第23話 もう一人の神谷蓮
―――――――――――――
**長野県上田市・旧研究施設地下深部**
**午後九時三十二分**
―――――――――――――
「……俺と、よく似た声?」
蓮は階段の先を見つめていた。
妖気感知が、暗闇の奥にいる存在を捉えている。
人間。
少なくとも、完全な妖怪ではない。
それなのに。
感じる妖気は異常なほど強かった。
「蓮」
背後から零の声がする。
「行くな」
蓮が振り返る。
「兄貴?」
零は険しい表情をしていた。
「この先には……俺も知らない場所がある」
「知らない?」
「ああ。研究員たちですら、あそこには簡単に入れなかった」
零は一度、言葉を切った。
「俺が実験を受けていた場所は、もっと上だ」
「じゃあ、あそこは?」
「……分からない」
蓮は階段へ向き直った。
分からない。
その言葉を聞いたからこそ、行く理由ができた。
十年前の自分。
兄。
妖魂。
そして、自分の中に眠る特殊妖魂。
全部がこの地下に繋がっている。
「行くよ」
「蓮!」
「大丈夫」
蓮は振り返らずに答えた。
「今度は逃げない」
零は何も言わなかった。
ただ、しばらく蓮の背中を見つめていた。
やがて、小さく頷く。
「……分かった」
三人は階段を下りていった。
―――――――――――――
階段の先には、巨大な鉄扉があった。
扉には、見慣れた「拾」の文字。
その下には、もう一つの文字が刻まれている。
**「器」**
蓮は扉に手を触れた。
瞬間。
胸の奥の特殊妖魂が反応した。
ドクン。
鉄扉の奥からも、同じような鼓動が返ってくる。
ドクン。
ドクン。
「……中に、何かいる」
蓮が呟く。
政府職員が身構えた。
「妖怪?」
「分からない」
蓮が扉を押す。
重い扉が、ゆっくり開いていく。
その先にあったのは、巨大な研究室だった。
中央に一台の椅子。
その椅子に、青年が座っている。
年齢は二十歳前後。
黒い髪。
細身の身体。
白い肌。
そして――。
顔が、蓮とよく似ていた。
「……誰だ」
蓮が刀を構える。
青年はゆっくり顔を上げた。
「やっぱり、分からないか」
「何?」
「俺の顔を見ても、何も思い出さないんだな」
青年が立ち上がる。
その瞬間。
蓮の妖気感知が反応した。
妖気の量は零号以上。
それなのに、青年の姿は完全な人間に見える。
「お前……人間なのか?」
「一応な」
青年は笑った。
「名前は?」
蓮が尋ねる。
青年は少しだけ考えたあと、答えた。
「神谷蓮」
蓮の目が見開かれる。
「……何?」
「俺も神谷蓮だ」
「ふざけるな」
蓮が一歩踏み出す。
「俺が神谷蓮だ」
「知ってる」
青年は落ち着いたままだ。
「だから、俺も神谷蓮なんだ」
零が震えた。
「そんな……」
青年が零を見る。
「久しぶりだな、零」
零の顔から血の気が引いた。
「……お前……」
「覚えてるか?」
青年が笑う。
「十年前、ここで一緒に実験を受けた」
零は首を横に振る。
「違う……」
「何が違う?」
「お前は……死んだはずだ」
青年の笑みが消えた。
「そうだな」
一瞬だけ、寂しそうな顔をする。
「俺は十年前に一度、死んだ」
蓮は刀を下ろさない。
「どういうことだ」
青年は蓮を見る。
「俺は、お前の中に入った」
「……!」
蓮の胸が熱くなった。
特殊妖魂が激しく反応する。
《特殊妖魂――共鳴》
《対象との関連性を確認》
《魂情報が一致》
蓮は表示を見つめた。
「魂情報が……一致?」
青年が笑った。
「ようやく会えたな」
「お前は……誰なんだ」
青年は自分の胸に手を当てた。
「俺は、十年前のお前だ」
蓮の頭が真っ白になる。
「……意味が分からない」
「分からなくていい」
青年は一歩近づいた。
「まだ全部思い出していないからな」
「だったら教えろ」
蓮は刀を握り直した。
「俺は十年前、何をした?」
青年はしばらく黙っていた。
そして、ゆっくり答える。
「お前は、自分の魂を二つに分けた」
「……魂を?」
「ああ」
青年の胸に、白い光が浮かび上がる。
「研究員たちは、お前を最高適合者として扱っていた」
「妖魂適合率23%」
「そう」
青年が頷く。
「けれど、それは完成した数字じゃない」
蓮の胸が再び脈打つ。
「お前には、妖怪の魂を受け入れるための特殊な器があった」
「俺の……器」
「そうだ」
青年は続けた。
「研究員たちは、その器を完全にするため、お前の魂そのものを改造しようとした」
零が口を挟む。
「だから俺が蓮を逃がした」
「ああ」
青年が零を見る。
「お前は正しかった」
零が目を伏せる。
青年は蓮へ視線を戻した。
「けれど、逃げる直前」
青年の表情が変わった。
「お前自身が選んだ」
「俺が?」
「そうだ」
青年は静かに告げる。
「お前は、自分の魂の一部を切り離した」
蓮の脳裏に、十年前の光景が浮かぶ。
白い部屋。
警報。
泣いている自分。
兄の手。
そして。
黒い光。
幼い蓮が、自分の胸へ手を当てている。
『これを……持っていって』
誰かに向かって言っている。
誰だ。
思い出せない。
「俺は……誰に魂を渡した?」
青年が答える。
「俺に」
蓮の目が見開かれる。
「……お前に?」
「そう」
青年は胸を指差した。
「お前が切り離した魂の一部を、俺が受け取った」
「じゃあ、お前は……」
「お前の魂から生まれた」
静寂。
誰も言葉を発しなかった。
青年は続ける。
「俺は、お前の中にあった『妖怪を受け入れる部分』だけを切り離した存在だ」
蓮の背筋に寒気が走る。
「だから俺とお前は似ている」
「魂の一部が同じだから」
青年は頷く。
「そして、お前が今まで拾ってきた妖魂」
蓮の周囲に浮かぶ保護妖魂を見る。
「それらは、俺にとっても餌になる」
その瞬間。
青年の身体から、凄まじい妖気が溢れた。
政府職員が後退する。
零も壁へ手をついた。
「蓮……!」
青年の目が赤く染まる。
「俺は十年間、ここで待っていた」
「何のために?」
「お前が、もう一度ここへ戻ってくるために」
蓮が刀を構える。
「俺をどうするつもりだ」
青年は笑った。
「一つになる」
「……!」
「俺は、お前の失った半分」
「お前は、俺の残り半分だ」
青年が手を広げる。
「戻ろう」
「十年前の、完全な神谷蓮へ」
蓮は一歩も動かなかった。
「断る」
青年の笑みが消える。
「そう言うと思った」
その瞬間。
研究室の床が開いた。
無数の妖魂が吹き上がる。
青年がそれらを吸収する。
妖気が膨れ上がった。
「なら、力ずくで戻す」
蓮は刀を構える。
右腕には黒い光が灯る。
妖魂保護で守った魂たちが、その周囲を舞う。
「俺は俺だ」
青年を睨む。
「十年前の俺が何を選んだとしても、今の俺が決める」
「……そうか」
青年が笑った。
「なら、試してみよう」
二人が同時に踏み込んだ。
拳と拳がぶつかる。
地下研究室が震えた。
その衝撃の中で。
蓮の視界に、新しい表示が浮かぶ。
《特殊妖魂――同一魂源を確認》
《統合可能》
《統合した場合、妖魂適合率が大幅に上昇します》
《警告》
《人間性の維持が困難になる可能性があります》
蓮はその文字を見つめた。
そして。
ゆっくりと拳を握る。
「……絶対に、統合なんかしない」
その言葉を聞いた青年が笑った。
「なら――」
赤い目が輝く。
「お前を倒して、俺が全部拾う」
二人の間で、黒い妖気が爆発した。




