第千四百十五話 彼方より来たる(二)
『どうしたんだ、いったい』
『皆代輝士?』
『なにかが、来ます』
明日良と神威が怪訝な顔をする中、幸多だけは確信をもって断言し、ふたりに警戒を促した。
幸多の視線の先で、宇宙の、真空の闇がわずかに揺れていた。それが宇宙を見慣れていないが故の錯覚や誤認などではないことは、幸多自身が一番よくわかっている。源理の力を総動員し、最大限まで引き出している現状、情報として存在するものを見間違えることなどありえない。
断じて。
では、なんだというのか。
それはわからない。
ただ、なにかが、遥か宇宙の彼方からこちらに向かってきているということだけが確実であり、幸多には、警鐘を鳴らす以外にできることなどなにもなかった。
『来る? なにが来るってんだ?』
『おれには見えないが』
『ぼくには見えます。凄い数です。凄い数の……あれは……幻魔?』
幸多の目は、ついに宇宙の揺らめきの元凶を見て取った。大集団である。そして、宇宙の闇に溶け込んでいたそれが明らかになったのは、太陽光を浴びたからだ。
赤々と照らし出されたそれは、人外異形の怪物だったのだが、一目見て驚きを覚えたのは、幸多の記憶の中には存在し得ない姿形をしていたからだ。それらすべての怪物の眼が、赤黒くも爛々《らんらん》と輝いていることから、幻魔と断定する。
血のように赤く、黒く、そして禍々しい光を発する眼こそ、幻魔に共通する身体的特徴だ。
『幻魔? 幻魔だと?』
『宇宙の……幻魔……』
『宇宙の彼方から幻魔の大群がこちらに向かってきているということなのね? 幸多くん』
『はい! 間違いありません! こちらに……地球に向かってきています!』
幸多の目は、次々と幻魔の姿を捉え、それらが地球上に存在し、記録されてきた数々の幻魔とまったく一致しない特徴の持ち主であることが判明していく。
では、鬼級幻魔かといえば、そうでもなさそうだった。鬼級幻魔といえば、人間に酷似した姿形が特徴的だが、先頭集団の幻魔たちは、異形さがたっぷりであり、鬼級よりは妖級に近そうだった。
もちろん、幸多の推測であって、それが当たっているとは限らない。
獣級かもしれないし、もしかしたら、完全なる異形の鬼級かもしれない。
オトロシャのような。
『地球に!?』
『いったいどういう……』
『なるほど、そうか。そういうことか』
神威は、ひとり納得しつつ、ついに己が目で幻魔の大軍勢を捉えることに成功した。真空の闇の彼方、赤黒い眼光が無数に蠢き、どす黒く禍々しい大軍勢が汚濁の如き奔流となって、こちらに向かってきている。
宇宙の静寂は一切乱れず、むしろ冷徹なまでの無音が絶対的なものとしてこの世界に存在しているのだが、幻魔の大群は、その存在だけで宇宙を穢し尽くすかのようだった。
破滅の足音が聞こえるかのようだ。
『おれとブルードラゴンの戦いが、この事態を招いたんだ』
『あん?』
『竜とは本来、不動の存在だ。みずからの絶対的な力を理解し、認識し、完璧に把握する彼らは、自分たちが動き回るだけで地球そのものを破壊しかねない事実を知っている。だから彼らは動かず、眠り、夢を見る。竜たちが惰眠を貪ることが、地球を維持する唯一の方法だからだ』
神威は、地球を見、そこに眠るであろう六体以上の竜のことを想った。ケイオスドラゴンを始めとする六体の竜級幻魔。最近になって発見されたオロチを始め、すべての竜が自分の意志で動くことはなかった。
龍宮のオロチでさえ、そうだ。
人知を越えた存在である竜たちは、生まれ育った地球を蹂躙することを良しとせず、故に、眠り続けていた。
『だが、おれとブルードラゴンは違った。己が意のままに、竜の力を使い、宇宙の寿命さえも縮めて見せた。あれだけの力だ。宇宙にその存在を知らしめたのだとして、なんの不思議がある』
『……まあ、そうか』
明日良は、いまさらのように自分たちの無事を奇跡のように想った。神威と蒼竜の激突のたび、冷や冷やしたものだった。命がいくつあっても足りないのではないかと想ったほどだ。
そんな神々の戦いにも等しい激突の影響が、宇宙全域に波及し、結果、宇宙各地に飛び散っていたはずの幻魔たちを呼び寄せることになったのだとして、なにもおかしなことではない。
むしろ、当然の帰結というべきではないか。
『だが、どういうことだ? なぜ、宇宙に新天地を求めた幻魔たちが、地球に舞い戻ってくる? いくらおれとブルードラゴンの戦いが激しかったとはいえ、それで地球の座標が判明したのだとしても、だ。それで地球に戻ってくるのはおかしくないか』
『おかしい……おかしいが』
『そんなことをいっている場合じゃありませんよ!』
幸多は叫び、明日良は動いた。もちろん、神威も。
幻魔の大軍勢は、もはや明日良にも目視できるほどの距離へと近付いていた。
遥か宇宙の彼方から、あっという間に地球の至近距離にまで近付いてきたのだ。どれだけの速度で宇宙を飛行してきたのか。
宇宙には大量の魔素が満ちている。が、その質量は、一定ではない。地球のように莫大極まりない魔素質量体の周辺には、それだけ多くの魔素に満たされているが、周囲に星のない、あるいは少ない宙域の魔素というのは、薄いものらしい。
宇宙に進出した人類の調査結果によると、星の魔素質量は、やはり、その大きさに比例するものであるようであり、幻魔が引き寄せられるのは、そうした大きな星であったはずだ。
幻魔が宇宙進出を始めたのは、魔天創世の前後である。
ノルン・シリーズに記録されていたリリス文書によれば、二度の魔法大戦によって地球全土が荒廃し尽くし、人類よりも幻魔の数が多くなると、いわゆる幻魔戦国時代が開幕した。
鬼級幻魔たちによる地上の覇権争いであるそれは、地球全土を戦場とし、ありとあらゆる場所で闘争が繰り広げられたという。
魔天創世以前、未だ人類がどうにか生き残っていた時代ですら、それだ。
リリスのように本能的な野心の赴くままに生きる鬼級幻魔ならばまだしも、そうではない鬼級幻魔も中にはいたようだ。
そうした幻魔たちは、地球の外、宇宙に自分たちの楽園を見出そうとし、次々と宇宙に飛び立っていったという。
結局、人類の真似事をするのがいかにも幻魔らしい――とは、リリスの評である。リリスは、そんな鬼級幻魔たちを思いつく限りの言葉で罵倒していたが。
そんな宇宙移民幻魔が、なぜ、いまさらになって地球に戻ってくるというのか。
魔天創世以前に地球を離れた幻魔だけならば、わからなくはない。魔天創世以前の地球と、以降の地球では、星に満ちる魔素質量が段違いだからだ。地球の潤沢な魔素を知れば、戻ってきたくなるという気持ちも理解できないではない。
だが、二体の竜の激突が、そうした幻魔たちの呼び水になるとは、考えにくい。
が、もはや、そんなことを考えている場合でも、どうこういっている状況でもなかった。
明日良は、とにかく全速力でその場から離れた。神威も同じだ。
幻魔の大軍勢は、瞬く間に地球の眼前へと迫り、幸多の視界を埋め尽くした。あっという間だった。それはさながら、宇宙から地球へと降り注ぐ暗黒の大瀑布であり、大気圏を貫き、地上へと落ちていく。
暗黒の地球へ、暗黒の奔流が突き刺さったのだ。
『ああっ!?』
明日良が思わず声を上げたのは、背後で、阿修羅の四本腕で羽交い締めにするくらいしっかり抱き留めていたはずの幸多がいなくなっていたからだ。
当然、阿修羅の腕の力を緩めたつもりはない。
ただ、阿修羅の腕が削り取られていただけのことであり、その事実は、明日良をして絶望さえ覚えさせた。
星装である。
星神力の結晶たる四本の腕がもぎ取られ、明日良の背中にしがみついていたはずの幸多が、どこかへ消えて失せた。
『皆代! おい! 返事をしろ! してくれ!』
明日良は、大音声を上げるが、その声がだれかに届くことはない。
なぜならば、明日良が通信機として使用していたのは、幸多なのだ。幸多が、中継機として、地宙間情報通信網を繋げていた。
その幸多が、消えた。
明日良の目の前から。
周囲から。




