↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/42

第6話 騎士団、全滅(無傷) 前編

これは、異世界に呼ばれた高校生が、もらいすぎた力で水を通し、飯を作る話です。


主人公は強いです。たぶん、作中の誰よりも。けれど彼が三万人の前に立って最初に言うのは、救えるかはわからない、でも飯なら作れる、という一言だけでした……


――夏の盛りまで、あと五日。


 翌朝、扉を叩く音はいつもより早かった。

 開けると、ミリアが立っていた。盆は持っていない。かわりに、昨日までとは違う衣を着ていた。神殿の見習いが着る生成りの貫頭衣ではなく、濃い藍色の、袖口を絞った実用的な仕立てのものだった。

「おはようございます、アオイ様」

 少女は背筋を伸ばし、やたらと改まった調子で言った。

「本日付をもちまして、わたしミリアは、アオイ様付きの世話役を拝命いたしました。任期の定めはございません」

「世話役」

「はい。神殿からは籍を抜かず、日中はアオイ様のお側に控えます。食事、衣、日程、案内。それから、その、通訳のようなものも」

「通訳。俺、言葉わかりますけど」

「言葉ではなく、作法のほうです」

 ミリアは真顔だった。

「昨日、大広場で民に頭をお下げになりました。あれ、この国では王でもいたしません」

「……まずかったか」

「まずくはございません。民は泣いて喜んでおりました。ただ、貴族が三人ほど気絶いたしました」

 碧は天井を仰いだ。

 三日で三人も人を気絶させたらしい。

「というわけで、これからは先にわたしに聞いてください。止めるべきときは止めますので」

「頼もしいな」

「はい」

 ミリアは胸を張った。それから急に自信をなくしたように、小声で付け足した。

「……あの、本当にわたしでよろしかったのでしょうか。神殿には、もっと位の高い方が」

「ミリアがいい」

「え」

「昨日の朝、豆の芯の話を厨房に持っていったのは君だ。あれ、地味に難しいことだぞ」

 碧は扉に寄りかかった。

「勇者が変なことを言ってました、で流してもよかった。でも君は調理長のところへ行って、怒られる覚悟で伝えた。そういう人が側にいるほうが、俺は助かる」

 ミリアは、しばらく身動きを取らなかった。

 それから両手で口を押さえて、その場にしゃがみこんだ。

「おい。どうした」

「……なんでもございません。いま、覚悟を決めておりますので、少しお待ちください」

 碧は待った。

 十秒ほどして、少女は立ち上がった。目が赤かったが、声はしっかりしていた。

 少女は懐から折り畳んだ紙を取り出し、大げさな仕草で広げた。そこには細かい字で一日分の予定が書き込まれていて、余白には注意書きまで添えられている。昨夜のうちに作ってきたものらしい。

「本日の予定を申し上げます。午前、騎士団演習場にて剣聖ダイン様との立ち合い。午後、陛下との会食。夕刻、神殿にて――」

「待った。午前のやつ、もう決まってるのか」

「団長が夜明け前から演習場を掃き清めておられるそうです」

「夜明け前」

「はい。石畳を磨いておられるとか」

 碧は、昨日見たあの大きな背中を思い出した。

 断れる雰囲気では、どうやら最初からなかったらしい。


 騎士団の演習場は、城の西側にあった。

 碧が到着したとき、そこはすでに人で埋まっていた。周囲を囲む石段の観覧席に、甲冑姿の男たちがぎっしりと座っている。ざっと見て三百人。

「今日は非番の者まで出てきております」

 ミリアが横で説明した。

「本来、団の演習は非公開です。ですが昨日の夜、団長が全員に招集をかけられたそうで」

「非公開のところに三百人」

「団長のお考えでは、これは演習ではなく歴史なのだそうです」

 演習場の中央に、ダインが立っていた。

 昨日の甲冑ではなかった。稽古用の革当てだけを着けている。肩の筋肉の付き方が布越しにもわかった。四十半ばという年齢を、身体のどこにも感じさせない立ち方だった。

「よくおいでくださいました」

 ダインが一礼した。

「石畳を磨いたと聞きました」

「四十年ぶりでございます。新兵の頃は毎朝やっておりましたので、身体が覚えておりました」

 また四十年だ、と碧は思った。

 大神官の膝も、調理長の鍋も、同じ長さだった。この国では、ひとつの仕事が人ひとりの一生ぶんの単位になっているらしい。

「得物をお選びください」

 ダインが手を向けた先に、木剣の並んだ架台があった。長さも重さもさまざまで、二十本はある。

 碧は近づき、一本手に取った。振ってみる。

 軽すぎた。

 別の一本を取る。今度は重心が手前すぎる。さらに別のを取る。柄の太さが合わない。

 五本目を置いたところで、碧は手を止めた。

 自分が何を「合わない」と判断しているのか、自分でもわかっていなかった。木剣を握った経験など一度もない。なのに、握った瞬間に正解との差分が出てしまう。

「……すみません。作ってもいいですか」

「は」

 碧は掌を上に向けた。

 光が伸び、固まる。

 現れたのは、一本の木剣だった。ごく普通の、装飾のない樫の剣。ただし長さも重心も握りの太さも、碧の手にぴたりと収まっていた。

 観覧席が、どよめいた。

「……いま、作られましたか」

「はい。すみません、こっちのほうが早かったので」

 ダインは木剣をしばらく見つめ、それから深く息を吐いた。

「一本、いただいてもよろしいか」

「え」

「終わったあとで結構です。孫に見せたい」

 碧は返答に困り、結局、頷いた。


 二人は向かい合った。

 観覧席の三百人が、ぴたりと黙った。

 ダインが構える。上段でも中段でもない、右肩の前に剣先を浮かせた独特の形だった。

 その瞬間、碧の中で何かが勝手に動いた。

 見えた、という感覚に近い。ダインの構えが持っている選択肢が、頭の中に一枚の図として広がった。この位置からは十二通りの手がある。うち七つは踏み込みを伴い、三つは誘い、二つは下がりながらの斬り上げ。どれを選んでも、最初の一歩は左足から入る。

 碧は、それを知りたくなかった。

 知ってしまうと、この人が三十三年かけて積み上げたものを、こちらが最初から全部開いて見ていることになる。それは失礼な気がした。

「……ダインさん」

「はい」

「俺、ずるいです」

 ダインの眉が動いた。

「たぶん、あなたが何をするか全部わかります。昨日もらった力なので、俺の実力じゃありません」

「存じております」

「昨日、あの屋台をご覧になって、それでも立ち合いたいんですか」

「だからこそでございます」

 剣聖は、構えを崩さずに言った。

「わたくしは十二の年から剣を握り、三十三年かけてここまで参りました。その三十三年が、一晩で越えられるものだと知りました」

「……」

「それは絶望でございましょうか。わたくしは、そうは思いませなんだ」

 ダインの声が、わずかに熱を帯びた。

「わたくしは剣が好きなのです。ですから、剣の果てにあるものを見てみたい。自分が辿り着けぬ場所でも、誰かがそこに立っているのなら、見ておきたいのです」

 碧は、木剣を握り直した。

 この人は、たぶん自分と同じ種類の人間だった。父が包丁を握るときの顔を、碧はよく知っている。

「わかりました」

 碧は構えた。

 剣技の祝福が、自然に身体を動かした。ダインより半歩低い位置に重心が落ち、剣先が斜め下に向く。見たこともない構えだったが、身体はそれを最適だと判断していた。

「――参る」

 ダインが動いた。

 速かった。観覧席で椅子の鳴る音がした。左足からの踏み込み、右肩の前から滑り出す斬り下ろし。碧の予測どおりの一手目だった。

 そして、予測していても速い。

 碧は木剣をわずかに傾けた。

 ダインの剣が、その面を滑った。受けたのではなく、進む方向を三度ほど変えただけだ。剣聖の剣は碧の肩の横を通り抜け、地面へ向かった。

 姿勢が、崩れる。

 だが崩れきる前にダインは踏みとどまった。そのまま左へ回り込み、二手目。下からの斬り上げ。

 碧はまた、剣先の角度を変えた。

 三手目。ダインは回転を利用して剣を持ち替え、右の逆手から突いてきた。予測の十二通りには含まれていない動きだった。

 碧の目が、初めて見開かれた。

 それでも、身体は間に合った。半歩引いて、突きの軌道を外へ流す。

 四手目はなかった。

 ダインの木剣が、宙を舞っていた。

 碧の剣先が、剣聖の胸当ての中央に、触れるか触れないかの位置で止まっている。

 演習場が、完全な無音になった。

 やがて、乾いた音がした。ダインの木剣が地面に落ちた音だった。

「……三合」

 ダインが呟いた。

「三合、持ちました」

 男は膝を折った。がくりと落ちたのではなく、丁寧に、自分の意思で地面につけた。

「アオイ殿。いまの三手目、いかがでございましたか」

「あれだけ、読めませんでした」

 その一言を聞いた瞬間、剣聖の顔が崩れた。

 四十半ばの、顔に傷のある大男が、子どものように笑っていた。

「あの手は、三十年前に自分で考えたものでございます。誰にも教えたことがございませぬ」

「なるほど」

「生涯で一度きり、使いどころを待っておりました」

 ダインは地面に手をつき、そこで肩を震わせた。

 碧はその場に立ったまま、どう声をかけるべきか迷った。

 観覧席から、拍手が起きた。一人が始めて、十人になり、百人になり、三百人になった。誰かが立ち上がり、全員が立ち上がった。


「――恐れながら!」

 騒ぎが収まりかけた頃、観覧席から声が飛んだ。

 若い騎士だった。二十代半ばだろうか。顔が赤い。

「団長と三合というのは、我々にはわかりませぬ! 我々の物差しでは測れませぬ!」

「では、どうしたい」

 ダインが立ち上がり、振り返った。

「我らにも、お相手いただきたく!」

 どよめきが起きた。同調する声が次々に上がる。

 碧はミリアを見た。ミリアは首を横に振った。止めるべき場面だという合図らしい。

 だが、止めなかったのはダインのほうだった。

「よかろう。アオイ殿、いかがでございますか」

「何人ですか」

「百」

 演習場が静まった。

 ダインは真面目な顔で言った。

「中途半端な数では、言い訳が残ります。全員でかかって、全員で負けたほうが、あとが楽でございます」

 碧は、少し考えた。

 断る理由はあった。三百人の前で百人を相手にするのは、明らかに見世物だ。宰相あたりが見ていれば、確実に政治的な材料にされる。

 だが、ここで曖昧にしておくと、この三百人はこれから先ずっと自分を測り続ける。

「条件が二つあります」

 碧は言った。

「ひとつ。誰も怪我をさせません。刃は使いません、剣の腹だけで触れます」

「承知」

「ふたつ。終わったら、全員で昼飯にしましょう。俺が作ります」

 演習場が、変な静まり方をした。

 ダインが、噴き出した。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

次話もお楽しみにしていただけると嬉しいです。

感想やご指摘をいただけると、今後の励みになります。


(更新:毎日8時投稿予定)

隠岐群青

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。