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第16話 炎将ガルム、来訪(前編)

召喚された高校生・天野碧が女神から授かった祝福は、八つ。過去最大の記録だった。


だが碧が最初にしたのは、飢えた四千人に鍋を出すことだった。

水を通し、土を戻し、魔王すら部下にして、碧は世界を縛る楔を一本ずつ抜いていく。

抜くたびに、碧は何かを失う。痛みを、恐怖を、味を、眠りを、怒りを。


失った分を預かると言ったのは、そばにいることを選んだ者たちだった。

最強の料理人と、彼を欠けさせない少女たちの物語。


 魔王軍四天王が単騎で国境を越えたという報せは、その夜のうちに王都じゅうへ広がった。

 城では朝まで会議が続いた。迎撃すべきだという声と、使者として遇すべきだという声が半々に割れ、明け方になっても決まらない。決まらないまま、碧が「行って話してきます」と言ったところで会議は終わった。

 誰も止めなかったわけではない。止めても無駄だと、全員が九日で学んでいた。

 出発前から、揉めた。

 城の中庭に、碧が作った車が停まっている。北の砦まで一時間二十分で走ったあの車だ。座席は六つ。

 そこに、七人が集まっていた。

「人数が合いませんね」

 碧が言うと、六人が一斉に自分以外を見た。

「わたくしは行きます」

 リュシェが最初に言った。

「王家の代理が必要です。四天王が単騎で国境を越えたとなれば、これは外交案件でございます」

「わたしも参ります」

 ミリアが手を挙げた。

「記録が必要でございます。歴史的な会談になるやもしれません」

「記録より、生きて帰るほうが大事だぞ」

「記録は残りますが、わたしの命は残りません。ですから記録を取ります」

「理屈がおかしい」

 碧が言い返そうとしたとき、袖が引かれた。

 ミュウだった。

 この三日で、少女は少しずつ動くようになっていた。まだ床で寝るし、椅子には遠慮がちに座るが、碧の袖を引くという行為ができるようになっただけでも進歩だった。

「……わたしも」

「ミュウ。相手は魔族だ」

「知っています」

 少女の耳が、少しだけ伏せられた。

「でも、アオイ様の匂いが遠くなるのは、いやです」

 碧は、返事に詰まった。

 その横で、エルフィリアが静かに手を挙げた。

「わたしは行きます。当然です」

「当然ですか」

「当然です」

 女神は、まったく揺るぎない顔で言った。

「九日間、あなたを一人にしたので。その反省を生かしています」

「生かし方が極端では」

「極端ではありません。適切です」

 碧は、頭を抱えた。

 結局、ダインを含めて六人になった。残る一人は、乗るところがないという理由でミリアが弾かれかけたが、彼女は荷台に自分の席を勝手に作って居座った。

 碧が座席を七つに作り直そうとすると、リュシェに止められた。座席を増やせば次は八人になり、そのうち王都の全員が乗りたがると言われた。反論できなかった。

 車が発進したとき、後部座席ではエルフィリアとリュシェがミュウを挟んで座っていた。

 誰が真ん中に座るかで、無言の攻防が三分続いた結果である。

 最初にエルフィリアが助手席を主張し、それをリュシェが「外交儀礼上ありえない」と退けた。ならば両者とも後部でよいという結論になったところで、今度は碧の斜め後ろをどちらが取るかという問題が浮上した。

 解決したのはミュウだった。少女が「真ん中は、こわいので端がいいです」と言い出し、二人がかりで真ん中に押し込められた。

 結果として、いちばん怖がっていた者がいちばん守られた位置に座ることになった。本人だけが、それを理解していない顔をしていた。


 北の街道を走りながら、碧はダインの様子に気づいた。

 剣聖は助手席で、ずっと前を見ていた。それ自体は珍しくない。ただ、この男にしては口数が少なすぎた。

「ダインさん」

「はい」

「顔の傷、いつのやつですか」

 ダインの指が、無意識に左頬をなぞった。

「……三十年前でございます」

「東の国境ですか」

「よくご存じで」

「伝令が言ってたとき、あなただけ顔色が変わってたので」

 ダインは、しばらく黙っていた。

 それから、静かに話し始めた。

「当時、わたくしは十五でございました。騎士見習いで、隊列の最後尾におりました」

 剣聖の声は、平坦だった。

「東の国境に炎将が現れたという報せが入り、騎士団二千が動員されました。わたくしは補給部隊で、戦場には立っておりませぬ」

「でも、傷が」

「逃げる途中でございます」

 碧は、前を向いたまま黙った。

「炎が、地平の端から端まで走りました。あれは剣でも魔法でもございませぬ。天災でございます。わたくしは友を三人背負って走り、二人は途中で息を引き取りました」

 ダインは、そこで一度言葉を切った。

「生きて戻ったのは四百と少し。わたくしはそのうちの一人でございます」

 車内が、静かになった。

 後部座席で、リュシェが目を伏せていた。この国の王女なら、その戦の記録は当然読んでいる。

「ダインさん」

「はい」

「無理なら、降りてもらって構いません」

「いいえ」

 剣聖は、初めてこちらを向いた。

「三十年、わたくしはあの男を見ておりませぬ。顔も知りませぬ。ただ、炎だけを覚えております」

 ダインの口元が、わずかに緩んだ。

「今日、顔を見ます。それだけで充分でございます」

 碧は、それ以上何も言わなかった。

 言えることがなかったからではない。この人がほしがっているのは慰めではないと、わかったからだ。三十年かけて輪郭を失った恐怖に、ようやく顔をつけられる。それは他人が手を出していい作業ではなかった。

 後部座席で、リュシェが小さく呟いた。

「団長。もしものときは」

「姫様のお守りは、わたくしの仕事でございます」

「逆です。わたくしが団長を守ると申し上げております」

 ダインが、初めて声を出して笑った。


 残りの三時間、車内はおおむね静かだった。

 ミュウは途中で眠った。慣れない速度と、両隣からの圧が効いたらしい。少女の頭がリュシェの肩に倒れ込むと、王女は一瞬だけ身体を硬くして、それから何も言わずに姿勢を保った。

 反対側では、エルフィリアがミュウの尻尾を膝に載せて撫でていた。本人は無意識らしい。ミリアが荷台から身を乗り出して、その光景を熱心に書き留めていた。

 平原で、それは待っていた。

 王都から北へ四時間。丘が続く放牧地の真ん中に、一人だけ立っている影があった。

 碧は車を止め、五百メートル手前で降りた。

 遠目にも、大きさがわかった。背が高いというより、輪郭が厚い。歩くだけで地面を割りそうな体躯をしている。

 赤い髪が、風に流れていた。

 碧が一歩踏み出すと、リュシェが袖を掴んだ。

「アオイ殿」

「はい」

「何かあれば、すぐにお戻りください」

「大丈夫です」

「大丈夫という言葉は、状況を確認していない者が使います」

 王女の手には、力が入っていた。

 碧は少し驚いてから、その手をそっと外した。

「行ってきます」

「……はい」

 次に袖を引いたのは、ミュウだった。

 少女は何も言わなかった。ただ、袖を掴んで、それからすぐ離した。それが彼女にできる最大の表現なのだと、碧にはわかった。

 最後にエルフィリアが、碧の隣に並んだ。

「わたしも行きます」

「危ないですよ」

「わたしは神です」

「そうでした」

 二人は並んで歩き出した。

 背の高い草が膝まであって、歩くたびに音がする。エルフィリアは今日も裸足だった。碧が何度か見ると、彼女は少し困った顔をして、それから小さく言った。

「靴は、まだ慣れません」

「作りましょうか」

「……いいんですか」

「そのうち。今日は先に用事があるので」

 女神は頷いて、それから半歩だけ碧に近づいた。距離を詰めた、というほどの動きではない。ただ、風で髪が触れるくらいの位置に来ていた。


 距離が縮まるにつれて、空気が変わった。

 気温が上がっているのではない。ただ、近づくほどに肌がぴりぴりとする。魔族の放つ力が、周囲の空気を軋ませていた。

 百メートルの地点で、碧は足を止めた。

 炎将ガルムは、そこに立っていた。

 二メートルを優に超える体躯。褐色の肌に、古い火傷の跡が幾筋も走っている。両腕には金属の輪がはまり、それが枷なのか装飾なのかは判別がつかない。

 武器は、持っていなかった。

 男は碧を見て、しばらく動かなかった。

 やがて、低い声で言った。

「近くで見ると、ただのガキだな」

「十八です」

「十八か」

 ガルムは目を細めた。

「俺が最初に人間を殺したのは、八百年前だ。そのときの相手も、そのくらいの年だった」

 碧は、返事をしなかった。

「怖くねえのか」

「怖くないです」

「なぜだ」

「怖がるべきなんでしょうけど、そう思えないんです」

 碧は、正直に答えた。

「四日前に、三万の魔物を消しました。そのとき何も感じませんでした。たぶん、俺はいま壊れかけてます」

 ガルムの眉が、わずかに動いた。

 この答えは予想していなかったらしい。

「……おかしなガキだ」

「よく言われます」

「陛下は、俺に武器を抜くなと命じた」

 炎将は、両腕を広げた。

「兵も連れるなと。あの方の命令には理由がある。俺はそれを、六十キロ離れた場所から見て理解した」

 男は、そこで一歩前に出た。

「だがな、勇者。俺は八百年、炎の将軍をやってきた」

 空気が、一段重くなった。

「見て理解するのと、身体で知るのは別だ。一合、付き合ってもらう」

 碧の隣で、エルフィリアが動こうとした。

 碧はそれを、手で制した。

「いいですよ」

「アオイ」

「大丈夫です。この人、殺す気で来てません」

 ガルムが、初めて笑った。

「わかるか」

「殺す気の人は、五日前に三人見ました。あれとは顔が違います」

 あの三人は、碧を見ていなかった。見ていたのは、こなすべき手順のほうだ。

 目の前の男は、碧を見ている。それも、正面から。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

次話もお楽しみにしていただけると嬉しいです。

感想やご指摘をいただけると、今後の励みになります。


(更新:毎日8時投稿予定)

隠岐群青

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