第18話 聖剣アウローラ(後編)
剣を持ち替えてみる。角度を変えても、重心は常に手の中に収まったままだった。使う者を選ぶのではなく、使う者に合わせる。そういう作りらしい。
碧は剣を軽く振った。
重心が完璧だった。自分の身体の延長として、何の違和感もなく振れる。
「十七人の誰も抜けなかったのは」
エルフィリアが、静かに言った。
「みなさん、これを武器として抜こうとしたからだと思います」
「じゃあ、俺は」
「あなたは、聞いてから抜きました」
女神は、剣を見上げた。
「順番が違ったんです。それだけで千年変わります」
セルヴァンが、壁に手をついていた。
老人はしばらく何も言わず、それから深く息を吐いた。
「……千年、我らは勇者に武器を持たせようとしてまいりました」
「大神官」
「間違っておったのかもしれませぬ。あるいは、ずっと聞けばよかっただけなのかもしれませぬ」
老人は顔を上げた。その目は、十日前に水晶が砕けたときと同じ、理解が追いつかない者の目だった。
宝物庫を出る直前、セルヴァンが碧を呼び止めた。
「アオイ殿。もうひとつ、お伝えせねばならぬことがございます」
老人は懐から、薄い木片を取り出した。
紙ではない。板に直接文字を彫り込んだものだった。摩耗がひどく、何度も持ち歩かれた跡がある。
「神殿に伝わる最古の記録でございます。召喚の儀そのものより古い」
「どのくらい古いんですか」
「千年より前としか申せませぬ。我らはこれを、預言と呼んでおります」
セルヴァンは木片を光にかざした。
言語理解の祝福が、その文字を勝手に読み取った。
――終わりに先立ち、十七の災いが地を歩む。
――それらは人の形をし、人の言葉を解し、人を殺さぬ。
――ただ、待っている。
碧は、その三行を二度読んだ。
「待っている、というのは」
「わかりませぬ」
老人は首を振った。
「この預言は千年、一度も当たっておりませぬ。十七の災いなど、現れたことがない」
「災いって、魔王じゃないんですか」
「魔王は一人でございます。十七ではございませぬ」
碧は、さっき聞いた声のことを考えた。
聖剣を抜いたとき、十七人ぶんの何かが流れ込んできた。
「大神官。歴代の召喚者は、十七人でしたね」
「左様でございます」
セルヴァンは、碧が何を考えたかを正確に察した顔をした。そして、はっきりと否定した。
「ですが、無関係でございます」
「なぜ言い切れますか」
「記録がございます」
老人は木片をしまった。
「十七名の召喚者は、全員が死亡と記されております。一名たりとも例外はございませぬ。死んだ者が地を歩くことはございますまい」
「その記録、確かですか」
「……千年、そう伝えられてまいりました」
言い方が、わずかに弱かった。
碧はそれ以上訊かなかった。玉ねぎと同じだ。今日刻む分だけを刻めばいい。
「その木片、写しをもらえますか」
「原物をお持ちください」
セルヴァンは即座にそう言った。
「千年、誰もこれを必要としませんでした。貴殿が最初でございます」
宝物庫を出たあと、碧は困ることになった。
王が「何でも持っていけ」と言ったのだ。
「何も持っていかないと答えたので開いたんですが」
「あれは扉との約束であろう。余との約束ではない」
「屁理屈では」
「王の仕事は屁理屈である」
結局、碧は剣一本だけを受け取った。
棚の品については、神殿と王家で管理することになった。セルヴァンが目録を作ると言い出し、ミリアがその補佐に立候補し、二人でその場から動かなくなった。あの二人は今夜じゅう地下にいるだろうと、リュシェが呆れた顔で言った。
なお、ミリアはきっちり出発までに戻ってきた。
その夜、出発の準備が城の中庭で始まった。
松明が焚かれ、荷が積まれ、侍従たちが走り回っている。城の者はほとんど全員が出てきていた。見送りというより、参加したがっているという雰囲気だった。
厨房からは、調理長のハルカスが三日分の保存食を運んできた。頼んでいない量だった。断ろうとすると、老人は「旅先で腹を減らされると寝覚めが悪い」と言って譲らなかった。
碧は車を三台に増やした。一台では足りない。人数が増えすぎていた。
「では、同行者を確認いたします」
ミリアが帳面を広げた。
「アオイ様、女神エルフィリア様、リュシエンヌ殿下、ミュウさん、剣聖ダイン様。以上五名でございます」
「五人か」
「あと、闇将ネフィリア様」
「六人だな」
「それから」
ミリアが顔を上げた。
「カイ様、セン様、トウジ様が同行を志願しておられます」
「あの三人が」
「はい。魔王領の地理に詳しいと」
碧は少し考えて、頷いた。あの三人を城に置いていくほうが、たぶん危ない。
「九人か。車三台でちょうどいいな」
「十人でございます」
「ん」
「わたしの分を、数えておられませんでした。十名でございます」
碧は謝った。
ミリアは満足そうに頷き、それから帳面の隅に自分の名前を書き足した。この少女が自分を同行者として数えるようになったのは、たぶん今日が初めてだった。
その横で、リュシェが荷を点検していた。王女は今日、いつもの緑の衣ではなく、旅装に着替えている。編み上げの靴に、丈の短い外套。王女の恰好ではなかった。
「リュシェ様。それ」
「動きやすくしました。文句がございますか」
王女の口調は挑戦的だったが、手は落ち着きなく襟元を直している。この旅装を選ぶのに何着ためしたのか、碧には想像がついた。
「いえ。似合ってます」
リュシェの手が止まった。
それから、荷を強く締め直した。
「……ありがとうございます」
その様子を、少し離れたところでミュウが見ていた。
少女は自分の服を見下ろし、それから碧を見上げた。
「アオイ様」
「どうした」
「わたしの服は、どうですか」
ミュウが着ているのは、ミリアが見繕った旅用の服だった。丈が合っていて、尻尾を通す穴が後ろに開けてある。
「似合ってる」
「……ほんとうですか」
「本当だ。尻尾の穴、よくできてる」
「そこですか」
ミリアが横から抗議した。
「その穴、わたしが三時間かけて縫ったんですが」
「じゃあ、ミリアもよくやった」
「ついでみたいに言わないでください」
「ついでじゃない。三時間は三時間だ」
「……そこは、認めていただけるのですね」
「縫い物を三時間やれるやつは、うちの店なら即戦力だ」
ミリアが真っ赤になって帳面で顔を隠した。
中庭に、笑い声が起きた。
ミュウが耳まで赤くして碧の後ろに隠れ、ミリアがそれを引きずり出そうとし、リュシェが二人を止めている。少し離れた場所で、ダインが荷の点検をしながら笑っていた。カイとセンとトウジは、その光景をどう扱えばいいのかわからない顔で立ち尽くしている。
碧は、その光景を眺めた。
十日前、この中庭で創造魔法の練習をしていたときは、庭師の老人が一人いただけだった。いまは十人いる。全員が、碧と一緒に魔王城へ行こうとしている。
その十人の内訳を、碧は頭の中で並べてみた。異世界の女神。書類で国を動かし始めた王女。首輪を外したばかりの獣人。宿屋の娘だった記録係。三十年前の傷を抱えた剣聖。八百年生きた闇将。そして、元暗殺者が三人。
まともな組み合わせではない。それでも、この十一日で碧が関わってきた人たちの中で、いちばん自分の意思でここに立っている者ばかりだった。
背後で、衣擦れの音がした。
「アオイ」
エルフィリアだった。
女神は、碧の隣に立って中庭を見渡した。
「増えましたね」
「増えました」
「わたしは、少し妬いています」
あまりにも率直だったので、碧は返事に詰まった。
「……すみません」
「謝らないでください。責めていません」
エルフィリアは首を振った。
「わたしは千年、誰も側にいませんでした。あなたには、十日で十人います。それは、あなたがそういう人だからです」
その言い方には、嫌味の響きがひとつもなかった。
この人はたぶん、嫉妬と祝福を同時に持てる。千年ぶんの孤独を抱えたまま、それでも碧の周りに人が増えていくことを喜んでいる。碧にはそれが、うまく想像できなかった。
女神は、碧を見上げた。
「ですから、妬きます。でも、減らせとは言いません」
「……いいんですか」
「よくありません」
彼女は、きっぱりと言った。
「よくありませんが、わたしが一番だと、時々確認させてもらえるなら、我慢します」
碧は、少し考えた。
それから、手を差し出した。
欲しがられているものが何なのかは、はっきりしていた。
難しい約束ではない。ただ、碧はこの十一日間、それを誰にも意識して渡してこなかった。全員に等しく向き合ってきたつもりで、一番を作ることから逃げていた。
「じゃあ、明日の車、助手席に座ってください」
エルフィリアの目が、丸くなった。
「……それだけですか」
「あと、着いたら飯を作ります。あなたが最初です」
「最初」
「一番に出します」
女神は、しばらく碧の手を見ていた。
それから、その手を両手で握った。
「……それで、充分です」
中庭の向こうで、リュシェが荷を落とした。
ミリアが帳面に何か書き始め、闇将ネフィリアが壁にもたれたまま天を仰いだ。
碧だけが、何も気づいていなかった。
その夜、中庭の一角ではしばらく小声の会議が開かれた。参加者はリュシェと、議事の記録を買って出たミリアの二人。議題は、助手席を女神と王女のどちらが何日目に座るかについてだった。
結論として、女神と王女の一日交代とする案が可決された。ただし初日は女神に譲る、という条件つきである。ミリアがその議事録を残そうとして、リュシェに没収された。
会議の終わり際、通りかかったミュウが小さく手を挙げた。
「あの。わたしは、荷台がいいです」
「なぜです」
「そこなら、風の匂いが全部わかるので」
リュシェが、少しだけ笑った。
ミリアが没収されたはずの帳面をどこからか取り出し、その一言を書き留めた。
壁際で、ネフィリアが呟いた。
「……八百年生きたが、この種の戦は初めて見る」
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(更新:毎日8時投稿予定)
隠岐群青




