第3話 妖怪がいる日本
その日まで、日本に妖怪はいなかった。
少なくとも、誰もがそう思っていた。
鬼。
天狗。
河童。
妖狐。
そんなものは、昔話や伝承の中にしか存在しない。
誰もが、それを疑わなかった。
――十年前までは。
深夜の東京都心。
突然、道路の中央に巨大な赤鬼が現れた。
身長は五メートルを超え、頭には二本の角。
手には巨大な棍棒。
警察の銃弾は通じず、通常兵器すらほとんど効果がなかった。
その夜だけで、多くの人間が犠牲になった。
政府は、この事件を――
**『第一級妖異災害』**
と認定した。
そして、それを境に日本は変わった。
全国各地で、妖怪が確認されるようになったのだ。
鬼。
餓鬼。
河童。
天狗。
雪女。
妖狐。
昔から日本に伝わっていた妖怪たちが、次々と現実の世界に姿を現した。
警察だけでは対応できない。
自衛隊だけでも足りない。
そこで政府は、妖怪を専門に討伐する者たちを集めた。
それが――
**妖怪討伐士制度。**
討伐士には、実力に応じてランクが与えられる。
E。
D。
C。
B。
A。
そして、その頂点に立つのがSランク。
さらにSランクの中でも、特に優れた者だけに与えられる称号があった。
――勇者。
日本では現在、数人しか存在しない特別な称号だった。
そして。
そんな勇者の一人が――佐伯蓮司だった。
―――――――――――――――
**現在・東京都北区**
**神谷蓮のアパート/午後七時**
―――――――――――――――
「……勇者パーティ、か」
神谷蓮は、ベッドに腰掛けながらスマートフォンを眺めていた。
画面には、昨日の妖怪討伐のニュースが流れている。
『昨日、東京都内に出現したAランク妖怪・大鬼は、政府公認Sランク討伐士、佐伯蓮司率いる討伐チームによって討伐されました』
映像の中で、佐伯が記者たちに囲まれている。
『今回の討伐について、勇者としてコメントをお願いします』
『当然の結果です。市民の安全を守るのが、俺たちの使命ですから』
自信に満ちた笑顔。
その隣には、聖女の白石美咲。
魔導師の黒川玲奈。
剣士の高橋豪。
昨日までなら、そこに蓮もいた。
だが――。
ニュース映像に、蓮の姿は一度も映らない。
「まあ……当然か」
蓮はスマートフォンを伏せた。
蓮の職業は――『妖怪拾い』。
正式には、妖怪討伐支援職・妖怪拾得士。
討伐された妖怪から、素材を回収する仕事だ。
妖怪の角。
牙。
爪。
皮。
妖気を帯びた体液。
妖怪の身体には、人間にはない特殊な性質を持つ素材が含まれている。
それらは武器や防具、医薬品などに利用されていた。
つまり。
妖怪を倒す者だけではなく、倒された妖怪を回収する者も必要なのだ。
だから、妖怪拾いという職業自体は決して珍しくない。
ただし――。
「戦えない」
それが、蓮の最大の欠点だった。
妖怪拾いは、戦闘能力に特化した職業ではない。
妖怪を倒すのは、他の討伐士。
妖怪拾いは、その後始末をする。
世間では、そう思われている。
「だから、役立たず……か」
昨日の佐伯の言葉が蘇る。
『お前みたいな役立たずを、勇者パーティに置いておく意味がない』
蓮は小さく息を吐いた。
反論できなかった。
実際、これまで妖怪との戦闘では何もできなかったからだ。
仲間を強化することもできない。
傷を治すこともできない。
妖怪を倒すこともできない。
ただ、倒された妖怪を拾っていただけ。
「……本当に?」
蓮は、右手を見つめた。
昨日の出来事が蘇る。
鬼を倒した後。
死体から現れた黒い光。
そして――。
《妖魂を確認しました》
《対象――鬼》
《妖魂の取得に成功しました》
《固有能力『鬼腕』を獲得しました》
「……」
続いて、餓鬼。
《妖魂の取得に成功しました》
《固有能力『飢餓耐性』を獲得しました》
蓮は眉をひそめる。
「妖怪拾いには……何かある」
そう思った。
だが、確信はない。
蓮はスマートフォンを手に取った。
検索画面を開く。
『妖怪拾い』
『妖魂』
『妖怪の魂』
『妖怪 能力吸収』
何度検索しても、それらしい情報は出てこない。
政府の公開データベースにも、妖魂を吸収する討伐士についての記録はなかった。
「……俺だけなのか?」
その瞬間。
――ピコン。
スマートフォンが鳴った。
政府公式の『妖異災害情報アプリ』から、緊急通知が届いた。
【緊急妖異情報】
【発生地域:東京都北区】
【対象:河童】
【危険度:Dランク】
【討伐士への協力要請】
「河童……」
蓮は画面を見つめた。
昨日までなら、関係のない話だった。
だが、今は違う。
妖怪を倒せば――妖魂が手に入る。
鬼からは『鬼腕』。
餓鬼からは『飢餓耐性』。
「河童からは……何が手に入る?」
蓮は立ち上がった。
「行ってみるか」
政府から支給された刀を手に取る。
昨日までは、ほとんど使うことのなかった刀。
だが今日は違う。
蓮は刀を腰に差し、アパートを出た。
―――――――――――――――
**東京都北区・荒川河川敷**
**午後八時**
―――――――――――――――
河川敷には、すでに数人の討伐士が集まっていた。
「おい」
一人の若い討伐士が、蓮に気づく。
「お前、妖怪拾いだろ?」
「そうです」
「何しに来た?」
「河童を倒しに」
「……は?」
周囲の討伐士たちが振り返る。
そして――。
「はははは!」
一斉に笑い声が上がった。
「妖怪拾いが河童を倒す?」
「昨日、勇者パーティをクビになった奴だろ?」
「荷物持ちが何を勘違いしてるんだよ」
蓮は何も言わなかった。
ただ、河川敷の先にある暗い川面を見つめる。
水面が揺れている。
風はない。
「……来るぞ」
蓮が呟いた。
「何が――」
ザバァァァッ!
突然、川から巨大な影が飛び出した。
「ギャアアアアアッ!」
二メートルを超える巨体。
緑色の皮膚。
鋭い爪。
大きなくちばし。
そして頭の上には、妖力を蓄えた皿。
「河童だ!」
「構えろ!」
討伐士たちが一斉に武器を抜く。
河童が低く唸る。
その赤い目が――蓮を捉えた。
「ギィ……」
河童が口元を歪める。
蓮も刀を抜いた。
昨日までなら、誰かの後ろに立っていた。
妖怪が倒されるのを待っていた。
そして、死体を拾っていた。
でも――。
今日からは違う。
自分で倒す。
そして、拾う。
蓮は刀を握り直した。
「さて……」
河童が地面を蹴る。
「今度は、何を拾えるかな」
妖怪拾い。
その本当の意味を――。
蓮は、まだ知らない。




