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第4話 帰り道について(後編)

これは、異世界に呼ばれた高校生が、もらいすぎた力で水を通し、飯を作る話です。


主人公は強いです。たぶん、作中の誰よりも。けれど彼が三万人の前に立って最初に言うのは、救えるかはわからない、でも飯なら作れる、という一言だけでした……


おはようございます。

本日も2時間おきに投稿したいと思います。

よろしくお願いします。


 老人は振り返った。皺の奥の目が、まっすぐに碧を見ていた。

「記録には、ござらぬ」

「ない」

「十七人の召喚者について、我らが残した記録には、帰還を果たした者が一人もおらぬ。方法が試されなかったのではない。試した記録すら残っておらぬのでござる」

 碧は、頷いた。

 胃の底が冷たくなるのを感じながら、それでも自分の声が平坦に出たことに、少しだけ安堵した。

 予想していなかったわけではない。むしろ昨日の時点で、この答えが返ってくる可能性のほうを高く見積もっていた。千年ぶんの記録に帰還者が一人でも載っていたなら、この人たちは昨日のうちに嬉しそうにその話をしていたはずだ。

 それでも、言葉にして突きつけられるのは別のことだった。

 父の包丁の音が、遠くなった気がした。

「十七人」

「……ああ」

 セルヴァンが、目を伏せた。

「昨日、口を滑らせましたな」

「はい」

「隠すつもりはござらぬ。ただ、順序というものがある」

 老人は近くの書架から一冊を抜き、埃を払って碧に差し出した。

「これが最も古い召喚の記録でござる。千年前。そして、これが最も新しいもの」

 差し出されたもう一冊は、明らかに新しかった。革の色が濃く、傷みが少ない。

「五百年前。十七人目にして、直近の召喚者でござる」

「五百年」

「左様。それ以来、儀は成功しておりませなんだ」

 碧は新しいほうの冊子を開いた。

 書かれていたのは、淡々とした記録だった。召喚された者の推定年齢、選ばれた三つの祝福、最初の三年間の戦果。そこまでは読める。

 問題は、その先だった。

 ある頁を境に、筆跡が変わっていた。そして内容が、急に曖昧になる。「その後の消息については神殿の関知するところではない」という一文が何度も繰り返され、日付だけが飛んでいく。

 最後の頁には、こう書かれていた。

 ――以後、召喚を禁ず。

 その下に、消された跡があった。何かが書かれ、削り取られ、上から別の文字で塗り潰されている。

 碧は頁を光にかざした。

 塗り潰しの下から、一箇所だけ形が浮かんで見えた。削りが浅かったのか、あるいは削った者の手が途中で止まったのか。

 数字だった。

 ――十七。

 それだけだった。前にも後ろにも文字はない。何を十七と数えたのかは、削られている。

「これ、何の数字ですか」

「……わかりませぬ」

 セルヴァンは、今度は本当に困った顔をしていた。

「召喚者の人数でございましょうか。それとも年数か、あるいは別の何かか」

 碧はその頁を閉じた。

 復元できるかもしれない、とは思った。燃やされた紙を戻せるなら、削られた文字も戻せるだろう。

 ただ、そのときの碧はまだ、自分にその力があることを試していなかった。

 嘘をついている口調ではなかった。

「我が師も、その師も、この頁については何も語らなんだ。語らぬと決めたのではなく、知らなんだのでござろう」

 碧は冊子を閉じ、その重さを両手で確かめた。

 五百年ぶん埃をかぶっていたにしては、革の傷みが少なすぎる。誰かが定期的に手入れをしていたということだ。読まないと決めた記録を、それでも保存し続けてきた人間が、この神殿には何代も続いていたことになる。

 わかったことが二つある。帰る方法は誰も知らない。そして、この神殿は自分たちで書いた記録の一部を、意図的に潰している。

 焦る必要はない、と自分に言い聞かせた。材料は揃っていない。揃っていないうちに火を入れると、必ず焦げる。


 記録庫を出て回廊を歩いていると、柱の影から声がした。

「アオイ」

 エルフィリアだった。

 今日は昨日より衣の裾が短い。というより、常識的な長さになっていた。床を引きずらない程度に調整したらしく、本人は妙に満足そうにしている。

「歩きやすくしてみました。どうですか」

「動きやすそうでいいと思います」

「……それだけですか」

「あと、似合ってます」

 エルフィリアの耳が、瞬時に赤くなった。

 この人はどうやら、褒められることに対する耐性が絶望的にないらしい。千年ぶんの孤独というのは、こういう形で表に出るのかと碧は思った。

 二人は柱廊の縁に並んで腰を下ろした。眼下に王都が広がっている。

「記録庫へ行かれたと聞きました」

「はい。帰る方法を聞きました。記録にはないそうです」

「あります」

 碧は、隣を見た。

 エルフィリアは王都を見下ろしたまま、はっきりとそう言った。

「え」

「帰る方法は、あります。わたしにはできます」

 碧の中で、何かが一気にほどけた。

 自分がどれだけ緊張していたのか、ほどけてから初めてわかった。指先が震えているのに気づいて、碧は膝の上でそれを握り込んだ。

「……本当に」

「はい。ただし、いまはできません」

「条件があるんですね」

「あります」

 エルフィリアは膝を抱え、そこに顎を乗せた。神様のする格好ではなかった。

「わたしがいま持っている力は、あなたに渡した分だけ薄くなっています。世界と世界のあいだに道をつけるには、いまのわたしでは足りません」

「俺が返せばいいんですか」

「返さなくていいです」

 彼女は首を横に振った。

「それに、たぶん返せません。あれは注いだのではなく、繋がったので」

「繋がった」

「はい。いずれ説明します。いまは、力が足りないという部分だけ覚えておいてください」

 碧はしばらく黙り、それから訊いた。

「いつになれば足りますか」

「わかりません」

 正直な答えだった。曖昧に濁されるより、よほど信じられる種類の答えでもあった。

「百年かもしれませんし、明日かもしれません。神の時間の測り方は、人のそれとずいぶん違うので」

「百年は困ります」

「困りますね」

 エルフィリアは真面目な顔で頷いた。冗談のつもりで言ったのに、まったく冗談として処理されていない。

「大丈夫です。困らせません。でも、必ず足ります。だから」

 エルフィリアは顔を上げ、碧のほうを向いた。

「それまで、この世界を見ていてください。つまらなかったら、つまらないと言ってください。わたしが全部作り直しますから」

 柱廊を風が通り抜けて、エルフィリアの銀の髪を持ち上げた。彼女はそれを片手で押さえ、眼下の街を見たまま続きを待っている。

 とんでもないことを言っている自覚が、この人には多分ない。

 碧は苦笑して、眼下の街を指した。

「今朝の豆のスープが、けっこううまかったです」

「……それは」

「だから、いまのところ、つまらなくはないです」

 エルフィリアが、目を細めて笑った。


 その日の夕刻、客間に客が来た。

 宰相ザルドスだった。

「お寛ぎのところ、失礼いたします」

 細い顎に、隙のない笑み。昨日と寸分違わぬ表情を、この男はおそらく何十年も使い回している。

 宰相は招かれてもいないのに椅子の位置を直し、当たり前のようにそこへ座った。動作のひとつひとつに無駄がない。この部屋を訪れるのが初めてではないことが、それだけで知れた。

「明後日、勇者叙任の儀を執り行うことと相成りました」

「叙任」

「はい。王都の大広場にて、陛下より直々に勇者の冠を授かっていただきます。民は既に噂で持ちきりでございまして、光の柱を見た者が数万」

 碧は、湯気の立つ茶を持ったまま動かなかった。

「俺は、受けると言いましたか」

「は」

「昨日、陛下は見てから決めていいと言ってくださいました。俺はまだ何も見ていません」

 ザルドスの笑みが、一ミリも崩れなかった。それがかえって不気味だった。

「ご懸念はごもっともでございます。ですがアオイ殿、民というものは象徴を欲します。光の柱を見てしまった者たちは、それが何であったかを知らねば眠れません」

「不安にさせるのは悪い、と」

「左様でございます。冠は形式にすぎませぬ。義務を課すものではございません」

「義務を課さない冠を、なぜ国が授けるんですか」

 初めて、ザルドスの目がわずかに動いた。

 沈黙が短く落ちた。

「……なるほど。頭の回る御方だ」

 宰相は一礼した。動作は完璧だった。

「ご懸念は陛下にお伝えいたします。ただ、これだけは申し上げておきます。冠を受けずとも、民は貴方を勇者と呼びます。呼ばれ方だけは、誰にも止められませぬ」

 扉が閉まった。

 碧は茶をひとくち飲み、冷めていることに気づいた。

 厄介なのは、あの男が間違ったことを何ひとつ言っていない点だった。正しいことを正しい順序で並べ、こちらが断りにくい位置へ少しずつ押し込んでくる。反論しようとすると、反論している自分のほうが理不尽に見える構造になっている。

 包丁を突きつけてくる相手なら、まだ対処のしようがある。厄介なのは、いつも笑顔で椅子を引いてくる人間のほうだ。

 窓の外では、王都に明かりが灯り始めていた。

 明後日、自分は数万人の前に立つ。断ったとしても、立つことになる。

 碧はそこまで考えて、ふと思い直した。

 立つなら、言いたいことを言えばいい。冠を被せられるのは向こうの都合だが、口を開くかどうかは自分の都合だ。

 同じ頃、城の東棟の一室で。

 第一王女リュシエンヌは、机の上に広げられた報告書を三度読み返していた。

 祝福八つ。測定不能。治癒による古傷の完治。そして、宰相との面会でのやり取りを一言一句書き取った記録。

 彼女は最後の一行に指を置き、そこで長く止めた。

 ――「義務を課さない冠を、なぜ国が授けるのですか」

「……面白い人」

 王女は報告書を閉じ、侍女を呼んだ。

「明後日の式典。わたくしも出ます」


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

次話もお楽しみにしていただけると嬉しいです。

感想やご指摘をいただけると、今後の励みになります。


(更新:毎日8時投稿予定)

隠岐群青

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