番外編 天地真
朝目が覚め、二階から下に降りると母さんがバタバタと動きまわっていた。
大きなトランクに荷物を詰め混んでいる。
どうやら出張のようだ。
「真、おはよう! あのね……」
オレの姿を見ると、申し訳なさそうに近寄ってきた。
「お父さんとお母さん、今日から仕事で遠くに行かなきゃいけないの。三泊四日になるわ。丸二日は家を空けちゃうんだけど……大丈夫かな?」
父と母は同じ会社に勤めている。
今までも一晩帰って来なかったことは沢山あったが、三泊もするのは初めてだ。
でもオレはもう六年生で来年中学生だし、きっと大丈夫だ。
央ももう四年生だし、オレがいれば平気だと思う。
「うん。大丈夫」
大きく頷き、笑ってみせると頭を撫でられた。
安心したようだがやはり申し訳なさそうな表情だ。
「今日の夜はカレーを作っておいたからそれを食べて。明日と明後日は春樹君のお母さんが来てくれるからね。隣の奥さんにも頼んでいるから大丈夫だと思うけど……。真、央のことお願いね」
「うん、分かってる」
それから残っている荷造りを手伝い、空港で待っているという父の元へ向かう母を見送った。
「さあ、央を起こして学校に行く準備をしなきゃ」
母さんが乗っているタクシーが見えなくなると気合いを入れた。
弟は母さん達が出張だと伝えると、きっと『また!?』と文句を言うだろう。
いや、ゲームがいっぱい出来ると喜ぶかな。
昨日もゲームをするために隠れて夜更かしをしていた。
目が悪くなるし、眠いと言って中々起きないし、ゲームは没収した方がいいかもしれない。
※※※
何事も無くいつも通りに小学校に登校し、帰って来た。
二人で塾に行き、戻ってくるとお腹が空いた。
夕食の時間には少し早かったけれど、母さんが作ってくれていたカレーを暖めて食べた。
「ごちそうさま! お腹いっぱい! よし、ゲームしようっと」
「央、ちゃんと食器は片付けて。ゲームしていいのは三十分だけだからね」
「ええ!? そんなの一瞬じゃん!」
「ゲームするために夜更かしして、朝一人で起きられないのは誰だっけ?」
「……はい」
気まずそうに小さく手を上げ、静かに食器を運び始めた姿を見ていると可笑しくなった。
今朝は起こすのに苦労したんだから。
「さあ、洗い物をしよう」
食器洗浄機は母さんが使わないから、オレも手で洗うようにしている。
スポンジを手に取り、二人分の食器を洗い始めた。
残ったカレーは明日食べたらいいかなと思ったけど、春樹のお母さんが用意してくれると言っていたから冷凍しておこう。
すぐには腐ることはないけれど、美味しかったから早く保存したい。
「美味しかったけど……人参が入っていなかったな」
冷蔵庫には人参があったから入れ忘れたのだと思う。
母さんはうっかりしている時があるから、今も出張先でなにか失敗していないか心配だ。
心配といえば……。
「央。玄関の鍵、かけたよね」
「かけたよ。兄ちゃん、さっきも確認してたじゃん」
「うん……そうだよね」
帰ってきてから戸締まりはちゃんとした。
玄関は勿論、トイレの窓も閉めた。
なのについ心配になってしまう。
泥棒が来たらどうしよう。
知らない人が入ってきたらどうしよう。
もし何かあったら、央にはトイレに隠れて貰って……いや、外に出て助けを呼んで貰った方がいいのかな。
でも外は暗いから危ないし……。
「兄ちゃん! 一緒にゲームしようよ!」
「しないよ。オレは片付けをしなきゃ。央は宿題やったのか?」
「やったよ! 偉いでしょ!」
「偉いね」
急に心細くなってしまったけど……駄目だな、しっかりしないと。
鍵はしているから怖くない。
何かあっても大きな声を出したらお隣に聞こえるから大丈夫だ。
早く食器を片付けてお風呂に入ろう。
「あ、電話」
スポンジに洗剤をつけ直していると家の電話が鳴った。
「央、今手が濡れているから出てくれる?」
「うえー? はーい」
リビングのソファに寝転がってゲームをしていた央が面倒臭そうに電話をとった。
「母さん? うん。大丈夫」
洗い物をしながら央の声に耳を傾けた。
電話は母さんからだったようだ。
「今日は僕、給食当番だったんだ。運んでるときに階段で転びそうになってさ。うん、大丈夫だったけど」
学校での出来事を嬉しそうに報告している。
嬉しそうに話している声を聞くと、まだ一日目なのに寂しかったのかなと思った。
そういえば央は朝、母さんと顔を合わせていなかったな。
「カレー美味しかったよ。あ、人参なかった! うん、本当。忘れたでしょ?」
人参のことを話している。
それはオレが話たかったな……少し残念だ。
「僕も旅行したい。父さんと母さんばっかりずるい! え? でも飛行機乗ったんでしょ? いいなあ」
話はカレーからもう変わったようだ。
弟の話は尽きないようで、オレが洗い物をしている間ずっと話していた。
電話を切るタイミングを与えないような語りで『凄いな』と笑ってしまった。
……平気そうにしているけれど、やっぱり央も心細いんだろうな。
「兄ちゃん! 母さんが呼んでる」
「! うん!」
洗い物は終わったがまだ手が濡れている。
慌てて拭き、受話器を受け取った。
「もしもし?」
『真? 大丈夫? 困ったことはない?』
「大丈夫だよ」
『よかった。央のこと、お願いね』
「うん、分かってる」
『じゃあ、何かあったら電話してね』
「あっ……」
もう切ってしまうのだろうか。
オレも話をしたいことがあった……大した話じゃないけど。
でも、母さんも仕事で疲れているかもしれない。
あまり長引かせたら悪いかな。
『ん? どうしたの?』
「なんでもないよ。じゃあね、おやすみ。父さんにもおやすみ言っておいてね」
『分かったわ、おやすみ』
父さんとも少し話したかったな。
でも電話口に出て来なかったということはまだ仕事で、母さんと一緒にいなかったのかもしれない。
そうだとしたら『仕事頑張って』の方がよかったなあ。
「ああ! 僕、おやすみ言い忘れた!」
「あ、ごめん。最後に代わればよかったね」
「大丈夫! テレパシーで送っておくから!」
目を瞑ってそれらしい仕草をしているけど、央にはそんな能力があったんだ?
オレの分の『父さんにおやすみ』も送って貰おうかな。
「ははっ、送り終わったらお風呂に入ってね」
「兄ちゃん、一緒に入ろうよ」
「ええー……」
弟はお風呂で騒ぐから一緒に入るとゆっくり出来ない。
お風呂は一人が好きなんだけど……今日は一人になるのも央を一人にするのも心配だし、いいか。
「ご近所迷惑になるから歌っちゃだめだよ」
「一曲だけ!」
「だめ」
「じゃあ、歌わなくて歌詞を喋る」
「……それは楽しいの?」
歌うなと言われて肩を落としながらお風呂に向かう弟の後ろを、笑いながらついて行った。
※※※
父さんと母さんが留守の二日目。
春樹と春樹のお母さんが来てくれた。
春樹のお母さんは長い黒髪が綺麗な美人で優しい。
『おばさんでいいのよ?』と言われているからそう呼んでいるけれど、お姉さんと呼ぶ方が合っている。
おばさんは両手に大きな買い物袋を持って来た。
夕飯の材料とお菓子やジュースが入っているのが見える。
今日はハンバーグかな?
「真、お菓子食おうぜ。央も好きなものを取れよ?」
春樹がおばさんから買い物袋のひとつを取り上げ、お菓子をテーブルに並べ始めた。
わあ、オレの好きなものばかりだ。
「わーい、春兄ありがとう! んじゃあこれ!」
「それは真のだ!」
央が選んだのは最近春樹とよく一緒に食べていたチョコだった。
嬉しそうに手に取ったが、すぐに春樹に奪い返されてしまった。
手には何も無くなってしまった央が、オレに救いの眼差しを向けている。
あはは、どうしても食べたいんだね。
「兄ちゃん、貰っちゃだめ?」
「いいよ」
「いいのか?」
春樹が不機嫌そうな顔になった。
春樹だけは何でもオレを優先してくれる。
オレがいつも我慢していると思っているようだ。
そうでもないんだけどね?
「他のお菓子もオレの好きなものばかりだから」
「! そうだろ? 俺が選んだからな! って央、勝手に取るな!」
「だって兄ちゃんがいいって言ったもーん」
春樹の手からチョコを奪い返し、すぐに封を開けてしまった。
ちゃんとおばさんにもお礼を言ってからにしなさいと叱ると、立ち上がって綺麗なお辞儀をしていた。
そこまでしなくても……。
おばさんも笑っている。
「優しいお兄ちゃんでいいわね、央君」
「うん!」
力一杯そう返事してくれるのは嬉しいけど、チョコが落ちそうだからちゃんと座って食べなさい。
「キッチンも綺麗ね。洗濯物もちゃんと干していたし。全部真君がしたの?」
「央と一緒にしました」
「僕は兄ちゃんを応援する係!」
「あら、そうなの」
またおばさんが笑っている。
央は何故か得意げにしているけど、応援する係はあまり偉くはないと思うよ?
「お前、手伝ってないんだろ?」
「手伝ったし!」
「自分の分はちゃんと自分で出来たよね。お風呂掃除とかもしてくれたし」
「うん!」
今は二人だけだから洗濯物もあまりないし、央が自分の分をしてくれたらあとはちょっとした片付けをするだけだ。
央だって頑張っている。
フォローをすると春樹が『疑って悪かった。偉いぞ』と央の頭をガシガシと撫でた。
央は春樹が大好きだから嬉しそうだ。
「本当に真君はしっかりしているわね。春樹と一ヶ月くらい代わってくれないかしら」
「俺だってしっかりしているだろ」
「あんたは外で遊んでばかりでしょ」
「……」
春樹達の会話は続いているが、おばさんの何気ない呟きが妙に耳に残った。
オレと春樹が代わる?
……それより央と春樹が代わったら…………春樹と兄弟になれたら、オレも央みたいに出来るのだろうか。
「絶対だめ!」
「!」
央の大きな声を聞いてハッとした。
オレは今、何を考えていた?
「春兄は好きだけど兄ちゃんが一番好きだもん! おばさんとこにはあげないから!」
気付けば央に腕を掴まれていた。
春樹と代わるというのは冗談だと分かっているみたいだけど、それでも流せなかったのかおばさんに『駄目だよ!』と念を押している。
「そうだね。オレも央といたいな」
央は手がかかる時があるけど、一緒にいると楽しくなる可愛い弟だ。
そんな自慢の弟に慕って貰えて嬉しい。
少しだけれど、春樹と代わって欲しいと思ってしまってごめん。
「春兄だったらゲームしていたら怒られそうだし!」
「あのなあ……」
可愛いと思ったのが間違いだったか?
オレは央に甘すぎるのかな。
「あ、電話」
心の中で反省をしていると電話が鳴った。
通話ボタンを押すと、聞こえてきたのは母さんの声だった。
『真? おかえり。央もちゃんと学校から帰ってる?』
「うん、いるよ。今、春樹とおばさんが来てくれてる」
「僕も代わって-!」
母さんからの電話だと悟った央の叫び声が電話の向こうにも届いたようで母さんが笑った。
すぐに電話を渡すと昨日のように今日の出来事を報告し始めた。
「まったく、ガキだな」
「オレ達もそんなに代わらないだろ」
央を見ながら春樹も笑った。
「兄ちゃん! 母さんがお土産とは別に欲しいものはないか、って! 留守番頑張っているからご褒美くれるらしいよ! 何にする!?」
「え? ご褒美?」
ご褒美……欲しい物、か。
一瞬頭をよぎった物があったけれど……。
「オレはいらないから、央は央の欲しいものを言えばいいよ」
「えー!? せっかくのチャンスなのに!」
「特にないから。早く帰って来てって言っておいて」
「うん……」
不満げにこちらを見ながら、オレの言葉を母さんに伝えている。
母さんに遠慮するなと言われそうだけど先週も本を買って貰ったし、大丈夫だ。
「僕はどうしようかな……うーん……あ!」
一人だと頼みづらいのか、オレを見ながら顔を顰めていた央だったが思い当たる物があったようだ。
「僕はねー、春兄が持っているバスケットボール! 同じやつがいい!」
「!」
それは『ご褒美』と言われ、オレの頭をよぎった物と同じだった。
今まではサッカーばかりだったけれど、最近春樹はバスケットをするようになった。
学校から帰ると、よく買って貰ったばかりのバスケットボールでシュートの練習をしている。
一緒に出来るようにオレも欲しいと思っていたけど、央も同じことを思っていたようだ。
央が使わないときに貸して貰おう。
母さんとの電話が終わると、春樹と央の三人で外に出た。
おばさんがご飯を作ってくれている間、近くの公園で遊ぶことにしたのだ。
この公園の中にはポツンと古びたバスケットゴールが置かれている。
子供用なのか小さく、大人なら普通に手が届きそうだ。
細いポール一本の先にゴールがついているだけの頼りないもので、ダンクシュートをすれば倒れてしまうだろう。
地面はコンクリートだけれど凸凹があるし、バスケットをする環境としてはあまりよくないこの場所が春樹の練習場だ。
今日も央が欲しがったバスケットボールを持って来ていた。
「真、見ていてくれ」
春樹がドリブルをしながら駆け出し、綺麗にシュートを決めた。
こんな場所には似合わない見事な動きで見惚れてしまった。
「見たか?」
「うん。凄いね春樹、格好良かったよ」
「そ、そうか。……やっぱりバスケだな」
照れているのか、得意げにしていた顔が緩んだ。
サッカーは春樹と競い合ったけど、バスケは全然敵わないだろうな。
「バスケなら真にも負ける気がしねえ」
「そう言われると挑戦したくなるな」
「駄目だ、お前は絶対やるなよ!」
「なんでだよ」
「お前が敵じゃ本気を出せないんだよ」
「どういう意味だ?」
この話題は度々出てきて、いつも喧嘩になりそうになる。
サッカーでも同じチームでプレイしているときは普通なのに、何故かオレが敵に回ると本気を出していなかった。
オレからボールを取れるはずなのにしない。
他の人に回ると全力で突っ込んで行く。
昔は違ったのに……。
「サッカーでも手を抜いたよね。あれ、凄く腹が立つんだけど」
「お前に怪我させるわけにはいかないだろ」
「怪我なんていつものことじゃないか」
「俺が怪我させるのは嫌なんだよ」
「はあ?」
すっきりしないまま終わるのもいつものことだ。
春樹と本気で戦うのはもう無理だと諦めた方がいいのかもしれない。
「同じ土俵じゃ戦ってくれないのは分かったよ。もういい」
「怒るなって」
「……一緒に練習したかったな」
「!」
夢中になって競っていたころが一番楽しかったのに。
「れ、練習は一緒にしてもいいけどさ。俺も一緒がいいし」
「春兄、ボールかして!」
央が何かごにょごにょと言っている春樹からボールを奪い、駆けて行った。
「兄ちゃん! 僕も見て-! とぅ!」
これは……さっきの春樹の真似かな。
全然違うけど。
「央、それはただ持って運んで投げただけだ」
「盛大なトラベリングだな」
「えー? 細かいこと言うなよー」
「細かいことって……ルールだからな。真!」
春樹がボールを拾うと、オレにパスをしてきた。
「ほら。一緒に練習、だろ?」
「……うん」
競うことが出来なくても、教わりながら一緒に出来たら楽しいだろな。
そう思うと、ご褒美でバスケットボールを言わなかったことは失敗だったかもしれない。
ずっと央のボールを借りるわけにもいかないし。
「真? どうした?」
「ん? ああ、ごめん。なんでもない」
そんなことを考えながらボールを見ていると春樹が顔を覗き込んできた。
「……」
「なんでもないよ、オレも何か新しいことを始めようかな」
中学に入ったら、春樹と違うことを始めるのもいいかもしれない。
※※※
留守番四日目の夕方、父さんと母さんが帰ってきた。
家を出た時よりも荷物が増えていて、お土産がたくさんだ。
「母さん! ボールは!?」
お土産を広げ始めていた父さんを無視して央がボールを催促した。
父さんが可哀想だ。
あのお土産、央が好きそうだと思って買ったのだろうな。
「ほら、真もおいで」
父さんが広げているお土産を見に行こうとしていると母さんに呼び止められた。
オレが来るのが分かったから笑顔になった父さんが、また暗い顔になっているけどいいの?
というか、オレはいらないと言ったはずだけど……。
「はい、受け取ってね」
「え? わっ!」
何かを投げられ、とっさに受け取ったけど……結構重くて……丸い?
これは……。
「夕べ櫻井さんから電話があってね。春樹君が『真の分も忘れないで』って。一緒に練習する約束したんでしょ?」
それは春樹と同じバスケットボールだった。
春樹め、またオレが我慢していると思って余計な気を利かせたんだろうな。
……でも嬉しい。
「真にはこれを買っていたんだけど……春樹君の方が真については詳しかったみたいね」
オレの顔を見てそう零した母が、なにか四角い箱を渡してきた。
それは先週買って貰った本に出てきた古城の写真が使われた千ピースのパズルだった。
パズルも写真も最近オレが大好きになったものだ。
……母さんもオレが嬉しい物を選んでくれた!
「ああああ! 兄ちゃんだけご褒美二個! ずる~!!」
「あんたはお土産のお菓子を殆ど食べちゃうでしょ」
央が抗議をしながら駆け寄ってきたが、母さんにうるさいと叱られてしまった。
ご褒美が少なかった上に叱られて可哀想だな。
「パズル一緒にする?」
「めんどくさいから嫌だ」
どうやら拗ねてしまったようだ。
お菓子を食べたらすぐに機嫌は直るはずだから、父さんが広げているお菓子を口に放り込んでやろうと思う。
「明日、春樹を誘って三人でシュートの練習をしようか」
「うん!」
お菓子を食べなくても機嫌は一瞬で直ったようだ。
やっぱり弟は可愛くて面白い央がいい。
活動報告に書影を載せましたので、興味がありましたら是非覗いてみてください!




