第千四百九話 竜の心臓(三)
「辿り着いただと?」
神威は、ブルードラゴンを睨み据える。桜の花弁を鎧のように纏い、翼の如く広げる竜の姿は、ドラゴンというよりも桜の木の化身のようだ。
神々しくも幻想的な姿を持つ幻魔は数多といるが、その中でも、今現在の蒼竜の姿ほど圧倒的なものはないのではないか。
そう、圧倒される。
圧倒されている。
「どういうことだ? どういう意味だ? 意図はなんだ? なぜ、おまえはおれの右眼を奪い、代わりとして魔晶核を植え付けた。おまえの心臓を。おまえの命そのものを」
神威には、それが解せない。どれだけ知恵を絞り、頭脳を働かせても、納得の行く理屈が思いつかない。
ブルードラゴンがなにを望み、なにを求め、なにを願い、なにを企んでいたのか。
竜眼が魔晶核であるということが判明したいまとなっては、すべてに疑問が浮かぶ。
神威が強引にも竜眼を取り出し、破壊を試みた瞬間、ブルードラゴンはその命脈を絶たれ、死ぬ。それは絶対的な結果としての滅びであり、永久に覆ることはない。
可能性として、ありえないことではなかったはずだ。
神威が竜眼を体内に宿し続けたのは、この力を利用することができたからであり、その可能性に着目したからだ。
竜級幻魔の力、竜気を制御できれば、幻魔殲滅も人類復興も加速するのではないかと考えたからだ。
しかし、護法院にしても、戦団最高会議にしても、竜眼は結局幻魔の力であり、完璧に使いこなせるのかどうかもわからない上、使えばブルードラゴンという災いを呼び寄せてしまう以上、期待するのは危険だという共通見解を持っていた。
無論、神威も竜眼の危険性については熟知している。
竜眼は、それだけで蒼竜召喚機としての役割を果たしかねないのだから。
そして、神威がその意見に傾き、竜眼を破壊しないとも限らなかったはずだ。
なのに、ブルードラゴンは、神威に己が心臓を植え付けた。神威の失った右眼を補うように形を変え。
そこになんらかの意味があり、意図がなければ、おかしい。
竜級幻魔は、人類よりも遥かに高度に発達した頭脳の持ち主だ。人間とは比較にならないほどの知性を誇るが故に、己が存在の与える地球への影響を理解し尽くし、動かず、眠りについているほどだ。
力を制御してもなお、自分たちが動き回るだけで世界に与える影響の大きさをわかっている。
竜級幻魔が一体程度ならばまだしも、二体、三体と、ドラゴンたちが自由気ままに歩き回れば、それだけで地球は壊滅的な損害を被りかねない。
そのため、竜は眠る。
竜の知性の高さが、眠ることこそ世界のため、地球のためという結論に至らせ、実行に移させている。
それほどの頭脳の持ち主が、なにを期待して、なにを望んで、神威に魔晶核を埋め込んだのか。
神威には、想像もつかない。
蒼竜は、そんな神威の厳めしい顔をじっと見つめていた。旭桜の顔をした竜の脳裏に浮かぶのは、やはり、最初の戦い。
ブルードラゴンがこの世に生まれ落ち、産声を上げた瞬間の光景。
消えゆく命の火。
《――理由はひとつ。あなたが死んでしまったからよ》
「なに?」
『な、なんだ? なにをいっているんだ?』
『閣下が? どういうことでしょう?』
神威もそうだが、明日良も幸多も、脳内に直接響く蒼竜の言葉を聞いて、その意味が理解できなかった。
神威は、竜眼を握り締め、その脈動を感じ取る。己が心臓の音は、どれだけ耳を澄ませても、一切聞こえなかった。この肉体を動かしているはずの命の音が、どこにもないのだ。
「おれが死んでしまった……だと?」
《それが道理。摂理と言い換えてもいいわ》
ブルードラゴンは、簡潔に告げる。
《だって、そうでしょう。星象現界を使うことすらできないただの人間の魔法士が、生まれたばかりとはいえ、竜級幻魔とまともに戦えるわけがない。そんなことは、魔法を学び始めた子供にだって理解できること。そうではなくて? それとも、あなたたちの教育では、人間が竜級幻魔と対等に戦えるということにでもなっているのかしら》
淡々と、しかし、確実に、竜の声が神威を圧倒していく。神威の脳裏を過るのは、あの紅い空。燃えるような空の下、蒼き竜が産声を上げた瞬間。
旭桜の死を吸い上げ、一体のドラゴンが誕生したとき、だれもが絶望した。
神威も、そうだった。
リリスを打倒できたのは、霊石に封じることができたからだ。
鬼級幻魔ですら対等になど戦えたわけではない以上、鬼級を遥かに陵駕する竜級の顕現ほど、絶望的な事態はなかった。
だが、立ち向かった。
立ち向かい、全力をぶつけ、そこで意識が途切れた――。
《神木神威。あなたは、わたしに立ち向かい、死んだのよ》
「……おれが死んだ……死んでいた……だと」
神威は、震えるような意識の中で、蒼竜を見ていた。蒼竜の眼差しは、慈愛に満ちた女神のそれだ。
《でも、あなたは生きている。どうしてなのか》
「それが、これか。これがおれを生かしたのか」
《御明察》
蒼竜は、神威が竜眼に視線を移す様を見ていた。彼の中の動揺が手に取るようにわかる。神威がなぜ今日まで生きてこられたのか。なぜ、竜との対峙の果てに生き残れたのか、その答えがすべて、彼の手の上にあるのだ。
神威が慄然とするのも無理からぬことだ。
《わたしは、あなたを憐れに想った。わたしは生まれ落ちた直後だったけれど、あなたたちとの歴然たる力の差は理解できていたし、あなたたちを傷つけるつもりも、滅ぼすつもりもなかったわ。ただ、あなたたちは、わたしの、竜級幻魔の存在を許容できなかった。大切な同志の死が、幻魔に変わり果てたんだもの。怒り狂うのも無理のない話よね。だから、受け止めてあげたのだけれど、それでも、あなたの肉体は持たなかった。脆く儚い人間の肉体は、竜気に触れただけで消滅してしまった》
「消滅……」
神威は、己が両手を見下ろし、握り締めた。指先に至るまでの感覚は、星象現界によって極限まで高められていて、限りなく肥大し、鋭敏化している。その感覚が生きていることを証明しているのだが、しかし、その証明がどうにも不安定で、形のないもののように思えてならなかった。
足場が、崩れ落ちていくような感覚。
《それではあまりにも可哀想でしょう。だから、わたしはあなたに命を与えることにしたのよ。死者を蘇生する魔法は、残念ながら存在しない。わたしの魔法を以てしても、死者蘇生は不可能。けれど、わたしの心臓を、魔晶核を与えるのであれば、話は別。だって、それは命そのものだもの》
「はっ……はは……は……」
神威には、蒼竜から聞かされる真実を拒絶することなどできるわけもなかった。
なぜならば、竜眼が蒼竜の魔晶核であり、その脈動が神威の全身にまで波及しているからだ。体内には存在しない、外付けの心臓。その命の音と波動が、神威を今日まで生き長らえさせてきたという受け入れがたい事実が、神威を茫然とさせる。
竜によって与えられた第二の生。
竜によって生かされてきた命。
竜によって維持されてきた存在。
竜によって――。
『嘘だろ、おい……冗談きついぜ……』
『閣下……』
明日良と幸多は、ただ、聞き届けることしかできない。神威と蒼竜の間に割って入ることなどできるわけもなければ、そんなことをする意味がなかった。
《もちろん、本来、わたしにそんなことをする必要もなければ、意味もない。なぜならわたしは竜で、幻魔だもの。人間であるあなたに命を与える必要なんてなかった》
「だったらどうして、なぜ、おれを生かした!? 復活させた!? なぜだ!」
神威の叫びは、慟哭に似ていた。




