第31話 十一歳の神谷蓮
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**東京都北区・旧妖異対策研究センター**
**地下最深部**
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その姿を見た瞬間。
蓮は、息をすることさえ忘れた。
扉の向こうに立っているのは、少年だった。
黒い髪。
細い身体。
白い検査着。
そして――蓮と同じ顔。
ただ一つ違うのは、その年齢だった。
十一歳。
十年前の、自分自身。
「……俺?」
蓮の声が震える。
少年は答えない。
ただ、蓮をじっと見つめている。
その目には、恐怖があった。
そして。
強い決意も。
「どうして……」
蓮が一歩近づく。
その瞬間、少年が後ろへ下がった。
「来ないで」
幼い声。
蓮は足を止めた。
「……俺なのか?」
少年は首を横に振る。
「違う」
「俺は、君じゃない」
第一号が少年を見て、呟いた。
「……そんな」
第二号の少女も驚いている。
「残ってたんだ……」
第三号が初めて、険しい顔をした。
「これは予定になかった」
蓮が三人を見る。
「知ってるのか?」
第三号は答えた。
「知ってる」
「こいつは実験体じゃない」
蓮の視線が少年へ戻る。
「じゃあ何なんだ?」
第三号は静かに言った。
「十年前の君、そのものだ」
蓮の胸が強く脈打つ。
「……どういう意味だ」
「第一号は、君から分離された適合核を中心に作られた」
「僕は、その残った部分から作られた」
「第二号は、僕たちを安定させるために作られた」
第三号が少年を見る。
「でも、この子だけは違う」
「この子は――」
少年が言葉を遮った。
「僕は、逃げなかった」
蓮が目を見開く。
少年は震えながら話し始めた。
「十年前、兄ちゃんが蓮を連れて逃げた」
「でも……蓮は一人で戻ってきた」
零の顔が強張る。
「……俺が?」
少年は頷いた。
「兄ちゃんを助けるために」
蓮の頭に、記憶が流れ込んできた。
廊下を走る幼い自分。
後ろから追ってくる研究員。
そして。
倒れている零。
『兄ちゃんを助けて』
幼い蓮は叫んでいた。
『お願いだから、兄ちゃんを助けて!』
研究員は答えた。
『なら、君の魂を使おう』
『それが一番早い』
幼い蓮は震えながら頷く。
『……分かった』
蓮は胸を押さえた。
「俺は……自分から戻ったのか」
零が苦しそうに目を伏せる。
「俺は知らなかった」
「蓮を逃がした後、もう一度戻ってきたなんて……」
少年が続ける。
「でも、蓮は気づいた」
「研究者たちは、兄ちゃんを助けるつもりなんてなかった」
「最初から、蓮の魂が欲しかっただけ」
蓮は黙っている。
「だから……」
少年が自分の胸へ手を当てる。
「蓮は自分の魂を分けた」
「一つを第一号に」
「一つを第三号に」
「そして残った自分自身を、この場所に置いた」
蓮の目が大きくなる。
「待ってくれ」
「俺自身を……置いた?」
少年は頷いた。
「そう」
「君が今まで生きてきた十年間は、君の記憶だけを持った別の身体だった」
「そして僕が、十年前の君の身体」
研究室が静まり返る。
蓮には、言葉の意味がすぐに理解できなかった。
自分は確かに生きてきた。
学校へ行った。
妖怪討伐士になった。
勇者パーティにも入った。
そして追放された。
全部、自分の記憶だ。
それなのに。
目の前には、十一歳の自分がいる。
「じゃあ……俺は何なんだ?」
少年は悲しそうに答えた。
「分からない」
「僕にも分からない」
その言葉に、蓮は何も言えなかった。
すると。
零が少年の前に歩み寄った。
「蓮」
少年が顔を上げる。
「兄ちゃん……?」
零の目に涙が浮かぶ。
「俺は、お前を置いていった」
「……ごめんな」
少年は首を横に振る。
「違う」
「兄ちゃんは僕を逃がそうとした」
「それを覚えてる」
零が少年を抱きしめる。
少年は最初、驚いたように身体を固くした。
それから。
ゆっくりと零の背中へ手を回した。
「……兄ちゃん」
「ああ」
「会いたかった」
「ああ……俺もだ」
蓮はその光景を見つめていた。
胸の奥が、不思議なほど温かくなる。
その時。
《特殊妖魂――共鳴》
《対象――神谷蓮・初期人格》
《照合開始》
蓮の視界に、文字が浮かんだ。
《同一人物》
《魂の分離を確認》
《統合は推奨されません》
蓮は目を見開いた。
「……統合は、推奨されない?」
第一号が蓮を見る。
「そういうことか」
「何が?」
「お前は、もう完成してるんだ」
蓮は少年を見る。
十一歳の自分。
第一号。
第二号。
第三号。
それぞれが、十年前の蓮から分かれたもの。
けれど。
今ここにいる蓮もまた、確かに蓮自身だった。
「……俺は俺だ」
蓮が呟く。
少年が顔を上げる。
「うん」
「じゃあ、お前は?」
少年は少し考えてから答えた。
「僕も……僕だよ」
その言葉に、蓮は小さく笑った。
「そうだな」
「無理に一つになる必要なんてない」
その瞬間。
研究室のスピーカーから、男の声が響いた。
「……それでは困る」
蓮の表情が変わる。
「まだいたのか」
「当然だ」
男の声には、初めて苛立ちが混じっていた。
「君たちは、ようやく一つになるところだった」
「それを拒むとはな」
蓮はスピーカーを睨む。
「お前は何をしたい?」
「簡単なことだ」
男が答える。
「十年前、君は自分の魂を分けた」
「私は、その結果を観察してきた」
「第一号、第二号、第三号、そして君自身」
「すべてを一つに戻せば――」
そこで男は言葉を切った。
「本当の妖魂拾いが完成する」
蓮は静かに答える。
「断る」
「……即答か」
「俺は、誰かを犠牲にして強くなるつもりはない」
男が笑う。
「ならば、君に選ばせよう」
研究室の奥で、巨大なモニターが点灯した。
そこには東京の地図が映っている。
無数の赤い点。
「これは……」
政府職員が息を呑む。
男が告げる。
「東京中に散らばった妖魂だ」
「現在、すべてが一つの場所へ向かっている」
赤い点が、ゆっくりと中心へ集まり始める。
「まさか……」
蓮が呟く。
男は楽しそうに笑った。
「そうだ」
「第三号が集めていた妖魂も」
「第四号から解放された魂も」
「すべて、ここへ集めている」
蓮の表情が険しくなる。
「ここへ……?」
「違う」
男が答えた。
「東京の地下だ」
モニターが切り替わる。
東京の地下に広がる巨大な空間。
そこには。
無数の妖魂が集められていた。
そして中央には、一つの巨大な黒い球体が浮かんでいる。
蓮の胸の奥が激しく震えた。
《特殊妖魂――強制共鳴》
《適合率――26%》
《警告》
《対象を確認できません》
蓮は息を呑む。
「……何だ、あれ」
男が答える。
「十年前から待っていたものだ」
「君たちの魂を一つに戻すための――」
声が途切れる。
次の瞬間。
東京中に、地鳴りが響いた。
そして。
巨大な黒い球体に、一本の亀裂が入った。
パキッ。
その亀裂の向こうから。
何かが目を開く。
蓮の特殊な魂が、大きく震えた。
《未知の妖魂を確認》
《危険度――測定不能》
蓮は刀を握る。
「……今度は、何だよ」
誰も答えられない。
ただ。
十年前から続いていた実験が。
ついに、最後の段階へ入ったことだけは分かった。




