第15話 俺の名前を知る妖怪
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**長野県上田市・市街地外縁**
**午前七時四十二分**
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山間に囲まれた上田市の一角で、朝の静けさを切り裂くように警報が鳴り響いていた。
道路は封鎖され、警察車両と妖異対策本部の特殊車両が並んでいる。
周囲には住民の姿がない。
避難誘導はすでに終わっていた。
「……ここが現場です」
政府職員の女性が車から降りながら言った。
神谷蓮も続いて地面へ足をつける。
東京から長野までは、政府の用意した車で移動してきた。
その間、蓮はほとんど眠らなかった。
頭から離れなかったからだ。
『神谷蓮は、どこにいる?』
百目鬼の言葉とは違う。
あの妖怪は、自分が妖魂を拾っていることを知っていた。
今回の妖怪は――蓮の名前を知っている。
「現在、現場周辺には妖気遮断処理を施しています。一般の討伐士は近づけていません」
「被害は?」
「現時点では死者なし。ただし……」
女性がタブレットを操作する。
「現場から半径三百メートル以内にいた人間、十二名が意識を失っています」
「妖怪に襲われたんですか?」
「それが分かりません」
女性は画面を蓮へ向けた。
映っていたのは、商店街の監視カメラ映像だった。
道路を歩いていた男性が、突然その場に立ち止まる。
次の瞬間。
糸が切れた人形のように、地面へ倒れた。
周囲の人間も同じだった。
「接触した様子はありませんね」
「はい」
「攻撃も見えない」
「その通りです」
蓮は画面を見つめた。
何かがおかしい。
百目鬼との戦いで手に入れた――妖魂解析。
あれを使えば、妖怪の妖気の流れを見ることができる。
蓮は目を閉じた。
意識を集中する。
すると。
周囲の景色が、少しだけ変わった。
建物。
道路。
電柱。
そのすべてに、薄い妖気の糸が絡みついている。
「……糸?」
「何か見えますか?」
「はい」
蓮は道路の先を指差した。
「妖気が、あそこから伸びています」
女性の表情が変わる。
「本当に?」
「地下です」
蓮はゆっくり歩き始めた。
「かなり広い範囲に広がってる。人を攻撃しているというより……」
足を止める。
「探している」
「何を?」
「たぶん、俺を」
女性が息を呑んだ。
その瞬間だった。
『――見つけた』
声がした。
男とも女ともつかない、不気味な声。
周囲には誰もいない。
蓮が振り返る。
道路にも、建物の屋上にも、誰の姿もなかった。
それでも声は聞こえた。
『神谷蓮』
今度は、はっきりと名前を呼ばれた。
「……どこにいる?」
『近い』
地面が揺れた。
道路のアスファルトに亀裂が走る。
「下がって!」
蓮は女性の腕を掴み、後方へ引いた。
次の瞬間。
地面が爆発した。
アスファルトと土砂を巻き上げながら、巨大な何かが地中から姿を現す。
全長は十メートル近い。
四本の腕。
獣のような脚。
身体は黒い毛に覆われ、その表面には無数の白い紋様が浮かんでいた。
顔には目が一つしかない。
その巨大な瞳が、まっすぐ蓮を見る。
「……妖怪」
女性が呟いた。
政府のデータベースには存在しない。
どの妖怪にも似ていない。
それでも蓮には分かった。
あれは、百目鬼と同じだ。
妖気の流れが不自然だった。
身体の中に、本来なら存在しないはずの妖力の経路が何本も走っている。
「妖魂解析……」
蓮が能力を発動する。
視界が切り替わった。
妖怪の内部にある妖気が、鮮明に浮かび上がる。
中心部。
心臓のように脈打つ黒い塊。
その周囲を、何かが包んでいる。
「……これは」
蓮は目を細めた。
妖魂の中に、人間の術式らしきものが刻まれていた。
百目鬼にもあったものと同じだ。
「誰かが、こいつを作った?」
『作った……?』
妖怪が首を傾けた。
『違う』
巨大な口が開く。
『私は、呼ばれた』
「誰に?」
『お前を知る者』
蓮の表情が変わった。
「誰だ?」
『お前も知っている』
「……俺が?」
『十年前』
その言葉を聞いた瞬間。
蓮の胸の奥がざわついた。
「十年前に何があった?」
『妖怪が現れた』
「それは知ってる」
『人間は、妖怪を恐れた』
妖怪の巨大な瞳が細くなる。
『そして、一人の人間が妖怪を拾った』
蓮は息を止めた。
政府職員も、言葉を失っている。
「……妖怪を拾った?」
『そうだ』
妖怪はゆっくりと四本の腕を広げた。
『お前と同じだ』
蓮の背筋に冷たいものが走る。
「十年前にも……妖怪拾いがいた?」
『いた』
「そいつは誰だ?」
『知らない』
「なら、何を知ってる?」
『お前を待っている』
妖怪の身体から、凄まじい妖気が噴き出した。
「っ!」
蓮は反射的に腕を交差する。
直後。
地面が大きく陥没した。
妖怪の拳が、蓮の目の前を通過する。
轟音。
衝撃波。
蓮の身体が十メートル近く吹き飛ばされた。
「神谷さん!」
女性の声が響く。
蓮は地面を転がりながら体勢を立て直した。
「……速い」
鬼腕で受けた。
それでも腕が痺れている。
金剛体がなければ、骨が折れていたかもしれない。
妖怪は追撃してこなかった。
ただ、蓮を見ている。
『お前は、まだ弱い』
「……そうかよ」
蓮は立ち上がった。
刀を抜く。
「なら、強くなるまで付き合ってもらう」
妖怪の口元が、不自然に歪んだ。
『そうだ』
その声には、笑っているような響きがあった。
『それでいい』
蓮の足元に風が集まる。
天狗から得た風刃。
腕が伸びる。
ろくろ首から得た伸縮。
身体の内部で妖力が膨れ上がる。
鬼腕。
金剛体。
これまで拾ってきた力を、一つずつ重ねていく。
そして蓮は気づいた。
目の前の妖怪は、百目鬼とは違う。
百目鬼は能力を模倣した。
こいつは――蓮がどんな能力を持っているのか、最初から知っている。
「お前……俺を知ってるな」
『知っている』
「どこまで?」
『お前が拾った妖魂』
妖怪の瞳が、赤く輝いた。
『鬼』
蓮の心臓が跳ねる。
『餓鬼』
冷たい汗が背中を流れる。
『河童』
妖怪が一歩、前へ出る。
『大百足』
さらに一歩。
『天狗』
蓮は刀を握り直した。
『ろくろ首』
そして。
『大鬼』
最後の言葉が響いた瞬間。
妖怪の周囲に、黒い妖気が渦巻いた。
『全部、知っている』
「……何者だ、お前」
『私は――』
妖怪が腕を振り上げる。
『お前を迎えに来た』
直後。
蓮も地面を蹴った。
風刃が空を裂く。
黒い妖気と白い風が正面からぶつかり、上田の街に凄まじい轟音が響き渡った。
そして。
妖怪の胸元に、ほんの一瞬だけ文字のようなものが浮かび上がる。
蓮の妖魂解析が、それを捉えた。
――識別番号。
――**試験体・零七**
「……試験体?」
その言葉を聞いた妖怪が、初めて動きを止めた。
『……見えたか』
「何をした?」
『お前なら、いずれ分かる』
妖怪の身体から、さらに巨大な妖気が噴き上がる。
『お前が十年前の続きを拾う、その時にな』
蓮は刀を構え直した。
その目から、迷いが消える。
十年前。
最初の妖怪災害。
最初の妖怪拾い。
そして、自分の能力。
すべてが一本の線で繋がり始めている。
なら。
目の前の妖怪を倒せば、その線の先が見えるかもしれない。
「だったら――」
蓮は静かに息を吐いた。
「全部、拾ってやる」
黒い妖怪が咆哮した。
第二の戦いが、始まった。




