第18話 地下に眠るもう一人
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**長野県上田市・旧研究施設地下**
**午前十一時五十七分**
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地下室の奥から、かすかな音が聞こえた。
――コツ。
――コツ。
何かが、ゆっくりと歩いている。
蓮は刀を抜いた。
隣にいた政府職員も、すぐに武器を構える。
「神谷さん……あれは?」
「分かりません」
蓮は妖気感知を集中させた。
奥にいる存在から、確かに妖気が感じられる。
それもかなり濃い。
けれど、妙だった。
「妖怪じゃない」
「え?」
「妖気はある。でも、妖怪特有の妖気じゃない」
蓮は暗闇を見つめる。
人間に近い。
それなのに、人間とも言い切れない。
そんな気配だった。
やがて。
暗闇の向こうから、一人の男が姿を現した。
白髪。
痩せた身体。
黒い服。
年齢は五十代ほどに見える。
男は蓮を見ると、足を止めた。
「……本当に、来たのか」
蓮は刀を下ろさない。
「誰だ?」
男は答えなかった。
代わりに、蓮の顔をじっと見つめる。
「大きくなったな」
「……?」
「いや」
男は首を振った。
「お前は、昔からその顔だった」
蓮の眉が動く。
「俺を知っているのか?」
「ああ」
男は静かに答えた。
「十年前から知っている」
蓮の手に力が入った。
「だったら教えてくれ」
一歩前へ出る。
「俺は十年前、ここで何をしていた?」
男はしばらく黙っていた。
そして。
「お前は何もしていない」
「……何?」
「何も覚えていないんだな」
「そういうことだ」
男の目が寂しそうに細くなる。
「それなら、まだ間に合う」
「何が?」
「お前が、お前でいられるうちならな」
蓮は意味が分からなかった。
「どういう意味だ?」
男は蓮の手元を見る。
「妖魂を拾っているんだろう?」
「ああ」
「何個だ?」
「……それが何の関係がある?」
「答えろ」
蓮は男を睨む。
「それを知ってどうする?」
「お前が、どこまで進んでいるのか確認したい」
蓮は黙った。
男は小さく息を吐く。
「鬼」
蓮の目が細くなる。
「餓鬼」
「……」
「河童」
「なぜ知ってる?」
「大百足、天狗、ろくろ首、大鬼……」
男が一つずつ名前を挙げていく。
百目鬼。
試験体・零七。
蓮の身体に宿る妖魂を、すべて知っている。
「どうしてそこまで知っている?」
男は答えず、蓮の胸元を指差した。
「今、何か変化を感じないか?」
「……変化?」
蓮は自分の身体に意識を向けた。
すると。
胸の奥が、わずかに熱を持っている。
「……何だ、これ」
男の表情が険しくなる。
「始まったか」
「何が始まった?」
「妖魂が、お前の身体を食い始めた」
蓮は言葉を失った。
「……食う?」
「妖魂を拾うたび、お前は強くなる」
男は淡々と説明する。
「それは間違いじゃない。お前の能力は本物だ」
男が一歩近づく。
「でもな。妖怪の力を取り込むということは、妖怪の魂を自分の中へ入れるということだ」
「……」
「人間の身体に、妖怪の魂を何個も入れ続ければどうなると思う?」
蓮は答えられなかった。
「身体が耐えられなくなる」
男が言った。
「ある一定の量を超えた時、お前自身の魂と妖魂の境界がなくなる」
政府職員が息を呑む。
「それは……妖怪になるということですか?」
「そうだ」
男は答えた。
「最終的にはな」
蓮は自分の手を見る。
これまで、妖怪を倒すたびに強くなってきた。
それが嬉しかった。
追放された自分でも、戦える。
誰にも必要とされなかった自分が、誰かを守れる。
その力が。
自分自身を壊す可能性がある。
「……なら」
蓮は顔を上げた。
「俺は、どこまでなら大丈夫なんだ?」
男は答えなかった。
代わりに、蓮の胸元を見つめる。
「二十三パーセント」
「適合率?」
「ああ」
「それが限界なのか?」
「違う」
男の声が低くなる。
「二十三パーセントは、お前が今の段階で持っている適合率だ」
蓮は目を見開いた。
「まだ上がるのか?」
「上がる」
「どこまで?」
「百まで」
地下室に沈黙が落ちる。
「百になったら?」
男は答えた。
「人間ではなくなる」
蓮は拳を握った。
それでも、目を逸らさなかった。
「だったら、そこまで行かなければいい」
「簡単に言うな」
男の声に初めて苛立ちが混じった。
「お前は知らないんだ」
「何を?」
「十年前のお前が、どうなったのかを」
蓮は男を見る。
「俺は十一歳だった」
「ああ」
「その頃から妖魂適合実験を受けていた」
「ああ」
「だったら、俺は一度――」
蓮は言葉を止めた。
胸の奥に、何かが浮かんだ。
知らないはずの記憶。
暗い部屋。
白い光。
誰かの声。
『蓮、目を閉じて』
幼い自分の声が聞こえる。
『怖くないよ』
誰かが答えている。
『俺が一緒にいるから』
そして。
もう一人の少年。
黒い札を持っている。
「……兄?」
蓮の口から、無意識に言葉が漏れた。
男の顔が変わった。
「思い出したか」
「今のは……誰だ?」
「お前の兄だ」
「俺に兄はいない」
「今はな」
蓮の呼吸が止まる。
「どういう意味だ?」
「お前の兄は、十年前に消えた」
「……名前は?」
男は答える前に、地下室の奥を振り返った。
その瞬間。
巨大な音が響いた。
――ドンッ!
施設全体が揺れる。
「何だ!」
政府職員が叫ぶ。
妖気感知が一気に反応した。
先ほどまで地下の奥にあった妖気が、急激に膨れ上がっている。
「下がって!」
蓮が叫ぶ。
壁が砕けた。
地下室のさらに奥から、黒い腕が伸びてくる。
「妖怪……!」
政府職員が銃を構える。
男は動かない。
「違う」
蓮が妖魂解析を発動する。
見えた。
黒い腕の中に、巨大な妖魂が流れている。
けれど。
その中心には人間の魂がある。
「人間……?」
蓮が呟く。
壁を突き破り、巨大な影が姿を現した。
身長は三メートルほど。
身体は黒い妖気に覆われている。
顔は人間に近い。
そして。
その目を見た瞬間。
蓮は凍りついた。
「……俺?」
顔立ちが似ている。
目元も。
鼻も。
口元も。
まるで血の繋がった家族のように。
その存在が、蓮を見た。
「……れん」
かすれた声。
蓮の胸が強く締めつけられる。
「俺の名前を……」
黒い存在が一歩進む。
「……蓮」
もう一度。
今度は、はっきりと呼んだ。
男が静かに告げる。
「紹介しよう」
そして。
「お前の兄――神谷零だ」
蓮は言葉を失った。
十年前に消えた妖怪拾い。
研究施設。
妖魂適合実験。
そして。
目の前に現れた、妖怪の姿をした兄。
神谷零は、蓮を見つめながらゆっくりと口を開いた。
「……蓮」
その声は、苦しそうだった。
「俺を……拾ってくれ」
蓮の目の前に、黒い妖魂が浮かび上がった。
その瞬間。
《特殊妖魂を確認》
《対象――神谷零》
《取得した場合、現在の妖魂適合率が大幅に上昇する可能性があります》
《警告》
《対象妖魂の取得は推奨されません》
蓮は動けなかった。
目の前にいるのは敵なのか。
妖怪なのか。
それとも。
十年前に失った、ただ一人の家族なのか。
蓮は刀を握ったまま、兄を見つめた。
そして。
初めて、妖魂を拾うことをためらった。




