎士幻魔は、イスラリエルに加勢しようとしたところをマモンの触手に阻まれ、それらを白銀の剣で切り払ったところだった。
「邪魔をするな、小僧」
「子供だからって見くびらないでくれる?」
「そうよ、マモンはただの子供じゃないの」
「……はあ」
マモンが大きく嘆息したのは、アスモデウスがどう足掻いても子供扱いしてくることに対して、だ。
そんな悪魔たちのやり取りに騎士幻魔は、白銀の剣を構え直す。鬼級幻魔が親子のようにやり取りする様など、奇怪というほかないが、どうでもいいことでもある。
「……我は、ヴァシュタリア皇国が天騎士アンシャライア・ザナフ=オルディン! いざ、尋常に勝負!」
「尋常もなにもあったもんじゃないけどね」
マモンは、背後のみならず、衣の袖からも無数の触手を伸ばすと、それらをさらに細分化し、何倍、何十倍にも増殖させながら、告げた。触手の先端が蛇の口を開き、怪光線を斉射する。
そして、アーリマン。
サタンとイスラリエルの衝突が開戦の合図となった以上、アーリマンも動かなくてはならない。
そして、彼が動き出した以上、戦場そのものが致命的な事態へと移行するのも当然の結果だった。
巨大な重力場が、戦場全体を飲み込んでいくからだ。
「余は、アーリマンなり。汝が、余の相手か」
「そうなるな」
空間そのものを侵蝕する重力場の中で、幻魔の魔道士が群青の衣を翻した。その手にはいつの間にか琥珀の杖が握られており、それによって律像の変化が加速した。多層構造の魔方陣は、圧倒的な魔法技量を意味している。
だが、足りない。
アーリマンは、確信した。
イスラリエル率いる異星の鬼級幻魔たちは、星極に達していないのだ。




