相性
翌朝、俺は魔獣解体場へ来ていた。入口で登録証をかざし、貸与された作業着へ着替える。扉の向こうからは、前回と同じ金属臭と湿った空気が流れてくる。2度目だからか、初日ほどは身構えなかった。
昨日覚えたのは、相手の魔法のブレを減らす制御補助。
地味だ。しかも効果はたった数秒。
それでも、昨日から1つだけ試してみたいことがあった。ナギさんの水魔法に使ったら、どうなるんだろう。
「おはようございます」
考えた瞬間、後ろから声がした。振り向くと、ナギさんが作業着姿で立っている。
「おはようございます」
「昨日、いませんでしたね」
「新人センター行ってました。魔法適性の検査で」
「ああ。どうでした?」
「基本属性、全部ダメでした」
「それは残念ですね」
「本当に思ってます?」
口元がほんの少し緩んでいる。絶対ちょっと面白がっている。
「でも、何もなかったわけじゃないんでしょう?」
「支援系だけ突出でした」
今度は、ちゃんと反応が止まった。
「突出?」
「はい。ただ、最初に覚えた魔法はめちゃくちゃ地味でした。相手の魔法のブレを減らすやつです」
「それは地味ですねえ」
その時、奥から「冬木さん、こっちの洗浄もお願い!」と声が飛んできた。
「はーい」
ナギさんが作業台へ向かい、俺も自分の持ち場へ移る。今日は素材を箱へ移して空箱を回収する仕事だった。前回より置き場所や危ない場所が分かる分、ずいぶん動きやすい。
1時間ほどして第3作業台の横を通ると、ナギさんが分解された金属器具を洗っていた。刃の根元、細い管の内側、継ぎ目の溝。指先ほどの水流を3本に分け、それぞれ違う角度へ曲げている。
昨日、鳴海先生が言っていた。制御が細かい魔法ほど恩恵は出やすい。
そう思って眺めていると、1番奥の水流がほんの少しだけ揺れた。
「ナギさん」
「はい?」
「今、昨日覚えたやつ試していいですか?」
ナギさんが3本の水流を止め、俺を見る。
「……私で実験する気ですか?」
「言い方」
「失敗したら?」
「逆に邪魔になるらしいです」
「不安しかないですね」
それでも危険のない洗浄作業なら、と許可してくれた。
俺はナギさんの少し後ろに立ち、右手を向ける。
3本の水流。揺れている場所を見つけて、そこを押さえる。そんなつもりで魔力を伸ばした瞬間、3本目の水流がくいっと横へ逸れた。
作業台の縁へ当たり、水が派手に跳ねる。
「すみません!」
「……今のが支援魔法ですか?」
「の、失敗版です」
「なるほど、急に魔力が操作できなくなったのでびっくりしました」
情けない。俺には3本とも同じような水流に見えていたが、ナギさんは奥の1本だけ弱くしていたらしい。管の先が細く、同じ強さでは跳ね返るからだという。そこで、先生の言葉が蘇る。球じゃなくて、私を見る。
「もう1回だけいいですか?」
「いいですよ。でも仕事中なので、次でダメなら今日は終わりです」
3本の水流が伸びる。今度は水を追わず、ナギさんを見る。指先、手首、視線。息を吐くタイミングで、奥の1本だけ流れが細くなる。全部を整えるんじゃない。ナギさんがやろうとしていることに、ほんの少しだけ沿う。
右手の指先が熱を持った。薄い膜へ触れたような感覚の向こうで、3本の水流がすっと静かになる。止まったのではない。細い水がさっきまでより滑らかに曲がり、管の内側へ入り、継ぎ目を通っていく。
ナギさんの目が少しだけ見開かれた。
今度はうまくいきそうだ。
昨日は3秒だった。今日は5秒、6秒――そこまで数えたところで感覚が抜け、水流が元へ戻った。
「どうでした?」
ナギさんは自分の右手を見て、指を軽く開いたり閉じたりした。
「……これが、支援魔法」
「の、成功版です」
少しドヤ顔で答える。
「今の、もう一回やってもらっていいですか?」
ナギさんの話し方が、普段の気だるげな様子より少しだけ早い。
顔も近い。普段ならほとんど動かない瞳が、今は明らかに興味で光っていた。距離もだいぶ近い。
「できますけど……近くないですか?」
「え」
冷静になったのか、ナギさんはそっと元の位置に戻った。
「……仕事が楽になるので」
目が合わなくなった。
急にテンションが上がってしまったのを恥ずかしく感じている様子だ。
「それより、今度は4本でやってみません?」
「切り替えましたね」
「仕事中なので」
4本目の水流が増える。
さっきより難しかったが、今度は最初からナギさんの意図を追った。
数秒だけ、4本の水が同時に安定する。
昼前には、第3作業台の洗浄が予定より少し早く終わった。通りかかった作業員が並んだ器具を見て「冬木さん、今日早かったね」と首を傾げる。
「この人が変な魔法覚えたので」
「変な魔法」
「褒めてます。便利です」
1人でできないことと、役に立たないことは、同じじゃないらしい。そのくらいは、今日の数秒で分かった。
正午になると、作業場の一角から人が一気に引いていった。俺も手を洗って休憩へ向かおうとすると、隣で手袋を外していたナギさんがこちらを見る。
「水原さん、お昼どうします?」
「まだ決めてないです」
「じゃあ、一緒に行きません?」
思ったより自然に誘われて、一瞬返事が遅れた。
「……支援魔法の感想、もう少し話したいので」
「なるほど」
◇
連れて行かれたのは、解体場から歩いて数分の小さな食堂だった。昼だけ出る日替わり定食が人気らしく、入口の黒板には『本日 地下茸の炊き込みご飯と岩猪汁』と書かれている。それを見た瞬間、ナギさんの歩く速度がほんの少し上がった。
「もしかして、これ目当てでした?」
「違います」
「即答ですか」
「魔法の話が目的です。その店がたまたま今日このメニューなだけです」
「はいはい」
しばらくして出てきた炊き込みご飯は、茸の香りが強く、噛むたびに出汁が広がった。岩猪汁は根菜と大きめの肉がごろごろ入っている。
「……うま」
俺が呟くと、向かいのナギさんが少しだけ嬉しそうに頷いた。
「ここの炊き込みご飯、日替わりの中で1番当たりです」
「やっぱり知ってたんじゃないですか」
「……何の話でしたっけ」
箸を動かす速度だけは、さっきより明らかに速い。
食べながら、さっきの水流の感覚をもう少し詳しく聞いた。ナギさんによると、魔力の消費が減ったかどうかまでは分からない。ただ、細かい修正へ意識を取られなかった分、4本目を追加しても普段ほど忙しく感じなかったらしい。
「支援魔法って、相手をよく見ないと使えないみたいなんですよ」
「そういえば、さっきずっと私のこと見てましたね」
さらっと言われて、箸が止まった。
「指とか手首とかですよ」
「初日に水球しか見てなかった時より、ちゃんとしてますね」
「……それ、まだ言います?」
「床も私も見ないで突っ込んできましたから」
「滑っただけです」
「知ってます。頭から水かぶってましたし」
「忘れてください」
「ちょっと面白かったので無理です」
しれっと炊き込みご飯を口へ運ぶ。口元だけは明らかに緩んでいた。完全に遊ばれている。
「……少なくとも、今日は足元も見てました」
「じゃあ次からは、もっと見ても大丈夫ですよ」
「何をです?」
「私を。指先だけじゃなくて、呼吸とか目線とかも」
「それは……ちょっと恥ずかしいかも」
「水原さん、意識しすぎです」
今度こそナギさんは堪えきれなかったらしく、ほんの少しだけ笑った。声を立てるほどではない。それでも、普段あまり表情の動かない彼女が笑っているのを見ると、こっちまで妙に落ち着かなくなる。
「魔法のためなら、ちゃんと見てください」
そうは言うものの、そこで「はい」と言える程のコミュニケーション能力は俺にはない。
俺は返事の代わりに岩猪汁を1口飲んだ。美味い。こういう時にも飯は裏切らない。
「今日の魔法、また練習したいなら私でいいですよ」
「いいんですか?」
「私も仕事が楽になるので。ついでです」
出た。ついで。
「じゃあ、お願いします」
「はい」
ナギさんは何でもない顔で岩猪汁を1口飲んだ。でも、口元がほんの少し緩んでいる。
支援魔法は、相手を見なければ使えない。
俺が支援術士になるためには、コミュニケーション能力の向上が必須なのかもしれない。




