第千四百十八話 彼方より来たる(五)
「人間? そこに人間がいるの?」
突如、頭上から降ってきたのは、少女染みた声だった。しかし、その声の持つ力というのは凄まじいものであり、幸多を抱き抱える白衣の女魔が透かさず傅いたのも、声の主の存在感故に違いない。
圧倒的な力が、遥か頭上から降臨する。
延々と降り注ぐ黒き幻魔の雨の中、その暗澹たる闇を引き裂き、すべてを照らし出すかのように神々《こうごう》しくも眩く、そして破壊的なまでに輝かしい光。
それがなんであるのか、見ずともわかる。
この宇宙幻魔の大軍勢、その頂点に君臨する存在であろう。
幻魔たちの王たるものの声、その威に打たれるのは、白衣の女魔だけではない。騎士も魔法士も、それぞれに傅き、己が主君の降臨を待ち侘びるかのような様子を見せていた。だれもが心の底から服従し、魂の深度で忠誠を誓っているような、そんな気配。
幸多はどうにかしてそちらを見ようとしたが、女魔に身動きを封じられ、どうすることもできなかったが。
「はい、陛下。このわたくしめの腕の中に、確かに存在致します」
「わたしには、見えないけれど……まあ、ウルティマリアが嘘をつくはずもないし、いるのよね、人間」
「はい」
ウルティマリアと呼ばれた女魔は、陛下と呼んだ鬼級幻魔に対して礼を尽くすかのようだった。わずかでも礼を失するわけにはいかないという気合いが、その全身に込められる力から見て取れる。
鬼級幻魔に見られる主従関係というのは、地球も宇宙も変わらないということだろう。
鬼級幻魔同士、生まれ持っての力の差は覆し得ず、故に刃を交え、敗れることあらば、待ち受けるのは破滅か、従属のふたつにひとつ。無論、勝者がそれを望めばの話だが。
ウルティマリアたちの王は、当然、彼らと戦い、打ち破り、従えたのであり、その力がこの場にいるどの鬼級よりも上だということはいうまでもない。
白く眩い光が幸多の視界に差し込んでくるが、光源を見ることはかなわない。
「人間……」
少女めいた声色の鬼級幻魔は、少しばかり考えるようにいった。
「ここは地球。我らの祖が宇宙に飛び立ち百年以上が経過したとはいえ、人類が生き残っていたとしてもおかしくはありません」
「だが、この地に満ちた潤沢にして膨大な魔素を見よ。おれの知っている地球とは、まるで違うぞ?」
「それは確かですね。魔道書の記録と照らし合わせてみても、異常な量の魔素がこの地域一帯から感じ取ることができます」
「この子たちの魔素じゃなくて?」
「はい」
ウルティマリアが静かに頷けば、君主たる幻魔は、またしても考え込んだようだ。
そのときになって、幸多は、ようやく王たるものの姿を視界に収めることができた。ウルティマリアが立ち上がったからだ。
王から立っても良いという合図でもあったに違いない。でなければ、家臣たちは傅いたままでありつづけただろう。
言動から感じられる忠誠心からは、そのように想像できる。
いずれにせよ、幸多は、視界が動いたことで宇宙幻魔たちの王を目の当たりにし、その眩さに目を細めた。まさに光り輝くものであるそれは、声音から想像がつくような少女然とした姿態の持ち主であった。
人間でいえば、十代前半の少女である。無論、幻魔である以上、実年齢は不明。百年以上生きていてもおかしくはないし、数ヶ月前に誕生したのだとしても不思議ではない。
もっとも、後者ならば、これほどの大勢力を築き上げるまでの時間の短さに驚愕するよりほかないのだが。
白金色の頭髪に白く透き通るような肌の持ち主で、それそのものが淡く発光していた。やや大きな目の虹彩は、やはり深紅。血のように紅く、黒い瞳が、周囲を見回し、考え込んでいる。童顔で、美しいというよりは可憐といったほうが正しい。
幻魔にそのような評価を下すのは、人間の心情的には耐え難いものだが、事実を曲げることのほうが問題だろう。
鬼級幻魔の姿形というのは、幻想的にして神秘的な、まさに神話の中から抜け出してきたようなものばかりだ。美しく、神々しく、華々しく、そして輝かしいものであったのだとしても、なんら不思議ではない。
もちろん、そのような外見で人間の遺伝子に刻まれた恐怖心や嫌悪感が薄まることはなかったし、むしろ強まる傾向にある。
実際、幸多は、鬼級幻魔の王の少女染みた姿を見たからといって、それで安堵したことなど一切なかった。より警戒を強めるだけだ。
身の丈は、幸多と同じか、少し低いくらい。痩せ細っているようにも見えるが、鬼級幻魔の肉体強度を想像するだけ無駄というものだ。どれだけ華奢であろうとも、幸多よりも遥かに強靭なのはいうまでもない。
身に纏うのは壮麗にして絢爛たる光の衣であり、巨大な花弁のような光背を背後に浮かべていた。
まさに女神の如く、だ。
(あれが……この軍勢の王)
だとすると、この四体で鬼級幻魔は打ち止めなのだろうか。それとも、まだまだいて、これからも続々と地球に到着するのか。
なんにせよ、幸多がこの状況から脱出することがより絶望的になったのは間違いない。
ただでさえ幸多の存在が認識されていて、抱き抱えられているのだ。どうにかしてウルティマリアの腕の中から抜け出せたとして、その後が問題だ。
全部で四体の鬼級と、数千万はくだらないであろう大量の幻魔から逃げおおせなければならない。
「うーん……」
「どうなされました?」
「これじゃなにも見えないわ」
「……確かに」
騎士が王の言に苦笑を禁じ得ないといった様子で頷くと、右腕を頭上に掲げた。すると、それまで降り注いでいた幻魔の豪雨が突如として止み、周囲に降り積もり、暗黒の壁の如く聳え立っていた幻魔の山も、ものの見事に消し飛んでしまった。
無数の断末魔が聞こえたのは、多くの幻魔が即死したからだ。
鬼級にしてみれば、ただの兵隊に過ぎない妖級以下の幻魔がどうなろうと知ったことではない、ということだ。
そして、それによって明らかになったのは、周囲の地形である。
足元は、この宇宙幻魔の大軍勢の衝突によって大穴が穿たれ、そこを幻魔によって埋め尽くされている状態だが、周囲は違う。衝突の余波で多少破壊されこそすれ、見渡す限り結晶樹の森が広がっているのがわかったのだ。
(ここはどこだ……?)
見る限り、幸多の記憶に存在しない地形のようだった。
結晶樹の樹海など、魔天創世後の地球のどこにでもありそうなものであり、地域を特定することなど不可能に近い。樹海そのものが起伏に富んでいるようにも見えるが、それも魔天創世の影響であると鑑みれば、地球上のどこであってもおかしくはない。
いや、そもそも、ここが地球の何処なのかがわかったところで、幸多にはどうしようもなかった。
戦団の導士たちと連絡を取る手段もなければ、自分の現在座標を伝える方法もない。もし、連絡を取ることができるのであれば、その時点で蒼転移を使えばいいだけではあるのだが。
「これが話に聞く結晶樹?」
「でしょうな」
「地球圏を統一した幻魔大帝エベルによる魔天創世。幻魔新時代の到来を告げるそれは、地球環境を一変させ、あらゆる生物を死滅、地球を幻魔の楽園へと変えた――と、魔道書は語りますが、どうなのでしょうね?」
「というと?」
王は、ウルティマリアを振り返る。その仕草のひとつひとつが無垢な少女そのものに見え、幸多はなんともいえない感じがした。
幻魔という怪物が、人間のように振る舞うその様子が、遺伝子に刻まれた忌避感を呼び覚ます。
「ここに人間がいます」
「……うーん。見えないけど」
「では、わたくしの目をお使いください」
「うん。そうする」
素直に頷いた王の両目が異様な光を発すると、彼女は、少しばかり驚いたような反応を見せた。目を見開き、口に手を当てる。
「本当……人間、人間だわ……」
「うむ……これは確かに人間だ」
「しかし、なんでまた普通には見えないんだ? いわゆる透明人間って奴か? それとも、幽霊?」
「霊体であったとしても、魔素を内包していないだなんてありえませんよ」
「じゃあ、なんなんだ? こいつは」
「さあ?」
ウルティマリアは、幸多をじっと見つめ、そして面白そうに、楽しそうに微笑する。なにかとてつもない新発見をしたとでもいわんばかりの反応。ほかの鬼級たちが怪訝な態度を取る中、ウルティマリアだけがこの状況を喜んでいた。
「興味があるのね? じゃあ、透明人間のすべてはあなたに任せるわ。生かすも殺すも好きにしなさい」
「はっ、仰せのままに」
ウルティマリアは、王からの任命に力強く返事をした。
「ということで、人間くん。あなたはわたくしのものになりました。いえ、もちろん、陛下の所有物ですが……陛下はあなたには興味がなさそうですし、なにをしても怒られないでしょう。さて、どうしましょうか。まずは徹底的に解剖して……うーん」
(これは……)
幸多は、自分を見てなにやら恍惚とした表情をしている女魔を見つめながら、事態がどんどんと悪化している現実を認めるほかなかった。




