小話集④
夏緋ルート後:新たなトラウマ?
「おい。出掛けるぞ!」
教室を出た僕を赤い災いが待ち受けていた。
「嫌です」
会長に捕まると碌なことがない。
エンカウントしてしまうと逃亡不可なのは承知しているが、今日は絶対に帰りたい……というか帰る!
「今日は徒歩で向かう。近くだからな」
「話を進めるな! 行きません! 今日は夏緋先輩と一緒に帰るって約束しているんです! だから会長を構っている暇は……」
「そうか。よし、行くぞ」
「聞けよ! 夏緋先輩と帰るんだって!」
ついてくるのは当然だと歩き始めていた会長が足を止め、振り返って僕を見た。
「弟のものは俺のものだろ?」
「……それ、一回言って夏緋先輩に殴られたじゃないですか」
割と最近のことなのにもう忘れたのだろうか。
これだからゴリラは。
揉め事なんて日常茶飯事だから取るに足らない出来事なのだろうけど。
「あんなもの、じゃれただけだろうか」
「あれがじゃれる!?」
夏緋先輩は強い。
兄である会長には敵わないと本人は言っていたけれど、会長と渡り合えるのはきっと夏緋先輩だけだ。
そんな夏緋先輩の渾身の一撃を『じゃれる』!?
「会長とは生涯じゃれたくないですね」
「安心しろ、俺がじゃれたいのはお前じゃなくて真だ」
「兄が心配なので弟としては反対票を投じたいと思います」
「だったらお前にしようか?」
「天地家にとり憑くのはやめてください!」
誰かお祓いしてくれないかな。
夏緋先輩に相談してみよう。
「無駄な時間を使わせるな。さっさと行くぞ!」
そう言うと再び昇降口へと向かい始めた。
背中にはついて来ないとどうなるか分かっているな? と書いてある。
ああ……また新たなトラウマが僕を待っている。
助けて、夏緋先輩!
「歩くのも面倒臭いなあ」
「文句を言うな。今日はすぐに終わる」
「本当かよ……」
足取りは心底思い。
予定では今頃夏緋先輩と肩を並べて歩いていたはずなのに……。
スタスタと歩いて行く赤い頭が憎い。
僕は赤じゃなくて青が好きなのです。
「会長。僕以外につきあってくれる友達を作った方がいいですよ。無理かもしれないけど」
「お前は本当に一度死にたいらしいな。今日は用事があるから生かしておいてやるが覚えていろ。ほら……もう着く。そこだ」
歩いたのは十分ほどだった。
すぐについたのは良かったが、たった今受けた死の宣告でそれどころじゃない。
震える僕に構わず、会長が指差した先にはクリーム色の可愛らしい佇まいをした店があった。
「ケーキ屋さん?」
店の前まで行くと、店内には女性の姿がたくさんあった。
男子の僕には中々敷居の高い店だ。
本当にここなのか? 正気なのか? と疑いの目を会長に向けた。
「女子が真に雑誌を見せていてな。その時にここのケーキが美味そうだと言っていた」
「ふーん」
兄は甘党ではないから、社交辞令で言っただけでは?
というか、会長はその会話に加わっていたとは考えにくい。
兄と女子の会話を盗み聞いていたのか?
なんだろう、この寒気は。
「なんだそのツラは」
口に出来ませんが、あなたに引いていました。
「兄はケーキだったら自分で作ると思いますけど?」
「ああ、そういうケーキを作ってみたいとも言っていたな」
「作って春兄に食べさせるんだろうな。……あ」
会長に春兄の話題を出すと当たり前だが機嫌が悪くなる。
ごめんなさい、うっかりのフリをしてわざと言いました。
「ケーキ屋はやめだ」
「そうですか! お疲れ様でしたー」
「まだだ」
ええええ、ぬか喜びさせるなよ!
ケーキ屋に行かないならもう解放して欲しい!
「もういいでしょ! 僕は夏緋先輩のところに行きます!」
「夏緋夏緋と煩い奴だな。お前らは毎日顔を合わせて散々ベタベタしているだろう!」
「大きい声で言うな-!」
相変わらずデリカシーがない。
もう嫌だ……夏緋先輩はどうしてこの人の弟なのだ!
「目的地を失ってしまったな。おい、真関連でいいところはないか」
「自分で調べてくださいよ。夏緋先輩と帰りたかったのに……」
「帰る、か。いいだろう。せっかく来たのだ。真に渡すのはやめるが買って帰ろう」
「!! お疲れ様でした!」
「何言ってんだ。お前も来るんだよ」
「ええええええ」
お疲れ様TAKE2も駄目でした。
何回ぬか喜びさせるのだ!
そして既に女子が溢れている店内に突撃している会長。
ああ……もう!
「はあああ……」
結局青桐家までやって来てしまった。
夏緋先輩には会長が連絡をしてくれたが、余計なことを言っていないだろうか。
そもそも約束していたのに一緒に帰れなくて怒っていないか不安だ。
青桐家は十階建てのマンションの中にある。
高層マンションではないが外観もお洒落で高級、セレブの匂いがする。
そのマンションの最上階、ワンフロアが青桐家だ。
本物のセレブでした。
厳しいと噂のお母さんが貿易関係の会社で社長をしているらしい。
今はリビングのいかにも高そうな革張りのソファに座っている。
ソファの前に置かれているセンターテーブルもどこかのブランド物なのだろう。
リビングの広さも僕の家の倍以上だ。
綺麗過ぎて逆に落ち着かない。
それに……。
「どうして会長とケーキを食べなければいけなのだ……」
買う時も店内にいた女子に騒がれて大変だった。
注文を聞くお姉さんも緊張で顔を真っ赤にしながら震えていた。
店を出た後、『あの店員は熱があったようだが風邪か? 飲食店に務めているものが風邪をひいているのならマスクをつけた方がいい』なんて言っていた。
突っ込む気も起きない僕の代わりに誰か『お前のせいだよ!』と言ってくれないかな。
「それも美味そうだな。寄越せ」
それぞれ好きなものを買ったのだが、会長はメロンとフルーツのプレミアムケーキとかいう一番高いのを買っていた。
僕はよくあるティラミスだ。
「どうぞ」
自分のケーキをたいらげてから人の物を欲しがるとはなんて奴だ、と思いながら皿を差し出したのだが……。
「何ですか?」
会長が口を開けて待っている。
ええー……食べさせろと?
こういうのは兄に求めて欲しい。
春兄に阻止されるだろうけど。
「さっさとしろ」
「はいはい」
このままフォークで喉を刺してやろうか。
そんなことを考えながら会長の口にケーキを放り込んでいると勢いよくリビングの扉が開いた。
「天地!」
「夏緋先輩! おかえりなさい!」
高そうな扉が壊れてしまわないか心配してしまったが、夏緋先輩の顔を見るとそんなことも全て吹き飛んだ。
会いたかったです……!
会長がいなかったら飛びつきたかった。
走って帰って来たのか髪が乱れている。
僕がここにいると聞いて急いでくれたのかな……って凄く顔を顰めている。
怒っている?
「お前は何をしてるんだ?」
「え? 僕?」
目は明らかに会長ではなく僕を見ている。
何もしていないけど……しいて言うなら。
「餌やり」
甘党ゴリラに糖分を摂取させているところでした……って痛!
何かと思ったら会長に蹴られた。
痛いんですけど!
「夏緋、こいつの躾けがなってないぞ」
「躾けってなんだ!」
僕は犬か!
ゴリラに言われたくない!
会長は放って置いて夏緋先輩のところに行こうと立ち上がったのだが……。
「夏緋先輩?」
今日は機嫌が悪いのかまだ怖い顔をしている。
そんな夏緋先輩を見て会長はニヤニヤと腹の立つ笑みを浮かべている。
「お前の分のケーキも買ってきてやったぞ。ありがたく思え」
「いらない」
「選んだのは央だぞ?」
「……」
スタスタと近寄ってくるとケーキの箱を手に持った。
どうやら食べてくれるらしい。
「オレの部屋に行くぞ」
僕に向けてそう言うと会長を見ずに出て行った。
僕はその背中を慌てて追いかけた。
「ったく、兄貴には気をつけろよ?」
夏緋先輩は部屋に入ると鞄をベッドに放り投げ、ケーキは机に置くと椅子に長い足を組んで座った。
僕は……床に正座だ。
そうしろと言われたわけじゃないが、空気が僕をそうさせるのだ。
「気のつけようがないんだってば。みつかったら終わりっていうか。今日も不可抗力だし」
「みつからないように動け」
「ええー……」
常に会長を気にして忍びながら学校生活を送るなんて嫌だ。
こうなったら最後の手段、兄から注意して貰おうかな。
「はあ……食うか」
ケーキを手にした夏緋先輩が僕の前にドカッと座った。
機嫌悪いスイッチも漸くオフになったようで、普段の感じでケーキの箱を開けた。
僕が選んだものだから、気に入って貰えるか緊張する。
「あまり甘くない方が好きかなって」
完全に開ける前に気に入って貰えなかった場合の言い訳をしておいた。
選んだのはブルーベリーマーブルチーズケーキだ。
チョコはあまり食べないし、クリームも多いのは嫌だと言っていた。
消去法でチーズケーキの中から美味しそうなのを取ったのだが……。
「そうだな。美味そうだ」
良かった!
夏緋先輩はハッキリ言うタイプだから、本当にそう思ってくれたのだろう。
嬉しくてニヤニヤしていると、夏緋先輩がケーキを取り出して僕に渡してくた。
「ほら」
「?」
「兄貴にやったんだ。オレにもするべきだろう」
「!?」
それは……食べさせろってこと?
『べき』って、義務のような言い方をされても困る。
「フォークとかないんですけど!」
「そのままでいい」
「ええー……」
会長の場合は『餌やり』だからなんとも思わなかったけど……夏緋先輩にするのは恥ずかしいな。
でも、やらないと言ったら絶対にキレる。
それだけは分かる。
早々に諦めて、ケーキを一囓り出来る分包みを剥がし、夏緋先輩の口へと運んだ。
何プレイだよ、これ……そうか羞恥プレイか……。
「美味いな」
夏緋先輩が満足そうに笑っている。
それを見ると余計に恥ずかしくなってきた。
「手についたし!」
汚れたと抗議をすることで照れを誤魔化したのだが……。
「舐めてやろうか」
「いいです!」
更に照れさせられるという墓穴を掘ることになってしまった。
「はっ! ベタベタしやがって」
「!?」
扉を見ると会長がニヤニヤと腹の立つ笑みを浮かべて立っていた。
「会長! 勝手に覗くな!」
またやりやがったな!
扉を閉めようと立ち上がった僕の腕を夏緋先輩が掴み、引き留めた。
どうして止めるんだ!
やっぱりこいつは闇に葬らなければならない!
「悪いな、一人者の兄貴の前でじゃれて」
「えっ」
会長に向けて何を言い出すのだと赤くなったが、夏緋先輩の顔を見て意図を悟った。
そういうことか……了解しました。
『会長弄り』は割と得意です。
「そうですね。一人者で友達もいないボッチの権化のような会長の前で仲良くするなんて配慮が足りませんでした。ごめんなさい」
「兄貴は可哀想だな」
「可哀想」
夏緋先輩と二人で、憐れむ視線を会長に送った。
あなたは本当に可哀想な人です。
兄も心変わりすることはないでしょう。
さあ、会長はどんな反応をするのかと待った。
「……お前ら、殺すぞ」
「!」
静かに呟いた会長から殺気が漂い始めた。
目が笑っていない。
弄りすぎたかも!?
本当に殺されるかもしれないと思ったら……夏緋先輩がスッと立ち上がり、扉の方へ足を向けた。
「……」
「……」
拳を振り上げる五秒前な会長と、背中しか見えないが恐らく無表情の夏緋先輩が向き合っている。
どうなるの!?
緊張で心臓がバクバクと激しく波打っている。
冷や汗を流しながら見守っていると夏緋先輩が動いた。
――パタンッ ガチャ
「あ」
何をするのかと思ったら……扉を閉めて鍵をかけた。
閉まる瞬間会長の驚いた顔が見えた。
「よし」
『よし』って……。
呆気にとられながら夏緋先輩を見ていると、戻って来て同じ位置に座った。
「夏緋ィィィィィ!!!!」
「ひいっ」
会長の本気の怒声が響き、僕は縮みあがった。
蹴りを入れたのか、激しい打撃音と共に扉がミシミシと軋み、更に怖くなった。
「夏緋先輩! あれ、やばくないですか!?」
「そうか? 兄貴! 近所迷惑だぞ」
夏緋先輩は慣れているのかまったく動じていない。
それを見ると少し安心したけど……。
「お前! あとで覚えていろよ!」
扉を開けるつもりはないと分かっているのか、恐ろしい言葉を吐くと会長は去って行った。
これで僕と夏緋先輩は揃って会長から死の宣告を受けてしまった。
わーい、一緒に死ねる……ってふざけている場合じゃない!
「大丈夫なんですか!? あとでぶっ飛ばされません!?」
「さあな。まあ、大丈夫だ」
本当かな?
僕が帰ったあと夏緋先輩が一人になったらボコボコにされないか心配だ。
……なんて思っていたら、夏緋先輩が小さく震えていることに気がついた。
ええ!?
本当は強がっていて、怖かったのだろうか。
「ふ……ははっ……はは!」
「……」
夏緋先輩の顔を覗くと不気味に笑っていた。
一応笑いを押し殺しているつもりのようだがダダ漏れ。
面白くて仕方ない、ザマア! そんな感じだ。
兄への不満が相当溜まっていたんだな……。
「初めて兄貴に快勝した気がする。お前のおかげだな」
そう言うと頭を撫でてくれた。
褒められたのは嬉しいけれど、素直に喜べないこの感じ……。
「さあ、残りも食わせてくれ」
「自分でどうぞ」
食べかけのケーキを手渡そうとしたのだが、口を開けて待っている。
それ、可哀想なお兄さんと一緒ですよ。
そして言い出したら聞かないのも一緒なのだ。
諦めの溜息をつきながら再びケーキを夏緋先輩の口に運んだのだが、さっきのように上手く出来なかった。
「あ、ごめん。口の端についた」
「ん」
夏緋先輩が謎の声と共に顔をこちらに向けた。
何? 取れということか?
近くにあったティッシュを取り、顔に手を伸ばしたのだが……何故かそっぽを向かれた。
わけが分からないんですけど!
「違うだろ」
「はい?」
「手でとるんじゃない」
「じゃあどこで……ってしませんよ!?」
言いたいことは分かったが、そんなこと出来るわけがない。
ただ食べさせるだけでも恥ずかしくて叫び出したくくらいなのに!
「しなきゃオレはずっとこのままでみっともないぞ? お前はオレに恥をかかせるのか? いや、待て。兄貴を呼んで来て見せつけよう」
「絶対嫌!」
会長がケーキを買ったからこんなことになってしまったのだ。
やっぱり会長は鬼門だ。
今度はトラウマではないけれど、ケーキを見ると叫びたくなるという特性を獲てしまった。
 




