第24話 失われた半分
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**長野県上田市・旧研究施設地下深部**
**午後九時三十三分**
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拳がぶつかった。
衝撃で床が砕け、研究室の壁に亀裂が走る。
蓮はそのまま後ろへ弾き飛ばされた。
「くっ……!」
身体を捻り、壁に手をついて着地する。
向かいには、もう一人の神谷蓮。
姿だけなら、自分とほとんど変わらない。
けれど、纏っている妖気は桁違いだった。
「どうした?」
もう一人の蓮が笑う。
「自分の半分が相手なんだ。もっと本気を出せよ」
「……半分、ね」
蓮は刀を構え直した。
「だったら聞く」
「何だ?」
「お前は、俺の何なんだ?」
青年は少しだけ黙った。
そして、自分の胸へ手を当てる。
「俺は、お前が十年前に切り離した魂だ」
「魂そのものなのか?」
「正確には違う」
青年は首を横に振る。
「お前の魂には、妖魂を受け入れるための特殊な部分があった。それを研究員たちは『適合核』と呼んでいた」
「適合核……」
「お前は十年前、それを自分から切り離した」
蓮は眉をひそめる。
「俺がそんなことを?」
「ああ」
青年は頷く。
「お前は分かっていたんだ。研究員たちが、その力を利用しようとしていることを」
「十一歳の俺が?」
「十一歳だったからこそだ」
青年の声が少し柔らかくなる。
「子供は大人が考えているほど何も分かっていないわけじゃない」
その言葉に、蓮の胸がざわついた。
また記憶が浮かぶ。
白い部屋。
冷たい床。
研究員たちの声。
『適合核を取り出せば、成功率は大幅に上昇する』
『神谷蓮は極めて特殊な個体だ』
『この魂があれば、妖怪と人間の完全融合も可能になる』
幼い蓮は、それを聞いていた。
怖かった。
逃げたかった。
けれど。
一人では逃げられない。
だから――。
『兄ちゃんを助けたい』
幼い自分が呟いている。
『俺がこれを持っていけば、兄ちゃんは助かる?』
研究員が笑った。
『そうだ。君が協力すれば、零も助けてやれる』
蓮の拳が震えた。
「……嘘だった」
青年が頷く。
「そうだ」
「兄貴を助けるって言って、俺に実験を受けさせた」
「その通り」
「それで俺は……」
蓮は自分の胸を押さえた。
「適合核を切り離した」
「そして俺が生まれた」
青年は静かに答えた。
「俺は、お前の中から切り離された適合核に、研究施設で集められた妖魂が混ざって生まれた」
「だから妖怪でも人間でもない」
「そういうことだ」
蓮は目の前の青年を見つめた。
憎むべき存在なのか。
敵なのか。
それとも、自分自身なのか。
答えは出ない。
その瞬間だった。
青年が踏み込んだ。
「考えている暇はないぞ!」
拳が迫る。
蓮は刀で受け止めた。
ギィンッ!
刃が大きく軋む。
「重い……!」
力だけなら、零号以上だった。
蓮は伸縮を使い、腕を伸ばして距離を取る。
そのまま風刃を放つ。
「風刃!」
斬撃が青年の肩を切り裂いた。
血が飛ぶ。
けれど青年は止まらない。
傷口から黒い妖気が噴き出し、瞬く間に塞がっていく。
「やっぱり……再生するのか」
「俺は妖魂を取り込んでいる」
青年が笑う。
「お前と同じだ」
「違う」
蓮は即座に否定した。
「俺はもう、何でも取り込んだりしない」
周囲に浮かぶ妖魂を見る。
妖魂保護によって守られている魂たち。
「こいつらは俺の力じゃない」
「守るべきものだ」
青年の表情が変わる。
「……守る?」
「そうだ」
「甘いな」
青年が手を広げる。
次の瞬間。
研究室の壁や床に埋め込まれていた妖魂が、一斉に浮かび上がった。
数百。
いや、それ以上。
無数の黒い魂が青年へ吸い込まれていく。
「なら、全部奪えばいい」
「やめろ!」
蓮が駆ける。
青年の身体から、凄まじい妖気が膨れ上がった。
「俺は十年間、ここでそれを続けてきた」
身体に黒い紋様が走る。
「妖魂を喰らい続ければ、いつかお前を超えられると思った」
「そんなことをして……何になる!」
「一つになる」
青年は笑った。
「お前と俺が一つになれば、完全な器が完成する」
蓮の視界に警告が浮かぶ。
《同一魂源との接触を確認》
《統合可能》
《推定妖魂適合率――61%》
蓮は息を呑んだ。
「61%……」
青年が両手を広げる。
「そうだ」
「俺と一つになれば、お前は一気にそこまで上がる」
「……」
「力が欲しくないか?」
青年の声が響く。
「Aランク程度の妖怪ではない」
「Sランクすら超えられる」
「日本中の妖怪を一人で倒せる」
蓮は黙っていた。
確かに魅力的だった。
自分が強くなれば、守れる人間は増える。
兄も。
政府職員も。
これまで助けられなかった人たちも。
けれど。
その先にあるものを、蓮は知っている。
兄・零が辿った道。
妖魂に呑まれ、人間としての境界を失っていく道。
蓮は首を横に振った。
「いらない」
青年の笑顔が消えた。
「……何?」
「そんな力はいらない」
蓮は刀を構える。
「俺は、俺の力で強くなる」
「綺麗事だな」
「そうかもしれない」
蓮は一歩踏み出した。
「それでも、自分じゃないものになるくらいなら、俺は弱いままでいい」
青年が吠える。
「だったら死ね!」
黒い妖気が爆発した。
巨大な腕が蓮へ襲いかかる。
蓮は真正面から受け止めた。
鬼腕。
金剛体。
全身の力を使う。
「ぐっ……!」
押される。
足元が砕ける。
さらに力が加わる。
「どうした!」
青年が叫ぶ。
「お前は俺の半分だ!」
蓮の身体が少しずつ沈んでいく。
「俺のほうが、お前を知っている!」
「……そうかよ」
蓮は歯を食いしばった。
「なら、お前は知らないな」
「何を?」
「今の俺を」
蓮の周囲に、保護された妖魂が集まってくる。
一つ。
二つ。
三つ。
それぞれが違う妖気を放っている。
「俺は一人で強くなるんじゃない」
魂の一つを手に取る。
《保護妖魂――一時貸与》
《能力――水中呼吸》
続いて別の魂。
《保護妖魂――一時貸与》
《能力――毒耐性》
さらに別の魂。
《保護妖魂――一時貸与》
《能力――風刃》
複数の妖魂から、一時的に力を借りる。
身体の中へ取り込むことなく。
支配することもなく。
ただ、必要な瞬間だけ力を借りる。
青年が目を見開いた。
「そんな使い方……」
「俺も今、初めて知ったよ」
蓮が笑う。
「妖魂は、奪わなくても力を貸してくれる」
黒い光が右腕を包む。
風が左腕を包む。
身体には金剛体。
そして。
妖魂保護によって守られた魂たちが、蓮の周囲を舞う。
「これが――」
蓮は拳を握った。
「今の俺だ!」
拳を突き出す。
黒い鬼腕。
風刃。
二つの力が重なり、巨大な衝撃波となって青年を吹き飛ばした。
青年の身体が研究室の壁を突き破る。
「ぐあああああっ!」
壁が崩れ落ちる。
蓮は追撃しようとした。
その瞬間。
青年の身体から、白い光が飛び出した。
「……何だ?」
光は蓮へ向かって飛んでくる。
胸へ吸い込まれた。
《特殊妖魂の一部を確認》
《返還された魂情報を検知》
《適合率――24%》
《変動なし》
蓮は目を見開いた。
「返還……?」
青年を見る。
青年は片膝をついていた。
「……そうか」
青年が小さく笑う。
「お前は、俺を倒しても……俺を拾わないんだな」
「……」
「なら、それでいい」
蓮が眉をひそめる。
「何?」
青年は顔を上げた。
その表情には、さっきまでの敵意がなかった。
「俺は、お前が戻ってくるのを待っていた」
「何のために?」
青年は答えない。
代わりに、研究室の奥にある巨大なモニターが点灯した。
そこに映ったのは――。
十年前の映像。
幼い蓮。
零。
そして。
研究員たち。
画面の中の幼い蓮が、何かを抱えている。
蓮は息を呑んだ。
「……あれは」
腕の中にいるのは。
妖怪ではない。
人間でもない。
小さな黒い塊。
そして、その隣には――。
もう一人の子供がいた。
蓮と同じ顔。
青年ではない。
もっと幼い。
画面の中の幼い蓮が、その子供へ手を伸ばしている。
『これ、兄ちゃんには内緒だよ』
幼い蓮が笑う。
『俺が拾ったんだから』
映像がそこで止まった。
蓮は動けなかった。
「……俺は」
自分の記憶にない光景。
青年が静かに言う。
「思い出せ」
「お前が十年前に拾ったものは――」
モニターの映像が切り替わる。
そこに映ったのは、一枚の記録だった。
**【実験体・神谷蓮】**
**【適合率23%】**
**【分離された魂――第一号】**
蓮は息を呑む。
そして、その下に書かれた最後の一文を見た。
**【第二号――未確認】**
「……第二号?」
青年が笑う。
「そう」
研究室のさらに奥。
閉ざされていた扉が、ゆっくりと開き始めた。
「俺たちだけじゃない」
その向こうから。
また一つ。
人間の気配が現れた。
「この施設には――」
青年が呟く。
「もう一人いる」
蓮は刀を握り直した。
そして。
暗闇の中から、誰かがゆっくりと歩いてくる。
その姿を見た瞬間。
蓮の胸の奥で、特殊妖魂が激しく脈打った。




