第千四百十六話 彼方より来たる(三)
なにが起きたのだろう。
幸多には、その瞬間、我が身に起きた出来事を把握できなかった。
幸多は、宇宙に飛び立つ直前から、明日良の背中にあった。必死に張り付いていたとさえいっていい。
明日良の武装顕現型星象現界・阿修羅は、全身に翡翠色の星装を纏うだけでなく、四本の追加腕を具現するという代物である。その四本腕が明日良の背中に押しつけるようにして、がっちりと結びつけていた。
おかげで、幸多は安心して宇宙での作業に集中することができただけでなく、明日良が話しかけてくれることで、孤独に苛まれることもなかった。
あの宇宙空間独特の沈黙。
真空の静寂。
無音の闇。
すべてが、羽衣という小さな空間に閉じ込められた幸多にとって、自分という存在が如何にちっぽけで、孤独であるということを思い知らせるもののように感じられた。
だが、明日良がいた。
明日良が気遣いの達人だということは知らなかったものの、おかげでそのひととなりの一部に触れることができたのは、望外の喜びだ。
宇宙での作業がすべて上手くいったのは、明日良がいてくれたからだ。
そして、地宙間情報通信網を復活させた幸多は、中継機としての役割を果たし、明日良、神威と地上を繋げ続けた。
予期せぬ形で戦いが終わったのも束の間、事態は急転する。
想像だにしていなかった状況。
宇宙の彼方から殺到する幻魔の大軍勢を目の当たりにしたとき、幸多は、確かに無重力を感じた。ここが地球の重力圏から遠く離れた宇宙空間だということを、今更のように理解したのだ。
「あ――」
声を発した瞬間、なにかが阿修羅の四本腕をもぎ取り、幸多の首に絡みついた。そして、そのまま引き寄せられるようにして、黒き大瀑布の中に取り込まれたのである。
つまり、幻魔の大軍勢が幸多を取り囲んだのだが、しかし、なにかが起こるということはなかった。
幸多を引き寄せたなにかは、なぜかすぐに彼を解放し、どこかへ去って行った。
それがなにを目的として幸多を浚ったのか、まるでわからない。
が、幸多を解放した理由は、すぐに理解できた。
(きっと目当ては、天空地軍団長だったんだ)
幸多は、想像する。
地球へと流れ落ちていくどす黒い奔流の中で、幸多
ができることといえば、それだけだ。
おそらく、幸多をこの幻魔の奔流に引き込んだのは、鬼級幻魔であろう。でなければ、要警戒中の明日良の星装を傷つけるどころか、阿修羅の四本腕をもぎ取ることなど出来るはずもない。
その鬼級幻魔は、地球への道行き、超高濃度の魔素質量体を発見した。星象現界を発動中の明日良である。それを殺し、取り込むことで、己が糧としようと画策、実行に移すも、阿修羅の腕をもぎ取ることしかできなかったのではないか。
幸多が引き込まれたのは、四本腕だけでも取り込むついでに過ぎない。
そして、四本腕を吸収すると、不要な幸多は投げ捨てられた。
幸多の全身を覆っているのは、宇宙服にも似た戦術拡張機構・羽衣であり、魔法合金の塊である。が、そんなものに含まれる魔素など、たかが知れている。
しかも金属であり、機械の塊である。
幻魔は、本能的に機械を嫌悪し、忌避する。その存在そのものを黙殺するのである。羽衣も、その中の鎧套も、闘衣も、機械仕掛けの最新装備であるが故、幻魔にとっては触れるべきではない代物なのだ。
もちろん、その中に人間の魔法士が入っていれば話は別だったかもしれない。羽衣を破壊してでも中身を取り出し、殺害、魔素を吸収したのではないか。
だが、幸多は違う。
完全無能者にして一切の魔素を内包していない幸多は、幻魔たちにとって透明な存在なのだ。
まさかここで自分の特異性が役立つとは、想像だにしていなかったが。
(とはいえ……)
不意に、羽衣のバイザーに取り付いてきた幻魔の顔面を見つめながら、考える。羽衣を足場代わりにしている幻魔は、地球に棲息するどの幻魔とも姿形が一致しない、まさに異形の存在だった。のっぺりとした顔面は青白く、四つの眼孔から幻魔特有の赤黒い光を発している。口や鼻はない。不気味としかいいようのない顔立ち。
そうして観察している最中、幸多は、地宙間情報通信網が使えなくなっていることに気づいた
地宙間情報通信網は、央都と宇宙を結ぶネットワークであり、少しでもずれれば、途端に繋がらなくなる。
地球全域を地宙間情報通信網で覆い尽くすなど、あの短時間では不可能だったし、時間をかけたとしても無理だっただろう。そのためにはまず、レイライン・ネットワークを地球全土に完備しなければならないし、宇宙に伸ばすため、制空権を人類が掴み取らなければならない。
そんなことが可能になるのだとしても、遥か遠い将来の話であって、いますぐにどうにかできることではなかった。
(この状況……どうしたものか)
幻魔たちは、幸多の存在を完全に黙殺している。羽衣も、なぜか自分たちと一緒に地球へ落ちていく物体と認識しているようであり、だから、全身に小型の幻魔が引っ付いていた。
どれも見たことのない外見の幻魔だった。
(宇宙で独自の進化を遂げたとか、そういうこと?)
幸多がそんなことを考えているうちに、暗黒の大瀑布がどこかの地表に衝突したようである。凄まじい轟音が幸多の耳に届いたのは、羽衣の集音器が正常に機能している証左だ。もっとも、その集音器の高性能ぶりは、羽衣に取り付いた小型幻魔たちの立てる異音を幸多の耳に完璧に届けてくれてもいるのだが。
鳥肌が立つほどの音が、爆音に吹き飛ばされたのは、良かったのか、悪かったのか。
宇宙幻魔たちが地上に到達し、大地に大穴を開けるほどの大爆発を起こしたらしい。
それがどれほどの規模のものなのかもわからなければ、地球上のどこに落下したのかも不明である以上、幸多には、なにをどうするべきなのか、わからない。
一番は、身の安全だ。
この命を守ることこそ、重要だ。
生きてさえいれば、どうにかなる。
幻魔には、幸多の存在を認識することは難しい。
鬼級幻魔ですら、幸多の存在を感じ取るには、特別な対応をしなければならないようなのだ。
だから、地上に無事に降り立つことさえできれば、どうにかなりそうではあった。
(安心なんてまったくできないけれど)
爆音が、連続的に聞こえている。
天地を震撼させるほどの爆撃。余波が幻魔の大軍勢の中をも突き抜けてきて、ついには幸多の全身を貫いた。羽衣が剥がれ、鎧套が露出するも、それで状況が変わることはない。周囲の幻魔たちは相変わらず、幸多を認識してもいない。
ただ、機械仕掛けの甲冑が露わになったことで、先程よりは嫌悪感を強め、四つ目の幻魔も幸多から離れていった。
それ以外にも大量の幻魔が周囲にいて、それらが地球の重力に引かれるままに落ちていく光景は、圧倒的だった。
幻魔の雨だ。
いや、洪水といったほうが正しいのかもしれない。
荒れ狂う嵐のすべてを構成するのが幻魔であり、それによって地球の一部が汚染され、破壊されていく光景は、禍々しく、絶望的だ。
そのただ中へ、落ちていく。
(死ぬことはない……が)
幻魔の落下に伴う爆砕に次ぐ爆砕によって、とてつもなく巨大な穴が穿たれた大地へ、大量の幻魔とともに落下した幸多は、どうにか姿勢制御を行い、着地を成功させた――も束の間、次々と振ってくる幻魔に押し潰されるようにして、その場に倒れ伏した。
堅牢強固な魔晶体の持ち主である幻魔たちは、自分の体が別の幻魔によって押し潰される心配がないのだ。
一方の幸多は、大量の幻魔の重量に押し潰される可能性があるため、素早くその場を離れた。幻魔の豪雨は、終わらない。
止まらない。
無限に続くかのように降り続けており、その落下点から抜け出すだけでも一苦労だった。なんといっても、大地の大穴を既に大量の幻魔が埋め尽くしていたのだ。
幸多の存在は黙殺されているとはいえ、だからこそ、抜け出すのが厄介なのだ。
だれも、動き回る機械の塊を認識しない――。
「あーれ?」
訝しむような声がどこからともなく降ってきたかと思うと、なにかが幸多の体に巻き付き、空中に引き上げた。
「なーんで機械が混じってたんだ?」
不思議そうな声を上げつつも、嫌悪に満ちたまなざしを幸多に向けてきたのは、人間に近い姿形をした幻魔である。
その見た目だけで鬼級幻魔だと断定できるほど、その外見は人間に酷似していた。




