第千四百七話 竜の心臓(一)
《さすがね》
旭桜の姿態をしたブルードラゴンは、その全身に竜鱗の装甲を纏い直すような素振りを見せながら、いった。
神威の武装顕現型星象現界に似て非なるそれは、旭桜の個性が存分に現れている。
つまり、桜だ。星装の各所に桜の花弁が鏤められており、ついにはその六対十二枚の翼が桜の花弁へと変貌を遂げた。
翼の飛膜が、桜の花弁の如き羽根となったのだ。
すると、翼の骨の部分が桜の木の枝のようになり、竜鱗の装甲そのものが桜の花弁へと変じていく。
まるで桜の木の化身の如き変容。
「なんの真似だ?」
《さらなる力の高まりを感じるの。わたしは、竜よ。この生まれ持った力を限界まで引き出したことなんて、この五十余年、一度だってなかったわ。だって、そうでしょう? そんなことをすれば、眠れる竜たちを目覚めさせ、挙げ句、地球が崩壊してしまいかねないもの》
桜の木の化身の如き姿へと変わり果てた蒼竜は、確かに、ただでさえ絶大な魔素質量が先程よりも遥かに増幅しており、その存在そのものが亜空の断裂を生み出しかねないのではないかと思えるほどだった。
神威と力をぶつけ合う必要なく、宇宙の寿命を縮ませることができるのではないか。
《ね? わたしも地球生まれ地球育ちのほかの竜たちと同じなのよ。地球を大切に想い、故に、傷つけまいと力を制限してきた。でも、ここなら、この宇宙なら、その必要はない。あなたとの戦いの中で、力の使い方もわかってきたわ。そう、これは成長。万物の霊長にして究極生物たる幻魔にあるまじき成長なのよ》
「成長……」
《わたしはこれまで自分の力の使い方を理解していなかった。それがわかるようになったのは、神威。あなたのおかげ。あなたがわたしにもわかるように力を使ってくれるから、わたしも、成長し、進化を遂げた。あなたは、どうかしら?》
「……言うに及ばず」
神威は、背後の翼から無数の桜の花弁を舞い散らせ、誇らしげな態度を取ってみせる蒼竜を見据えながら、拳を構えた。竜眼の力は、未だ留まるところを知らない。底知れぬ力が神威の意思に応じるように溢れ出し、全身に満ちていく。
まるで、ブルードラゴンの成長と進化に追い着こうといわんばかりに。
「見たか、皆代」
「はい、視ました……!」
明日良と幸多は、興奮するべきか驚愕するべきか、感情の行き先がわからず、混乱さえしていた。
二体の竜の激突の結果は、一瞬、神威の勝利に思えたのだ。だが、蒼竜は復活、さらなる力を見せつけるように変身した。
『いま、閣下はブルードラゴンの魔晶体を完全に破壊しましたね』
『さすがは閣下、というべきか』
『だが、復活した』
『魔晶核を破壊できなかったからでは?』
『しかし、だとすればおかしい。魔晶体を完全に破壊したのであれば、魔晶核も消し飛んでいるはずでは?』
『……義一、視えますね?』
『はい』
地宙間情報通信網を通じて、この宇宙の死闘を観戦している地上の人々の声が、幸多たちに届く。
だれもが息を呑み、戦況を見守ることしかできない。が、たったふたりだけ、その状況を変えることができた。
義一と麒麟である。
ふたりの真眼が、真実を見抜く。
『ブルードラゴンの魔晶体には、魔晶核がありません』
『なんだと?』
『なんですって?』
『一体、どういうことだ?』
義一の発言によって生じた地上の混乱は、幸多と明日良にも波及した。想わず明日良は幸多を振り返ったが、幸多は、じっと竜たちを視ていて、それどころではない。
『聞こえていますか、閣下。これが真眼による観測結果です。ブルードラゴンの魔晶核は、魔晶体の内にはない』
「……まあ、だろうな」
神威は、蒼竜が見せつけるようにして十二枚の翼を羽撃かせ、桜の花弁を乱舞させる様を睨み付けた。その花弁の一枚一枚の破壊力は、想像を絶するものに違いない。
「おれはこれまで、何度となく奴の魔晶体を破壊してきた。徹底的に、完膚なきまでに、完全無欠に、だ。しかし、奴は復活した。何度となくだ。だからおれは最悪の可能性を考えた」
『〈殻〉、ですね』
「ああ。奴が地上に〈殻〉を作り、幻躰を差し向けてきたんじゃないか、と。だが、だとすれば、おかしい。幻躰の再構築が早すぎる。ここは宇宙。地上とは離れすぎている」
殻石からの魔力の供給によって具現する幻躰は、いくら破壊されても、なんの問題もない。だが、幻躰の再構築は、殻石から距離が近ければ一瞬で済むものの、遠く離れていればそれだけ時間がかかるものだ。
相手は、竜だ。
地球上ならば、幻躰と殻石がどれだけ離れていても一瞬で復元可能かもしれないが、宇宙では、そうはいくまい。
地球の魔素濃度と、宇宙の魔素濃度の差は数十倍以上と考えていい。となれば、魔素の伝達速度も大違いだ。
そして、距離。
地球の裏側までの距離よりも、地上からここまでの距離のほうが遥かに離れている。
竜といえど、幻躰の復元には時間がかかるだろうし、場合によっては制限さえ生じる可能性があった。
となれば、やはり、答えはひとつしかない。
「やはり、魔晶核はどこかにあるはずだ」
『はい、あります。あるんですよ。すぐ、そこに』
義一の声が、神威の意識を研ぎ澄ます。そして、義一の声が、感情を伝えてくる。自分が視た真実を信じがたいと想う一方、しかしそれこそが揺るぎようのない事実であるという確信を併せ持つ、まさに混沌とした声音。
彼の真眼が魔晶核を視たのは間違いないのだが、ならばなぜ、動揺すらしているのか。
神威には、答えを促すことしかできない。
「さすがは真眼だな。奴がどれだけ擬態しようとも、どれほど厳重に隠し通そうとも、すぐに見抜く。真実を見抜く眼とはよくいったものだ」
『はい――』
《話、長いわよ》
蒼竜の冷徹な言葉とともに轟然と殺到してきたのは、大量の花弁。破壊的な桜吹雪が多重螺旋を描いて神威を飲み込み、全身をずたずたに引き裂いていくが、そのたびに神威の肉体は復元した。
竜眼から供給される無尽の魔力が、無限大の竜気が、この程度の攻撃ならば容易く対処してしまう。
破壊された側から復元する。
さながら、破壊と創造の輪舞のようだ。
《わたしの魔晶核探しなんて、そんな野暮な真似、しないで欲しいわね》
「はっ……そうでもしないと、おまえを斃せないだろうに」
《だから、言ったじゃない》
蒼竜が、桜吹雪の中に飛び込むようにして神威に襲い掛かる。
《永遠に踊り続けましょう》
「――御免被る」
竜気を込めた打撃の応酬は、先程よりもさらに鋭く、破壊的であり、一撃一撃が互いの肉体を粉砕し、致命的なものとなって炸裂した。だが、つぎの瞬間には両者の肉体は元通りに復元しているため、攻撃の手が止まることはない。
竜気の激突の度に亜空の断裂が生じ、宇宙規模の損害が刻まれていく。
そして、同時に神威の脳内に刻まれていくのは、義一の声。
「――ああ、聞こえている。わかった。なるほど、そうか。そういうことか。そういうことだったのか」
《なにをひとりで納得しているのかしら?》
稲妻のように降ってきた蒼竜の踵を左手で受け止めた神威は、乱舞する桜吹雪を流星群で対処しつつ、右手を視た。
右手を竜眼の目の前に持ってくると、そのまま眼孔に突っ込み、眼球を掴み取る。竜眼は、超高純度、超高濃度の魔素の結晶であり、人間の眼球とは構造が違う。なぜ神威の右眼の代わりを果たすことができていたのかもわからない代物だ。それをおもむろに抜き取ると、神威の視界が欠けた。
しかし、左の眼は、確かにそれを捉えている。
虹色の輝きを発する結晶体。神威の右眼に収まるくらいだ。決して大きくはない。が、そこから流れ出す力は神威の肉体を超人どころか、竜級のそれへと超絶的に強化しているのだから、その小さな結晶がとてつもない量の魔素を常時生産していることは、疑いようがない。
「これが……おれたちが竜眼と呼んでいたこの物体が、おまえの心臓だったんだな、ブルードラゴンよ」
神威は、竜眼が脈打つ様を見ていた。神威の右眼にちょうど収まるくらいの大きさの結晶体。まさに竜の眼の如く虹色の光を発し続けており、その輝きが高まり続けている。
そして、それによって神威自身の力が増幅し続けているだけでなく、ブルードラゴンの力もまた、増大していることがわかった。
竜眼は、神威だけでなく、ブルードラゴンとも繋がっている。
なぜならば、この手のひらの上で蠢く物体こそが、蒼竜の心臓だからだ。
「なぜだ? どうして、おまえの魔晶核がおれの右眼に?」
神威の疑問に対し、蒼竜は、静かだった。攻撃の手を止め、桜吹雪を止め、時間さえも止めてしまったかのような沈黙があった。
宇宙が、凍り付いたように静まり返った。




