第千四百六話 地球の声、宇宙の音(二)
《ただあなたの星象現界を見様見真似で再現しただけだというのに、その言い様。あまり感心できないわね。それじゃあまるでわたしが邪悪みたいじゃない》
蒼竜は、旭桜の体で、声で、仕草で、神威を嬲るようにいった。
その声は、宇宙の真空に響くのではなく、神威の脳内に直接届き、散乱し、反響する。いや、神威だけではない。明日良の頭の中にも届いたし、幸多の聴覚もそれを捉えていた。
ブルードラゴンの圧倒的な魔素質量が織り成す竜魔法が、音なき世界に言葉をもたらす。
魔素を一切持たない幸多にさえ聞こえる声は、まさに神の声の如く。
《わたしは、純粋よ》
「純粋と邪悪は両立する。おまえは、純粋な邪悪だ。おれにとって、おれたちにとって、人類にとって、地球にとって」
《うーん……それは勘違いかも》
挙措動作のどれひとつとっても旭桜そのものであることが、神威には我慢ならない。神威の発言を否定する仕草が、神威の脳髄に刻まれた彼女の記憶を喚起し、激しく揺さぶるのだ。
沸き上がる激情の熱量には、神威自身に怒りに底などないということを思い知らせるようだった。
そして、感情の昂ぶりが、神威の竜眼を通して魔力を増幅し、竜気を爆発的に膨張させていく。
《少なくとも、地球にとってわたしたち竜は必要不可欠な存在となったわ。だって、そうでしょう? 彼らが起こした魔天創世という事象は、地球環境を激変させた》
ブルードラゴンが、地球を見遣る。その眼差しの遥か先、宇宙を揺蕩うどす黒い惑星を包み込むようにして、無数の光線が蜘蛛の巣状に広がっていた。それがなんであるか、わからないブルードラゴンではない。
地宙間情報通信網。
魔天創世より遥か以前、地球市民と宇宙移民の間で起きた断絶とともに失われたはずのそれがどういうわけか復活し、それによって地上の声が神威の元に届いたらしいということまで、蒼竜は認識した。
だれがなにをどうすれば、そのような真似ができるというのか。
神威にはできまい。
蒼竜との戦いに集中していたし、いくら竜魔法の使い手とはいえ、こちらの攻撃を捌きつつ、片手間に通信設備を復旧するなどできるわけがない。
ならば、地球から上がってきたふたりか。
天空地明日良と皆代幸多。
戦団戦務局戦闘部第八軍団長と、第九軍団輝光級導士――。
《かつて……地球そのものといっても過言ではなかった数多の生命が死に絶え、幻魔だけの星に作り替えられてしまった。幻魔にとって不要なもの全てが根絶された世界は、まさに幻魔の楽園だったわ。ドラゴンたちがいなければ、呼吸すらままならなくなっていたのよ。それがわからないあなたではないはずでしょう》
「……そうだな。おまえが発生する以前のドラゴンたちには、感謝しているよ。おかげで、おれたちが地上に上がることも、いや、地下で生き続けることもできた。それもこれも、ドラゴンたちが結晶樹で地球を覆い尽くしてくれたおかげだ」
神威もまた、地球を見遣っていた。竜眼には、明日良と幸多によって復旧されたのであろう地宙間情報通信網の輝きがわずかに映るが、その向こう側、死の星と化した地球の黒き海と赤黒き大地にこそ、注目する。大地の大半は、数え切れない結晶樹によって覆われており、それらが陽光を浴びて輝く様子すらも神威の目は捉えていた。
魔天創世後の地球を覆い尽くした結晶樹は、竜級幻魔によって生み出された。それによって地球から酸素が失われることなく、最低限、生命が存続できる土壌となったのだ。
そして、それこそが竜級幻魔の神の如き創造的な一面であり、幻魔の神とも呼ばれる所以だ。
他の等級の幻魔とは次元さえも隔絶するほどの絶対的な力を持つ竜級幻魔たちは、ただ、地球を保全するためだけにその力を使い、眠りに落ちる。
自分たちが思うままに動けば、それだけでこの小さな惑星が崩壊し、宇宙全体に甚大な被害をもたらすことを理解しているからだ。
いまの神威ならば、理解できる。
蒼竜との激突のたびに生じる亜空の断裂を見れば、神威でなくとも理解できよう。
竜級幻魔が本気を出せば、地球どころか、宇宙そのものが危うい。
「だが、おまえは違うだろ。おまえは、彼らが維持する地球を傷つけ、穢し、破壊することも厭わない存在だ」
《あら、おかしいわね。わたしって、そこまで酷いことしたかしら? 大陸のひとつも消し飛ばしていないけれど》
ブルードラゴンは、微苦笑を漏らす。
《それなら、小島を消滅させたあなたのほうが余程、地球にとっての害悪じゃないかしら》
「……そうだな。それも否定しないさ。しかし、それも今日まで」
《今日まで?》
「おまえを斃し、この五十余年に及ぶ因縁に決着をつけよう。さすれば、おれの中の害悪も消えて失せる」
《そう上手くいくと想う? いまのいままで、わたしを斃すことも滅ぼすこともできていないというのに》
「できるさ。やってみせる」
《そう。だったら、やってみなさいな。あなたの決意と覚悟がどれほどのものか、見届けてあげる》
神威が拳を握り締め、決然と告げれば、蒼竜ももはや問答に意味はないと断じた。
宇宙を、虚空を蹴るように飛び立てば、一瞬にして神威の眼前へと肉迫する。衝突。そして、打撃の応酬。竜気を込めた拳撃、蹴撃が炸裂し、そのたびに凄まじい爆発が起きた。余波だけで明日良たちが吹き飛ばされる。
「うおおおお!?」
「うわあああ!?」
「皆代! しっかり捕まっとけよ! おれも離すつもりははないが!」
「は、はいいいい!」
幸多は明日良の体を強く握り締めながら、激しく流転する視界をどうにか固定しようと考えたが、しかし、明日良が回転している以上どうにもならない。さらなる余波がふたりを襲い、吹き飛ばされるのだけだ。
それでも、ふたりとも一切の損傷を負わなかった。
神威が護ってくれているのではないか、と、明日良は考えたが、そんなことは考えるまでもないことであり、自明の理だ。
神威以外のだれが、明日良たちを護ってくれるというのか。
ブルードラゴンの殺意に満ちた攻撃の数々は、周囲にどれほどの被害がでようともお構いなしといわんばかりだったし、明日良の星象現界によって引き上げられた動体視力を以てしても捉えきれなかった。
一瞬の内に数百、数千以上の打撃が重なり、破壊が連鎖する。
「絶・屠龍閃舞輪」
《真・桜花大乱咲》
二体の竜が同時に真言を唱えた瞬間、明日良は、超密度の竜気の爆発を目の当たりにした。神威自身を中心に展開し、超速で拡大する無数の光輪が全周囲のすべてを切り刻んでいく中、蒼竜の手の先に生じたのは大輪にして無数の桜の花。両者の竜魔法がぶつかり合えば、大爆砕が乱舞する。
そして、宇宙に刻まれる巨大な亀裂。
「亜空の……断裂」
「これで宇宙の寿命がまたひとつ縮まった……ってか? 笑えねえ」
だが、明日良たちには、なにもできない。
二体の竜が互いの全力をぶつけ合えば、入り込む余地などあろうはずもないし、そもそも、ふたりがここにいるのは、この戦いに参戦するためではない。
「皆代」
「はい」
「視ているな?」
「はい!」
明日良は、ようやく余波の連鎖から立ち直ると、姿勢制御によって角度を固定し、二体の竜を幸多の視界に収められるように全力を尽くした。
そのときだった。
蒼竜の足刀が神威の顎を打ち砕き、神威の拳が蒼竜の腹を貫いた。そして、互いの竜気が物凄まじい爆発を起こす。
「閣下!?」
「ジジイ!」
幸多と神威が必死に叫ぶ中、蒼竜の肉体が粉微塵になって消し飛び、一方の神威は顎から首の辺りまで深く抉られ、胸に巨大な穴を穿たれていた。見るからに致命傷だが、神威の表情は変わらない。
神威の肉体は瞬く間に復元し、そして、ブルードラゴンもまた、あっという間に元の姿に戻ってしまった。




