第千四百十四話 彼方より来たる(一)
冷徹なまでの静寂によって支配された宇宙空間がどうにもうるさすぎるほどに賑やかに感じられるのは、取りも直さず、地宙間情報通信網のおかげであるだろうし、その事実には感謝こそしなければならないのだが。
『うるさいな』
『酷い』
『酷すぎる』
『それが閣下のやり方か』
『戦団の長たるもの、これくらいの騒がしさなど平然と受け入れる度量の広さを見せたらどうだ』
『うむ、まったくその通り。宇宙の如き広漠たる器こそ、戦団総長に相応しい』
「……おまえら全員五十歳以上若返ったのか? それくらいうるさいぞ」
神威は、導衣に備わった通信機能を通して聞こえてくる、護法院の長老たちの声とその騒々《そうぞう》しさに顔をしかめる一方、彼らがなにやら元気一杯といった反応を見せているのが嬉しくもあった。
重荷を背負っていたのは、なにも神威ひとりだけではない。
護法院といえば、戦団の最高意志決定機関であり、常に戦団のみならず、央都の、人類の未来をより良い方向へ、正しい方向へ導くため、日夜頭を突き合わせ、議論を戦わせるのが仕事だ。その役割上、精神的に消耗し続けるのが必然であり、場合によっては連日連夜開催される会議の果てには、だれもが精も根も尽き果てるものだった。
皆、戦団がため、人類がために精一杯にやるべきことをやっているのだ。
そして、神威の竜眼とブルードラゴンに関する問題ほど、護法院の頭を悩ませ続けたことはなかっただろうことは想像に難くない。
神威本人以上の苦悩に打ちのめされていたとのだとしても、不思議ではなかった。
神威と彼らの絆は、魂の深度で結ばれている。
だれもが神威を想い、神威にとってより良い結果になることを望み、願い、祈り、それでもどうにもならないのではないかという諦めが頭をもたげていた。
神威の竜眼、そして、ブルードラゴン。
神威が竜眼を持ち続ける限り、ブルードラゴンの影に怯え続けなければならないし、かといって、神威から竜眼を摘出することによってどのような事態が起こるのかもわからない。
医務局による定期検診や、徹底的な検査の結果では、神威の肉体は常人のそれと変わらなかった。竜眼が、そのように欺瞞していたのであり、最新医療設備を用いてもそれを看破できなかたことそのものは、大した問題ではない。
相手は、竜だ。
竜の魔法、竜の力を陵駕することは、人間にはできない。
そして、ブルードラゴンが神威の命の根源として竜眼を植え付けたというのであれば、如何なる方法を以てしても、摘出することはできなかったかもしれない。
このような結末を迎えることができたのであれば、護法院という重責から解放され、思う存分にはしゃぐのも悪くはない。
ともかく、である。
神威は、宇宙空間の冷ややかな静けさを切り裂く地上からの声の数々に多少うんざりしながらも、堪能してもいた。
『おれは……生きている』
『はい、生きています!』
幸多が身を乗り出して、神威の全身をその視界に収めている。その様子が明日良にはなんだかとてつもなく嬉しいことのように思える。
神威の無事もそうだが、神威が幸多のような新人導士にも心底慕われていることが、限りなく喜ばしいのだ。
明日良にとっての大魔法士は、新世代の若手導士たちにとっても同様に尊敬するべき偉大なる存在なのだ。
そんなことは、わかりきったことではあったのだが。
『見た感じ、どこも問題なさそうだけど、本人的にはどうなんだ? さっきまでとなにか違いはありそうか?』
『あるだろう、それは』
神威は、当然のようにいい、大きく伸びをした。全身に満ちるのは、魔力。体内のあらゆる場所で生産される魔素を練り上げることによって精製されるそれは、無意識に神威の肉体に充溢していた竜気とは比べものにならないほどにちっぽけだ。
天と地ほどの差、どころではない。
竜とは、その体内にひとつの銀河系が存在するのではないかというほどの魔素質量体であり、人間のそれとは比べるべくもないのだ。
『竜眼の力は、あまりにも大きすぎた。いまとなっては、あれが現実だったのかさえ定かではないほどにな』
『いまのあんたなら、勝てるかな』
『勝てるだろう』
『はっ……』
明日良は、神威のあまりにも穏やかな反応に張り合いのなさすら感じたものの、それが神威の本来の人格なのではないかと想った。
竜眼とともに在った日々、神威は、常に張り詰めていたのではないか。いくら技術局謹製の眼帯型制御装置を身につけているとはいえ、一瞬たりとも気を抜くことができずにいたのではないか。ともすれば竜気を爆発させ、それによって周囲に被害を撒き散らすどころか、最悪の事態を引き起こしかねない。
ブルードラゴンの召喚と、それに伴う大災害。
そうした事態に関する幾度かの記録は、神威が自分らしさを封印したのだとしても不思議ではないほどのものだった。
そんな神威だからこそ、戦団総長をやっていられるのだろうし、導士たちのみならず、央都市民の崇敬を集めているのだろうが。
『冗談でも、そういうことはいって欲しくないな』
『冗談じゃないぞ、天空地軍団長』
神威は、明日良のなんともいえない表情を見つめながら、いった。
『おれは長らく実戦を離れていた。あっても、竜眼任せの馬鹿げた戦いばかりだった。もちろん、鍛錬や研鑽を忘れたことはないが……それはきみら星将も同じだろう。そして竜眼頼りの老兵など、戦団最高戦力たる軍団長たちに負けて当然。おれが万一にも勝つようなことがあれば、それこそ大問題だ。軍団長たちの日頃の行いから徹底的に見直す必要がでてくるだろうな』
『いくらなんでも自分の実力を低く見積もりすぎじゃないか? あんたは、総長で大星将だ。戦団最高戦力の頂点に君臨するのが、神木神威だろうに』
『それもいまや過去となった』
神威は、己が全身に満ち溢れる魔力をさらに凝縮し、星神力への昇華を試みた。そしてそれは、不可能ではなかった。魔力をより高密度に圧縮し、さらなる意志と力を注ぎ込むことによって起こる、昇華現象。〈星〉を視、星極に達したものだけが辿り着く境地。
しかし、星象現界は発動しない。
『おれは、竜眼に頼り過ぎていたのさ』
そしてそれそのものは、間違いではないということを神威は理解し、認識している。この肉体に竜眼があったころ、竜眼を無視して魔力を練成することも不可能だった。意識と肉体と竜眼は完全に紐付いており、力を使うということは即ち、竜眼を使うということにほかならなかったのだ。
それもそのはず。
竜眼こそが神威の心臓の代わりだったのだから。
いまは、違う。
心臓の拍動が、宇宙の静寂の中、確かに聞こえている。心臓が脈打つ度、体内を巡る血液が彼の全身にその存在を明らかにするようだった。
命を、感じている。
『だとしても、だな』
明日良は、神威の言い分を信じなかったし、認めなかった。
神威が如何に自分のことを卑下しようとも、戦団総長であり、大星将であり、導士の中の導士、英雄の中の英雄であることに代わりはない。ましてや、竜級幻魔ブルードラゴンの討伐を為し遂げたのだ。その方法がどうあれ、竜級幻魔討伐の実績は、変わらない。
神威にしかできない偉業であり、人類史に燦然と輝く大事件といっていい。
『あんたは竜殺しだ。竜の存在が確認されてから今日まで、そして遥か未来に至るまで、そんなことを為し遂げられるのはほかにはいないさ。当然、おれたち星将の中にも、だれひとりとして、な』
『そうだな……』
神威は、明日良の言にうなずく。
竜殺しをできるような人材が何人もいるなど、考えらたくもなかった。それはつまるところ、地球を滅ぼしかねない存在だからだ。
本来、人間が到達できる領域の話ではない。
そのことをいまさらのように理解したのが、神威である。
『おれは竜を殺したが、同時に竜に生かされた。この命、大事にしなければな』
『閣下……』
宇宙の闇と静寂の中、幸多は、神威と明日良の会話を聞きつつ、地上からの様々な情報を見ていた。宇宙服のバイザーに表示される情報の数々は、恐府跡地たる第五霊石結界から幻魔が一体としていなくなり、戦いが完全に終結したことを示している。
天軍も去り、残されたのは、戦団の導士だけ。
戦いは、終わった。
その矢先だった。
『なんだ?』
ふと、幸多は、遥か彼方からこちらに向かって迫り来る気配を感じ取り、そちらに顔を向けた。
太陽の光に照らされた星々の輝きさえもどす黒く塗り潰し、それは来る。




