休日
それから数日、俺は魔獣解体場の日雇いを続けた。仕事そのものにも少しずつ慣れ、最初は毎回確認していた道具の置き場所も、今では半分くらいなら迷わず動ける。
支援魔法の練習も休憩時間や手の空いた時にナギさんへ付き合ってもらい、数秒なら安定して合わせられるようになっていた。
劇的に何かが変わったわけではない。それでも、昨日より今日の方が少しだけできることが増えている。
その感覚は、地上で数字が減り続ける画面を眺めていた頃よりずっと気分がよかった。
「水原さん」
仕事を終えて作業着を返却していると、隣のロッカーを閉めたナギさんが声をかけてきた。
「今日、このあと何かあります?」
「特にないです。寮帰って飯食うくらいですけど」
「じゃあ、青灯亭寄ってきません?」
俺が頷くと、ナギさんは「じゃ、行きましょ」と先に歩き出した。
◇
夕方の青灯亭は前に来た時より少し混んでいた。仕事帰りらしい作業着姿の客と、腰に武器を下げた探索者らしい連中が同じ店で飯を食っている。油の弾ける音と焼けた肉の匂いが入口まで流れてきて、腹が急に仕事を思い出した。
「いらっしゃいませ。あ、水原さん……とナギさん」
朝倉さんが俺を見て、それから隣のナギさんを見る。ほんの一瞬だけ何か言いたそうな顔をしたが、奥の2人席へ案内してくれた。
「今日のおすすめ何です?」
「岩鱒の香草焼き定食です。あと洞窟芋のチーズ焼き。揚げ物なら、岩猪と洞窟玉葱の包み揚げもありますよ。揚げたてなので少し時間かかりますけど」
「じゃあ私は岩鱒で」
「俺もそれにします。洞窟芋は?」
「食べます」
「即答」
「おすすめは、迷ってる間になくなるので」
朝倉さんが笑いながら注文を書きつける。そこでナギさんの視線が、まだ消されていない揚げ物の欄へもう1度戻った。
「包み揚げはどうします?」
ナギさんが俺を見る。たぶん聞いているだけなのに、何となく意味は分かった。
「頼みましょう」
「じゃあ、それも1つ」
「結構食べますね」
「2人なので」
注文を終えると、ナギさんは何でもない顔で水を1口飲んだ。食べ物が絡むと判断が速い。ここ数日で、そのあたりはかなり分かってきた。
先に運ばれてきた岩鱒は、表面に刻んだ香草と塩がまぶされ、皮が薄く焦げていた。箸を入れると脂の乗った身がほろっと崩れ、香草の青い香りがあとから抜けていく。洞窟芋は地上のじゃがいもより少し甘く、溶けたチーズと黒胡椒がやたら合った。
「……これも当たりだな」
「でしょう」
なぜかナギさんが少し得意そうだった。店を選んだ本人としては、自分が褒められたような気分になるらしい。
しばらくは仕事の話をしながら食べた。今日の洗浄は5本同時まで試したが、最後は俺の集中が先に切れたこと。ナギさん曰く、4本までなら明らかに楽で、5本目は「水原さんの方が邪魔になりかけてました」とのことだった。
「まだそこまで分かるんですね」
「分かりますよ。人の魔法ですから」
「怖いなあ、採点されるの」
「ちゃんと上手くなったら褒めます」
「今は?」
「まあ、便利です」
ナギさんは何でもない顔で岩鱒の皮を箸で切った。褒めているのかどうか微妙な言葉なのに、前よりは悪く聞こえない。
料理が半分ほど減ったところで、ふと明日の予定を思い出した。ここ数日は日雇いを詰めていたが、さすがに1日くらい休めと寮の管理人にも言われ、明日は仕事を入れていない。
「そういえば、ナギさんって休みの日何してるんです?」
何となく聞いただけだった。ナギさんは口に入れていた芋を飲み込み、少しだけ首を傾げる。
「色々です。寝てる日もありますし、買い物したり。あと、迷宮行ったり」
「……迷宮?」
「はい」
「ダンジョンの?」
「ほかに何があるんです?」
箸が止まった。地下へ来てから何度も『探索者募集』『迷宮素材買い取り』みたいな文字は見ていたし、駅前を武器持ちが歩いているのも見た。それでも、自分が知っている人間の口から「休日に迷宮へ行く」という言葉が出てくると、急に現実味が変わる。
「ナギさん、探索者なんですか?」
「登録はしてますよ。浅いところしか行かないですけど」
「聞いてないです」
「言ってないので」
ナギさんが探索者。解体場で水を操っている姿と、迷宮で魔獣を相手にしている姿はなかなか結びつかない。
「何しに行くんです? 討伐とか?」
「採取が多いです。浅層で茸と薬草見て、いたら小型の魔獣を少し。素材も売れますし」
「休みの日に仕事してるじゃないですか」
「半分趣味です」
「ナギさん、意外とアクティブですね」
「よく言われます」
気だるげな見た目だけなら、休日は昼まで寝ていそうなのに。本人は別に否定しなかったので、そういう日も普通にあるらしい。
ただ、迷宮という単語を聞いてから、頭の中では別のものが動き始めていた。地上にいた頃、地下の映像でしか見たことのない場所。光る苔、巨大な茸、地下河川、魔獣。危険なのは分かっているのに、1度くらい自分の目で見てみたいという気持ちが勝手に膨らんでいく。
「ダンジョンって、初心者でも入れるんですか?」
ナギさんの箸が止まった。俺の顔を見て、何を考えているのか確認するみたいに数秒黙る。
「……行きたいんです?」
「ちょっと」
「その『ちょっと』、魔法の時も聞きました」
ナギさんは小さく息を吐いた。
「1人でいきなり入るのはやめた方がいいです。浅層でも普通に怪我しますし、道間違える人もいるので」
「ですよね」
「でも、興味あるのは分かります。私も最初に入った時は、怖いより先に色々見たくなりましたから」
「ナギさんでも?」
「最初から慣れてる人はいないですよ」
そう言ってから、ナギさんは少しだけ真面目な顔になった。
「ただ、怖くなったら帰る。危ないと思ったら引く。迷宮って、奥まで行った人が偉い場所じゃないので」
「なるほど」
「そこ守れない人から怪我します」
普段の淡々とした口調のままなのに、その言葉だけは妙に重かった。何度か実際に潜ってきた人間の言い方だった。
「お待たせしましたー。岩猪と洞窟玉葱の包み揚げです。中かなり熱いので気をつけてくださいね」
真面目な空気を割るように、朝倉さんが湯気の立つ皿を置いた。薄い衣の隙間から肉汁が滲み、揚げ油と玉葱の甘い匂いが一気に広がる。
「……熱いうちに食べましょう」
「切り替え早くないですか?」
「冷めます」
さっきまで迷宮の危険を真顔で語っていた人とは思えない。俺も1つ取って半分に割ると、ぱりっと衣が砕け、中から湯気と肉汁が溢れた。岩猪の脂を吸った玉葱がとろとろになっている。
「熱っ……でも、うま」
「……おいしい」
ナギさんも少しだけ頬を緩めている。熱さに小さく息を吹きかけながら食べる姿を見ていると、迷宮の話で張っていた気分まで1度ほどけた。
「これ、頼んで正解でしたね」
「だからおすすめは迷わない方がいいんです」
「包み揚げはナギさんが迷ってましたけど」
「あれは量の問題です」
どうやらそこは譲らないらしい。2人で熱々の包み揚げを片づけてから、ナギさんは水を1口飲み、何事もなかったように話を戻した。
「で、水原さん、戦えないですよね」
「急に現実へ戻された」
「大事なので。武器はあります?」
「ないです」
「防具」
「ないです」
「探索者登録」
「なんですか? それ」
並べられると、びっくりするくらい準備が整っていなかった。ナギさんも途中から少し呆れた顔になっている。
「……何しに行くつもりなんです?」
「見学?」
「遠足じゃないですよ」
ですよね、と返しかけたところで、ナギさんがふと手元へ視線を落とした。さっきまでの呆れ顔から、何かを考える顔へ変わる。
「でも」
「でも?」
「水原さんの支援魔法、迷宮でも使えるかもしれないですね」
思っていなかった方向から言葉が飛んできた。
「洗浄だと、細かい揺れを抑えてもらった分だけ別の水流に意識を回せました。戦う時も水を何本か同時に使うことがあるので、同じように楽になるなら……たぶん結構違います」
「戦闘中の魔法にも?」
「魔法は魔法ですから。やってみないと分からないですけど」
胸の奥が少しだけ浮いた。昨日までは解体場の器具洗浄で役に立っただけ。それでも十分嬉しかったのに、もし迷宮で戦うナギさんにも同じように効くなら、【制御補助】が何のための魔法なのか、もっとはっきり見えるかもしれない。
「やってみたいです!」
「でしょうね、顔に出てます」
ナギさんは箸の先で岩鱒の身を少し崩した。さっきまでならすぐ次の言葉が返ってきたのに、そこだけ妙に間があった。やがて水を1口飲み、グラスを置いてから俺を見る。
「……じゃあ、今度一緒に来ます?」
「いいんですか?」
一瞬だけナギさんの視線が手元へ落ちたが、すぐいつもの調子へ戻った。
「浅いところなら。私が前に出るので、水原さんは後ろにいてください。制御補助が使えそうなら試してみましょう」
「行きます」
「返事早いですね」
「ワクワクします」
「遠足じゃないですからね」
呆れた声なのに、口元は少しだけ笑っていた。
ダンジョン。地下へ来る前なら、俺の人生とは1番縁のない言葉だった。それが今は、次の休みの予定として普通に会話の中へ入っている。
「ただし、そのままでは連れていけません」
「ですよね」
「水原さん、前に新人センター行きましたよね?」
「魔法の検査受けたところ?」
「そこです。あそこ、探索者協会の施設なので。探索者になりたい人向けの案内とか講習もやってますよ」
「そうだったんだ」
「興味あるなら、もう1回行ってみたらどうです?」
新人センター。魔法適性を調べてもらって、鳴海先生に【制御補助】を教わった場所だ。あの時は自分が迷宮へ行くなんて考えてもいなかったから、探索者向けの案内なんてほとんど見ていなかった。
「探索者登録もそこで?」
「できます。初心者向けの装備貸し出しもありますし、最初から全部買わなくていいです」
「それは助かる」
「あと、先生がいるなら聞いてみたらいいんじゃないですか。今の状態で、支援魔法を戦闘で使っても大丈夫かって」
それは確かに聞いておきたい。
「明日休みだし、行ってみます」
「じゃあ、ちゃんと話聞いてきてくださいね」
「子供扱いしてません?」
「初めて会った日に自分で滑って、水までかぶってたので。ちょっと心配です」
「……まだそれ覚えてるんですか」
「ふふふ」
完全に面白がっている。
ナギさんは満足そうに水を飲み、会計へ向かうため立ち上がる。明日はただの休日だったはずなのに、いつの間にかもう1度新人センターへ行く予定ができて、その先には迷宮まで待っている。
予定のない明日が、少しずつ減っている。それが今は、悪くなかった。




