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第10話 審査不能(後編)

これは、異世界に呼ばれた高校生が、もらいすぎた力で水を通し、飯を作る話です。


主人公は強いです。たぶん、作中の誰よりも。けれど彼が三万人の前に立って最初に言うのは、救えるかはわからない、でも飯なら作れる、という一言だけでした……


今日は6回にわたりお届けしようかと思います。

 砂がゆっくりと集まり、輪郭を取り戻し、表面に目盛りが一本ずつ刻まれ直していった。二百年ぶんの使用でわずかに摩耗していた縁の形まで、そのまま再現されていく。

 十秒後、円盤は元の形に戻っていた。ただし、中心から外周へ向かって、細い金の線が一本だけ走っている。砕けた跡を、碧はなかったことにはしなかった。

 ニナが、それを見た。

 見て、また表情をなくした。

「……直っております」

「直りました」

「直るものなんですか、これ」

「直りました」

 押し問答をしても意味がないと悟ったのか、若い受付嬢は書類に向き直り、震える手で何かを書き込んだ。

 碧が覗き込むと、備考欄にこう書かれていた。

 ――測定不能。器材損壊のち復元(金継ぎ一条)。


「――で、そいつが勇者様ってか」

 酒場の奥から、声がした。

 立ち上がったのは大柄な男だった。革鎧を着て、背中に大剣を背負っている。顔に酒の赤が残っていた。

「おい坊主。俺はC級のガルバだ。八年やってる」

「どうも」

「測定不能ってのはな、壊した言い訳だ。実力がわからねえなら、見せてもらうのが筋だろ」

 周囲の何人かが、露骨に顔をしかめた。触れるな、という空気が流れる。だがガルバは止まらなかった。

 碧は、少し考えた。

 断るのは簡単だ。ダインが一歩出るだけで済む。だが、この場でそれをやると「勇者は騎士に守られている」という絵が残る。ここは国家に属さない場所だった。

「腕相撲でいいですか」

 碧が言うと、ガルバが噴き出した。

「腕相撲だと」

「剣は嫌です。誰か怪我します」

「いいだろう。来い」

 二人はテーブルを挟んで座った。

 人が集まってきた。酒場にいた全員が席を立ち、さらに外を通りかかった者まで入ってくる。誰かが賭けを始めた。倍率はガルバが有利だったが、それは彼を知っている者が多いというだけの理由だった。

 ダインが壁際で腕を組んでいた。止める気配はない。リュシェは少し離れた席に腰を下ろして、この騒ぎを面白そうに眺めている。

 手を組む。

 ガルバの手は、碧の倍ほどの厚みがあった。

「潰すぞ」

「どうぞ」

 合図がかかった。

 ガルバが力を入れた。碧の腕は、一ミリも動かなかった。

 男の顔が赤くなる。首の筋が浮く。テーブルが軋み、その脚が石の床に食い込んだ。

 碧は、ずっと同じ顔をしていた。

 力を受け止めているという感覚すらなかった。腕にかかっている圧力は間違いなく相当なものなのだが、それが碧の身体のどこかで静かに処理されてしまう。壁を押している人間を、壁の側から見ているような具合だった。

 三十秒後、ガルバの手が震え始めた。それは力を出しすぎた震えではなく、出した力が返ってこないことへの戸惑いの震えだった。

 一分後、テーブルの天板に細い亀裂が入った。ガルバの肘が押し込まれている部分の木目が、ゆっくりと裂けていく。

 碧はそこで、初めて力を入れた。

 入れた、という自覚すらなかった。動かそうと思っただけで、腕はその通りに動いた。抵抗していたはずのものが、急になくなったような感触だった。

 ただ手首を返しただけだ。

 ガルバの腕がテーブルに落ちた。天板が割れた。男の身体が椅子ごと後ろへ倒れ、床に転がった。

 酒場が、揺れた。

 歓声というより悲鳴に近い音が上がり、賭けの札が宙に舞った。倒れたガルバを助け起こそうとする者と、割れたテーブルを覗き込む者と、碧の腕を見ようとする者とで、店内はしばらく収拾がつかなくなった。

 ガルバ本人はしばらく天井を見ていたが、やがてむくりと起き上がり、自分の右腕をしげしげと見つめた。

「……痛くねえ」

「加減しました」

「加減できるもんか、あれは」

 男は立ち上がり、それから深々と頭を下げた。

「失礼した。二度と言わねえ」

「いえ」

「おい誰か、こいつに酒を」

「朝ですけど」

「朝から飲むのが冒険者だ」


 騒ぎが収まった頃、二階から誰かが降りてきた。

 小柄な老人だった。禿げ上がった頭に、白い顎髭。片目に古い傷があり、そちらは塞がっている。

 歩き方に隙がなかった。階段を降りるという単純な動作だけで、この老人が長く前線にいた人間だと知れた。体重の移し方が、ダインとよく似ている。

 酒場の空気が変わったのも、その歩き方のせいだった。さっきまで騒いでいた冒険者たちが、誰に言われるでもなく道を空けていく。

「ギルドマスターのゴルドーだ」

 名乗りは短かった。

 老人は割れたテーブルを一瞥し、次に修復された測定盤を見て、最後に碧を見た。

「うちの器材を壊して、直したらしいな」

「すみません」

「謝るな。二百年ぶりの事件だ。記録に残る」

 老人は測定盤に目をやり、金の線を指でなぞった。

「壊れた跡まで残して直したのか。ギルドの器材に傷の履歴がつくのは、二百年で初めてだ」

「隠すと、次に壊れたとき原因がわからなくなるので」

「……道理だな」

 ゴルドーは、その線から指を離さないまま、もう一度だけ頷いた。

 ゴルドーは椅子を引き、碧の向かいに座った。

「登録は認める。だが問題がある。お前さんのランクだ」

「A級でいいんじゃないですか」

「A級は、単独で国境を守れる者に出す。S級は、単独で国を落とせる者に出す」

 老人は、片目で碧を見た。

「お前さんは、どっちでもない」

「というと」

「単独で国を作れる」

 酒場が、ざわついた。

 ゴルドーは構わず続けた。

「昨日、南で何をした。井戸を四十三本、下水を九槽、洗い場を一軒」

 ゴルドーは手元の紙を見ていなかった。数字を全部、頭に入れて降りてきたらしい。

「ギルドの査定ではな、それだけの土木工事は熟練の職人二百人を集めて四年かかる。石工の手配と資材の調達を含めれば、もう一年は見なければならん」

「そんなにかかりますか」

「かかる。お前さんは半日でやった」

 老人は指を一本立てた。

「ランクというのは、危険度の目安だ。依頼主に、どの程度の仕事を任せられるかを示すためにある。お前さんにS級をつけると、依頼主はS級の仕事を持ってくる。それでは足りん」

「足りない」

「足りん。お前さんに来る依頼は、これから全部が前例のないものになる」

 老人の口調は、褒めているようには聞こえなかった。むしろ、厄介なものを押しつけられた者の淡々とした確認に近い。

 碧はそれを、ありがたいと感じた。この七日間、碧に向けられてきた言葉はほとんどが感嘆か祈願のどちらかだった。事務的に扱ってくれる人間は、ここまで一人もいなかった。

 ゴルドーは立ち上がり、カウンターのニナに向かって言った。

「新ランクを作る。記号はEXだ。該当者は一名。本部には俺から通す」

「よ、よろしいのですか」

「よくはない。だが、ほかに書きようがない」

 老人は碧に向き直り、初めて笑った。片目だけで笑う、器用な笑い方だった。

「歓迎する、EX級。ギルドは国に属さん。ここではお前さんは勇者じゃない。ただの冒険者だ」

 その一言で、酒場の空気が変わった。

 さっきまで遠巻きにしていた者たちが、露骨に肩の力を抜いたのがわかった。勇者を前にして何をどう扱えばいいかわからずにいた連中が、同業者という札を渡されて一気に楽になったのだ。

 誰かが「EXってなんだよ」と言い、誰かが「知るか」と答え、そこから笑いが広がった。

 碧は、その言葉を噛みしめた。

 召喚されて七日目にして、初めて「勇者」以外の肩書きを持った瞬間だった。

 勇者という呼び名には、常に誰かの期待がくっついてくる。救ってくれる人、守ってくれる人、決めてくれる人。碧はその重さを、この七日間ずっと背中に感じていた。

 冒険者という言葉には、それがない。依頼を受けて、仕事をして、報酬を受け取る。それだけの関係だった。

 自分でも意外なほど、その響きが心地よかった。

「よろしくお願いします」

「さっそくだが、仕事がある」

 ゴルドーの顔から、笑いが消えた。

「北の砦から、早馬が三頭続けて来た。三頭目は、馬も騎手も死んでいた」

 酒場が静まった。

「大森林から魔物が出ている。数がおかしい。斥候の報告では、二万を超える」

 ざわめきが起きた。だがそれは、驚きのざわめきではなかった。ここにいる冒険者たちは全員、その数字が何を意味するかを正確に理解している顔をしていた。

 ゴルドーは紙を一枚、カウンターに放った。北の砦から届いた報告書だった。字が乱れている。書いた者の手が震えていたのがわかる。

「二万」

「スタンピードだ。北の砦は千五百しかおらん」

 老人は、碧の目をまっすぐに見た。

「二万が押し寄せれば、砦は保って半日だ。抜かれれば、その先に村が四つある。そのさらに先が王都だ」

 ゴルドーは指を一本ずつ折りながら、淡々と数えていった。

「村の住人は合わせて二千。避難の伝令はもう出したが、間に合うのは早くて明日の朝だ。砦の千五百は、その二千を逃がすために死ぬ手筈になっておる」

 碧は、その言い方に引っかかった。

「なる手筈、ですか」

「そういう砦だ」

 老人は、片目でまっすぐに碧を見た。

「北の砦は、抜かれる前提で作られておる。千五百で二万を止められる場所などない。あそこの連中は、それを承知で配属されておる」

 酒場が静かになった。

 誰も反論しなかった。ここにいる冒険者たちにとって、それは常識だったのだろう。

「いま出れば、間に合うかもしれん。行くか」

「行きます」

 碧は立ち上がった。

 考える時間は必要なかった。むしろ、考えるべきことが何もないことに戸惑うほどだった。

 二万の魔物がいて、千五百人が死ぬ前提で並んでいて、自分にはそれを止める力がある。この七日間で碧が知った自分の力の範囲から考えれば、答えは最初から一つしかない。

「馬を四頭お借りできますか。いや」

 言い直した。

「馬はいりません。俺が作ります」


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

次話もお楽しみにしていただけると嬉しいです。

感想やご指摘をいただけると、今後の励みになります。


今日でシルバーウィークも終わり。

私は小説三昧でした。

書くだけではなく、諸先輩がたの小説に刺激を受けたりと素敵な休みだったと思います。

明日からは8時と18時の2回投稿になります。

皆さまも今日1日お付き合いいただきありがとうございました。



(更新:毎日8時投稿予定)

隠岐群青

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