第千四百十話 竜の心臓(四)
《……わたしの意識に旭桜の記憶が入り交じっていたからでしょう》
蒼竜の眼差しは、神威への同情を隠さなかった。憐憫さえ込められた視線は、真実を知ってしまったがために苦悶の表情を浮かべる神威には、強烈すぎる力を持っていた。
まるで女神だ。
理の上に君臨する絶対者。
《人間と幻魔に連続性はない――それが人間の幻魔研究の中で至った結論だけれど、それは間違いないわ。わたしは、旭桜ではない。わたしは、あなたたちにブルードラゴンと名付けられた竜級幻魔であって、旭桜とは一切の関係がない》
だがしかし、蒼竜は、旭桜の姿をし、その憐れみに満ちた表情を神威に向けるのである。
まるで、最初からそうであったかのように。そうするべきであるかのように。
そうあるべきであるかのように。
《でも、記憶は、どうかしら。旭桜の死によって生じた莫大な魔力が苗床ととなり、一体の竜級幻魔が誕生した。それがわたし。青き鱗に覆われたわたしをあなたたちはブルードラゴンと命名した。人類が観測した六体目の竜級幻魔であるわたしは、確かに旭桜ではなかったし、旭桜の人格も自我も個性もなにもかも受け継いでなどいなかった。ただ、情報だけは、わたしの中に存在する。旭桜の記憶という名の情報。それがわたしの自我を形成する土台となった可能性は、否定できない》
「だから、おれを生かしたのか」
《おそらく》
蒼竜は、神威のなにかに縋るような表情を見て、より憐れみを深める。
竜に対しても常に毅然とし、傲岸不遜ですらあったはずの戦団総長は、己が真実を知り、足場を失い始めているかのようだった。
《確信はないの。だって、あのときの判断は、無意識の反応だったからだ。でなければ、拡散していくあなたの情報を繋ぎ止め、元通りに復元することなんてできなかったわ》
「……そして、おれに竜眼という形で魔晶核を植え付けた。おれの肉体が、おれの命が、正しく機能するように。おれが存在し続けられるように」
《ええ。そして五十余年、あなたは生き長らえた》
「……十分に生きたか」
《それを決めるのは、わたしじゃない、あなた自身でしょう。どうだったのかしら? この五十余年に及ぶあなたの人生》
「……他人に誇れるようなものだったか、疑問は残るが……まあ、悪くはない人生だったよ。だが、悔いは多い」
《力が使えなかったからでしょう?》
「ああ」
竜からの問いに即答した神威の表情は、先程までとは打って変わって、すっきりしていた。竜眼と魔晶核の真実を知り、己の真実を知り、すべてを理解したいま、神威の精神状態は、むしろ、安定し始めている。
崩れかけた足場は、いまやまったく別の形に変えて、彼を支えていた。
「おれが力を使えば、おまえが飛んでくるからな。幻魔討伐という戦団の本分を果たせないことは、ただただストレスだったよ」
《そればかりは仕方がないわ。だって、あなたの右眼はわたしの心臓なのよ。心臓に呼ばれた以上は向かうしかない。そしてそこにあなたがいれば、戦うだけのこと》
「その結果、おれはまともに戦うこともできなかった」
《でも、今回は思う存分に戦えたでしょう》
「……そうだな」
神威は、蒼竜の虹色に輝く瞳を見つめ、肯定した。今回の蒼竜との決戦は、全身全霊、あらん限りの力を使い尽くした。星象現界を駆使するどころか、星髄に到達することすらできたのだ。
宇宙を震撼させるほどの戦い。
「これで、よくわかったよ。おれは、地球上で力を使うべきではなかったんだ、とな」
そして、蒼竜の襲来は、警告でもあったのだ、と、神威は理解した。最大限に高めた竜気は、地球に致命的な損害をもたらしかねない。
「おまえは、それがわかっていた」
《わたしは竜よ。竜たるもの、己が力の使い方くらい理解しているもの。ほかの竜たちが長らく眠り続けているのも、そのため。彼らは、力有るものの責務を果たしているわ》
「だが、おれと戦った」
《それがあなたの望みだったでしょう》
「……ああ、そうだ。そうだな、その通りだ」
神威は、蒼竜の言に深く頷く。
望み、願い、祈り――ついに叶った戦いの果て、このような結末を迎えるなど、想像だにしなかったが。
「おれは、おまえとの因縁にけりを付けたかった。ずっと、ずっとそう願っていた。望み続け、ついに叶った――はずだったんだがな」
戦場は、宇宙。
この広大にして無限の暗黒空間ならば、地球への損害を気にすることなく、全力を発揮することができた。事実、互いに力の限りを尽くして戦い、その結果、亜空の断裂なるものを生み出す羽目になったが、それはともかく。
「まさか、自分の正体を知ることになるとは」
《正体?》
「おれがおまえの人形だったってことだ」
《人形だなんて人聞きの悪いことはいうものじゃないわ。わたしは、あなたを復活させたのよ。完璧に、完全無欠に》
「右眼に心臓を植え付けられた」
《……それくらいは問題ないでしょうに》
蒼竜が肩を竦めたのは、神威の言い分がどこか子供じみていたからだ。年齢においては、ずっと神威のほうが上だというのに、生物の枠組みではドラゴンのほうが圧倒的に上だからなのか。
「おれの意思がおまえに操られていなかったと証明することができない」
《そうね。それは、わたしにも証明できないわ。でも、あなたが自分の人生を振り返ってみればわかることじゃない? それとも、自分の言動に責任を持ちたくないのかしら?》
「はっ……」
神威は、小さく息を吐いた。自分が駄々を捏ねているように思えてきたからだ。
「おれはおれだ。神木神威として七十余年、生きてきた。生き抜いてきた。その途上、おまえに殺され、復活させられこそしたが、それから後も、おれの人生はおれのものだったさ。そこにおまえの意思が介在していないことくらい、わかりきっている」
仮にブルードラゴンが神威になんらかの干渉をしてきたのであれば、周囲が異変に気づくはずだ。だが、そのような指摘もなければ、記録もなかった。神威の言動は、一貫している。
これまでも、これからも。
「おまえがおれを操るのならば、このような状況にはならないだろうさ」
神威の手のひらの上に竜眼が乗っている。蒼竜の心臓であるそれは、いまも脈打ち、莫大な竜気を発し続けている。そしてその竜気が神威と蒼竜に流れ込んでいることは、幸多の目を通して視ている義一と麒麟によって明らかだった。
それこそが、蒼竜が魔晶体を完膚なきまでに破壊されてもなお完璧に復活した理由であり、神威がその肉体を粉々に打ち砕かれても復元した原因である。
竜眼こそが、蒼竜だけでなく、神威の心臓の役割を果たしていた。
そしてそれはつまり、神威がただの人間ではない証明でもあった。
ただの人間であれば、たとえ心臓が残っていたとしても、頭を潰されたり、体の大半を破壊されれば、即死する。しかし、神威はそうではなかった。肉体のほとんどすべてを失っても、竜眼さえあれば元通りに復元した。
まさに幻魔のように。
「おれがおまえの生殺与奪を握っている」
《……ええ、そうよ。その通り。あなたは、選ぶことができる。このまま竜眼とともに生き続けるか、それとも、竜眼を、わたしの魔晶核を破壊して、わたしとともに死ぬか。道は、ふたつにひとつ》
「いや、道はひとつだよ」
神威は、断言し、右手を握り締めた。
『ジジイ!』
『閣下!?』
明日良と幸多が絶叫する中、蒼竜は満足げな表情を浮かべ、神威の右手の中で魔晶核が容易く握り潰されていく様を見ていた。
魔晶核は、幻魔の心臓。
臓器を持たざる純魔法知性体たる幻魔にとって、唯一無二の臓器というべきそれは、多少魔力を込めるだけでも傷つき、大打撃を受けた。
殻石化しても同じだ。
魔晶核は、幻魔の肉体たる魔晶体の中でもっとも柔らかく、故に弱点として認識されている。
神威がただ握り締めるだけで粉々に砕け散り、そして、ブルードラゴンの魔晶体が崩壊を始めた。
ブルードラゴンは、抗わなかった。
まるですべてを理解し、把握し、未来をも見通しているかのように。
悠然と、消滅しゆく己が命を見つめていた。




