第21話 十年前に拾ったもの
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**長野県上田市・旧研究施設地下最深部**
**午後九時二十分**
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ドン――。
また、巨大な足音が響いた。
床が震える。
天井から細かな砂埃が落ちてくる。
蓮は刀を構えたまま、暗闇の奥を睨んでいた。
妖気感知が、これまで感じたことのないほど濃密な妖気を捉えている。
「……来る」
蓮が呟いた直後。
暗闇から巨大な腕が伸びた。
壁を掴み、そのまま何かが姿を現す。
最初に見えたのは、角だった。
一本。
二本。
三本。
頭部から生えた無数の角。
続いて、四本の腕。
全身を覆う黒い皮膚。
その胸には、巨大な白い紋様が浮かんでいる。
大きさは、先ほどまでの実験体とは比較にならない。
ゆっくりと姿を現しただけで、地下空間そのものが狭く感じられるほどだった。
「……あれは……」
政府職員が息を呑む。
零の顔からも血の気が引いた。
「知ってるのか?」
蓮が尋ねる。
零はしばらく黙っていた。
そして、震える声で答えた。
「……知ってる」
「名前は?」
「名前なんてない」
零は巨大な妖怪を見つめる。
「研究員たちは、あれを……『零号』と呼んでいた」
蓮の眉が動く。
「零号?」
「最初の実験体だ」
その言葉と同時に、巨大な妖怪が顔を上げた。
赤い目が蓮を捉える。
「……神谷……蓮」
低い声が響いた。
人間の声だった。
蓮は刀を握り直す。
「お前も俺を知っているのか」
「知っている」
零号はゆっくりと歩き出した。
「十年前……お前はここにいた」
その瞬間。
蓮の頭の中に、また記憶が流れ込んだ。
白い壁。
冷たい床。
研究員たち。
そして、幼い自分。
十一歳の蓮は、椅子に座らされていた。
腕には無数の管が繋がっている。
目の前には黒い妖魂。
研究員が言っていた。
『神谷蓮、妖魂適合実験を開始します』
幼い蓮は怯えていた。
その隣には、兄の零がいた。
『やめろ!』
零が研究員に掴みかかる。
けれど、大人たちに取り押さえられる。
『零、動くな』
『蓮に触るな!』
その声。
その光景。
蓮の記憶が、さらに深く蘇っていく。
そして。
黒い妖魂が、幼い蓮の胸へ押し込まれた。
「……っ!」
蓮は頭を押さえた。
「蓮!」
零が叫ぶ。
「大丈夫だ」
蓮は息を整えた。
まだ記憶の一部しか戻っていない。
それでも分かった。
自分は確かに、十年前ここにいた。
妖魂適合実験を受けていた。
そして。
何かを拾った。
「……俺は、何を拾ったんだ」
蓮が呟く。
零号が答える。
「魂だ」
「妖魂か?」
「違う」
零号の口元が歪む。
「人間の魂だ」
蓮の目が見開かれた。
「……人間?」
「そうだ」
零号は胸の白い紋様を指差した。
「この施設では、妖怪の魂だけを扱っていたわけじゃない」
「人間の魂も研究していた」
政府職員が青ざめる。
「そんな……」
「妖魂を人間に移植する」
零号の声が地下に響く。
「その逆も試していた」
蓮は黙って零号を見つめた。
「妖怪の魂に、人間の魂を入れる」
零号が笑う。
「それが俺だ」
蓮の視線が零のほうへ向く。
兄は黙っていた。
何も言わない。
それだけで、答えは分かった。
「……兄貴」
「俺は……何度も実験を受けた」
零が静かに口を開く。
「お前を逃がしたあとも、俺はここに残った」
「どうして……」
「お前を守るためだ」
零は弱々しく笑った。
「研究員たちは言っていた。蓮には特別な適合性があるってな」
蓮は拳を握った。
「だから俺を逃がして……」
「そうだ」
零が頷く。
「俺が代わりになった」
沈黙が落ちる。
そのときだった。
零号が突然、腕を振り上げた。
「話は終わりだ」
轟音。
拳が床へ叩きつけられる。
蓮は零と政府職員を抱えて横へ飛んだ。
床が大きく陥没した。
「下がって!」
蓮が叫ぶ。
政府職員が零を支える。
「神谷君!」
「兄貴を頼みます!」
「分かった!」
蓮は一人、零号へ向き直った。
巨大な妖怪が四本の腕を広げる。
「来い」
その声には、奇妙な感情が混じっていた。
「お前が何を拾ったのか」
「俺に見せてみろ」
蓮が踏み込む。
「鬼腕!」
拳と拳がぶつかった。
衝撃波が地下空間を駆け抜ける。
蓮の身体が吹き飛んだ。
壁へ叩きつけられる。
「ぐっ……!」
想像以上の力だった。
金剛体を使っていても、腕が痺れている。
零号はゆっくり近づいてくる。
「弱いな」
「……そうかよ」
蓮は立ち上がった。
「なら、これならどうだ!」
風刃。
巨大な斬撃が零号の胸へ走る。
一瞬。
零号の身体に傷が入った。
ところが。
傷が閉じる。
「再生……!」
「違う」
零号が答えた。
「これは、再生じゃない」
胸の白い紋様が光る。
「吸収だ」
その言葉と同時に、床に落ちていた無数の妖魂が零号の身体へ吸い込まれていった。
「なっ……!」
蓮が目を見開く。
零号の身体がさらに膨れ上がる。
妖気が跳ね上がった。
「この施設に保管されていた妖魂は、すべて俺の餌になる」
零号が笑う。
「お前が守ろうとした魂もな」
蓮の周囲に浮かんでいた妖魂が震え始める。
妖魂保護で守っていた魂まで、引き寄せられている。
「……させるか」
蓮は両手を広げた。
「妖魂保護!」
黒い魂が一斉に輝く。
零号へ向かっていた妖魂が、その場に踏みとどまった。
零号の表情が初めて変わる。
「……その力」
「返してもらう」
蓮は一歩踏み出した。
「この魂は、お前のものじゃない」
風刃。
鬼腕。
金剛体。
そして伸縮。
すべての力を一つに重ねる。
蓮の拳が、零号の胸へ叩き込まれた。
「うおおおおおっ!」
轟音。
白い紋様が大きくひび割れる。
零号の巨体が後ろへ吹き飛んだ。
地下施設の壁が崩れる。
「まだ……終わってない!」
蓮は追撃しようとした。
その瞬間。
零号の胸から、黒い光が漏れた。
蓮の妖魂解析が自動的に発動する。
《特殊妖魂を検知》
《解析を開始します》
蓮の視界に、無数の情報が流れ込んできた。
そして。
その中に、一つだけ見覚えのある魂があった。
「……これ……」
十年前。
幼い蓮が拾ったもの。
それは妖怪の魂ではなかった。
人間の魂でもない。
もっと異質なもの。
妖怪の魂と人間の魂、その境界に存在する――何か。
《対象情報を確認》
《神谷蓮・初期適合魂》
蓮の呼吸が止まる。
《十年前、対象者に移植された特殊妖魂》
《現在も対象者内部に存在》
「……俺の中に?」
零号が笑った。
「ようやく気づいたか」
その声が響く。
「お前が十年前に拾ったものは――」
零号の赤い目が、蓮を見つめる。
「今も、お前の中にいる」
蓮の胸が、大きく脈打った。
ドクン。
身体の奥で。
何かが目を覚ました。
《警告》
《特殊妖魂が反応しています》
《妖魂適合率――23%》
《変動を確認》
――24%。
数字が変わった。
蓮は自分の胸を押さえる。
「……適合率が……」
そして地下施設の奥。
誰もいないはずの暗闇から、男の声が響いた。
『そうだ』
『それが君の本当の始まりだよ、神谷蓮』
蓮は顔を上げる。
『次は、その魂を――自分で拾ってみるといい』
通信が切れた。
地下に静寂が戻る。
蓮は刀を握り直した。
目の前には、まだ零号が立っている。
そして自分の中では。
十年間眠っていた何かが、ゆっくりと目を開こうとしていた。




